油の切れた蝶番のきしむ音とともに、シンジの房の扉が2週間ぶりに開けられた。
 開いたドアから一人の米軍士官らしき人物が入ってきて、シンジの前に立つ。

「久しぶりね。シンジ」

 名前を呼ばれたシンジは口を半開きにして、その人物を見つめていた。

「なに間抜けな顔してるのよ? それとも私の顔、忘れたの?」

「ア……アスカ!?」

「そうよ。覚えていてくれて嬉しいわ。……どうやら死なずにいたみたいね」

「忘れる訳無いじゃないか!」

 その時、壁の向こうから相田の声が聞こえてきた。

「おい!シンジ!一体何がどうなってるんだ?」

「あの声は?」

 アスカが尋ねてくる。

「彼は、相田少尉。僕といっしょに「震電」の開発をしていた仲間だよ。彼が主任
 整備士だ」

「ふ〜ん、あれ“震電”っていうの? じゃあ、隣のも関係者ね?……ちょっと待っ
 てて」

 アスカはそうシンジに言い残すと、入り口で待っていたもう一人の米軍士官らし
き男に話し掛けていた。
 そして、ものの1分ほどでアスカが戻ってくる。

「何?」

「実はね、ここに“震電”……だっけ? あれのテストパイロットがいるっていう
 んで、私達が来たのよ。まぁ、実機の見聞も当然だけどね。で、パイロットだけ
 を出すように言われてたんだけど……隣にいるのが主任整備士ならいっしょに出
 してもいいそうよ」

「ケンスケ! 聞こえた? 出られるみたいだよ!」

「よく聞こえなかったけど、出してもらえるのはありがたいな。とにかく、腹が減っ
 たよ」

「さてと……そろそろここ、出ない?暗いし……臭うわね」

 重営倉に禁固されること2週間。
 アスカに言われて、シンジは自分の服の匂いをかいでみた。

「そんなに臭うかな?」

「アンタたちどのくらい風呂に入ってないの?」

「ここに入れられて以来だから……かれこれ2週間くらいかな? そこの水で体は
 拭いていたけど」

 シンジは一畳半の独居房の中にある、粗末な洗面台を指差した。

「さっさとここから出て! 身支度を整えてから出頭しなさい! そっちのもいっ
 しょよ!」

 アスカはそう言い放つとさっさと外に行ってしまった。

「……臭うのはしょうが無いじゃないか」

 シンジは一言そう呟いてから、廊下へと出た。
 振り向くと、背の高い米兵に付き添われたケンスケも、隣の房から出てきた所だっ
た。

「よう、2週間ぶりだな、シンジ」

「お互い、むさい顔だね」

 二人とも無精ひげが伸び放題なのだ。

「シンジ、髭面も意外と似合うぜ」

「ケンスケもね」


  

Sky Lover

第七話

  


 2週間ぶりの屋外であった。
 暦の上では9月になっていたが、日の光は容赦無く二人に照り付ける。

「外はまだ暑いな……」

「ああ……おい! シンジ! あれ見ろよ!」

 ケンスケが指差した方向には、震電初号機があった。

「破棄されてなかったんだ……」

「そうらしいね」

 震電の周りには米軍が連れてきたと思しき技術者や米軍パイロット達が群がって
いた。
 そんな光景をシンジはジッと見つめていた。

「奴等の評価が気になるのか?」

「ん……まぁね」

 二人に付き添っていた米軍士官が促したので、シンジたちは工場側の……2週間
前までは自分達の職場であった建物へと向かった。
 二人はシャワーを浴び、身支度を整えた。
 米軍の用意してあった食事を平らげると、かつては葛城の使用していた部屋へと
案内される。

 そこにはサングラスをかけた米軍士官が待っており、傍らにはアスカが控えてい
た。たぶん、通訳なのだろう。

 その士官に向かい合う形で、既に葛城が座っている。

「よう、シンジ君、久しぶりだな。」

 葛城はそう言っただけであった。

 会話の内容は、主に震電の開発に関する事ばかりであった。
 実機は既に米軍が押さえていたが、設計図や飛行所見などは破棄されている。

 士官の話しでは試験機を接収し、本国に持ち帰るとの事であった。
 シンジが驚いたのは、ぜひ持ち帰る前にここで実際に飛ばしてもらいたい旨の要
請が、米軍側からなされた事であった。
 しかも、模擬戦闘までやって欲しいとのことだ。
 もちろん実弾などは使用しないが、相手がアスカと聞かされてまた驚く。

 どうせ彼女が執拗に迫ったのに違いない。シンジがアスカの顔を向けた時、アス
カが自分に対して親指を立てて見せたのを見た瞬間、推測は確信に変わった。




 一通りの事情聴取が終わり、開放された三人は食堂に集まっていた。

「何やら……妙な事になってしまったな」

 最初に口を開いたのは葛城であった。

「でも……僕は正直嬉しいです。この手でまたアレを飛ばせるなんて、思ってもい
 なかった」

「明後日の正午か……明日は徹夜だな」

 この声はケンスケである。

「使用するのは弐号機か?」

「そうなりますね」

「それじゃ、俺も手伝おう。開発に携わった人間としては、たとえ模擬戦とはいえ
 負ける所は見たくないからな。」

 3人がそんな会話をしていたときに食堂に入って来た人間がいた。
 アスカであった。

「男3人が雁首そろえてなんの相談かしら?」

 その声に3人とも振り返る。

「ア……いや、ラングレー少尉」

 アスカはシンジの言葉にピクッと眉を動かした。
 シンジ以外の二人は表情を固くする。

 何しろ彼らはシンジとアスカの事情など知らないのだから、当然だ。

「そっちの二人には自己紹介してなかったわね。アスカ・ラングレー「中尉」と申
 します。明後日は模擬戦の相手をしますので、よろしく」

「あ、いえ……こちらこそ」

 ケンスケは顔を真っ赤に染めて返事をした。まぁ、仕方ない事だろう。
 葛城が怪訝そうな顔をしていた。

「君はひょっとしてボリス氏のお嬢さんか?」

 この言葉に一番驚いたのはアスカ本人であった。それはそうだろう。一度ならず
二度までも、知らない日本人の口から父の名が出てきたのだから。

「君は覚えてないだろう……もちろんシンジ君もだ。二人がまだ2才の頃だ。君の
 お母さんが君を連れて里帰りしてきた時以来だからな」

「「あの……」」

 シンジとアスカが声をそろえて尋ねた。

「あ、先にどうぞ……」

「いえ、多分同じ質問だと思いますから碇「元少尉」どうぞ」

 アスカの口調にトゲが感じられた。
 先ほど階級を低く言われたのを気にしているに違いない。

「葛城さんは何故ご存知なんですか? 僕の父と彼女の父は、どういう関係だった
 んでしょうか?」

「ん? 碇指令からは何も聞かされてないのか?」

「父は……昔の事は話しませんから」

「そうか……そういう人だったな……ま、追々その辺は分かるだろう。とりあえず、
 今は明後日の事だけを考えるとしようか?」

「それって、余計に気になりますよ」

「そうか? それもそうだな。じゃあ明後日の模擬戦が終わったら二人に話すよ。
 シンジ君こそ、彼女とどういう関係なんだい?」

 葛城が鋭く切り返す。

「え?」

 返事に戸惑うシンジを見かねてアスカが口を出してきた。

「私は以前、碇少尉に撃墜されたんです」

「ほう?」

「だから、今回はその仕返しです。リターンマッチってことで」

「ふむ……ま、それだけではなさそうだが……相田君、我々は退散するとしよう。
 シンジ君、明日は忙しくなるぞ。遅れない様にな」

 二人が去り、食堂にはシンジとアスカの二人が残された……。

「アスカ!何てこと言うんだよ!」

 葛城と相田がいなくなってからのシンジのアスカへの第一声であった。

「あ〜ら。嘘じゃないでしょ?」

「あんなのは相打ちだろ。僕だって主翼を撃ち抜かれたんだ。勝ちも負けもない」

「アンタはそれでもいいかもしれないけど、私は負けたと思ってるの! 明後日は
 手加減しないからね」

「じゃぁ、前は手を抜いていたって言うの?」

「フン! 始めから本気でやっていたら、今ごろアンタは太平洋で魚の餌よ」

「よく言うよ。明後日にはその言葉撤回させてやる」

「言ったわね」

「言ったがなんだよ!」

 こうなると売り言葉に買い言葉である。いつの間にやら、話は飛躍し、日本軍と
米軍の優劣の話しになっていた。

「なんで、ここで真珠湾が出てくるんだよ!」

「だって、日本軍なんてだまし討ちじゃないと勝てないんでしょ?」

 両者一歩も譲らず、最後には「負けたら皆の前で土下座」でケリがついた。
 結局、その後はお互い話しもせず、宿舎へと引き上げてしまった。

「何をやってるんだかなぁ……二人とも」

「互いの若さって奴でしょう」

 先に引き上げたと見せかけて、一部始終、話を聞いていた葛城と相田であった。




 翌日は、終戦以来、整備する者も無く、シートをかぶせられたままになっていた
震電弐号機の整備に明け暮れた。
 主に作業を行ったのは相田である。
 それをシンジと葛城が手伝った。
 全ての整備を終えて、テストにエンジンを回したときには東の空が明るくなり始
めていた。

「うっひょ〜、どうだい!この回りっぷり!!やっぱ、アメさんの燃料は違う!!」

 燃料やオイルは米軍から提供されていた。
 と、いうより基地には既に備蓄など無かったのだ。

「やっぱしオクタン価の高いのは違うな。松根油や灯油で薄めたガソリンとはえら
 い違いだ」

 と、シンジ。

「皮肉な話しだがな……これなら震電はその性能を十二分に発揮できる」

 これは葛城である。

「シンジ、後は俺と葛城さんでやるからお前はもう休め。『睡眠不足で負けました』
 なんて言い訳は聞きたくないからな」

「そうだね……じゃ、お先に」

 そう言って後の作業を二人に任せ、シンジは宿舎へと戻り、短い睡眠を取る事に
した。




 宿舎へと戻る途中、シンジは自分に近づいてくる人影に気が付いた。

「誰?」

「私よ」

 答えた声の主は、アスカだった。

「アスカ? まだ寝てなかったのか?」

「なんだか眠れなくてね・・・日本ってどうしてこう蒸し暑いのかしら。」

 9月とは言え、日中はまだ30度近くまで気温は上がる。
 ましてや昨日はまるで夏が戻ったかのような陽気だった。
 夜明けを迎えたこの時間でも、慣れていなければ蒸し暑さを感じただろう。

「慣れない人にはそうかもね」

「……あのね、シンジ」

「なに?」

「昨日はゴメンね」

「ああ、別に、僕は気にしていないよ」

「よかった……ひょっとしたらシンジ、怒ってるんじゃないかと思って」

「別に怒ってなんかいないよ……僕も言い過ぎたし、さ」

「それならいいけど……今日はいい勝負をしましょうね」

「うん」

「それじゃ」

「じゃ」

 その言葉を合図に二人はお互いの宿舎へと戻ろうとした。
 シンジがアスカに背を向け二三歩歩いたとき、背後からアスカがシンジに抱き着
いてきた。

「ア、アスカ……何するんだよ」

「シンジ」

「……何?」

「もう、シンジに会えないんじゃないかと思ってた……ほら、あんた達『カミカゼ』
 やってたでしょ? あの中にシンジも居たんじゃないかと思って」

「僕は……あの後すっと、ここで開発に携わってたから」

「うん……だから、シンジの顔を見たとき、すごく嬉しかった」

「そ、そう」

「ねえ、今はまだ無理だけど、この戦争のほとぼりが冷めたら、私と一緒になって
 くれる?」

「え?」

 日本の女性ならこんな事は言わないだろう。
 シンジはアメリカ育ちのアスカの積極性に驚かされる。

「私じゃ……嫌?」

「い、嫌だなんて……そんな……困ったな」

「なんで困るの?」

「いや、こういう事は男から申し込むものだって……先に言われると」

 アスカのぬくもりを背中に感じながら、シンジは耳まで真っ赤にして、明け方の
空に向かって話していた。

 その言葉を聞いたアスカがシンジの前方に回り、シンジの両手を取った。

「じゃ? OKってことね?」

「あ、うん」

「ふふふ、シンジったら顔真っ赤よ」

「しょ、しょうがないだろ!」

「ま、いいわ。それと、私との約束を守ったお礼をあげるわ。目を閉じて」

「今度はなに?」

「いいから!早く!」

 シンジはアスカにいわれるままに目を閉じた。
 数瞬後、シンジの唇はアスカのそれによってふさがれていた。
 アスカの唇は柔らかく、温かった。

 時間にすればほんの1分程度のキスであったが、二人にとって永遠のような時間。
 どちらからともなく唇を放したあと、シンジは声を出そうとしたが、言葉にはな
らなかった。

「な、な、な、な、な」

「今日私に勝ったら、もっといいものあげる。頑張ってね」

 そう言ってアスカは今度こそ宿舎へと戻って行った。

 シンジは唇に残ったアスカの感触に我を忘れ、しばらくの間その場に立ち尽くす。

「以前何が有ったか知らんが、展開が早いね」

「互いの若さってやつでしょう」

 話し声を聞きつけ、倉庫の影から覗いていた葛城と相田であった。




第八話へ続く

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制作・著作 「よごれに」けんけんZ

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