ドオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ

 身体中に響くような重低音。
 震電は、その美しいシルエットを持つ機体を震わせて、残暑の太陽が照り付ける
エプロンでパイロットを待つ。
 18気筒のシリンダーから排気された燃焼ガスは、過給機のタービンにぶつかっ
てそのエネルギーの大半を失いながら、なおも激しく大気を打ち付け、その秘める
力を誇示するかのように咆哮する。

 シンジは耳を塞ぎながら、その咆哮の源にいるケンスケのそばに歩み寄った。

「ますます調子が良いみたいじゃないか」

 震電の誉エンジンの咆哮に負けないように、シンジは大声を張り上げた。

「アメさんがさ、こっちのプラグを見てそんなゴミみたいなんじゃなくって、これ
 使えって」

 ケンスケも同じように大声でどなり返す。
 そして、ポケットから白く輝く小さな部品を取り出して、にやりと笑った。

「アメさんのプラグだぜ。見てみろよ、白金プラグさ」

「白金?」

「プラチナだよ……勝てねえわけだ」

 シンジは手渡された大きさの割にずっしりと重いそのプラグを眺める。
 技術者ではないシンジには、普段自分達の乗る機体に使われているプラグとの違
いは良く分からない。

「どう違うのさ?」

「何もかもだよ」

 そう怒鳴ると、ケンスケは引っ張っていたスロットルのリンケージを戻した。

 徐々に誉エンジンの咆哮は静まり、唐突に止まった。
 エンジンの回転が止まっても、しばらく惰性で回る排気タービンの高いうなりが
聞こえる。
 その音も徐々に静かになり、膨張した鉄塊が冷える時の、チンと言う澄んだ音が
する。

「これでよしっと、ほら、閉めるぞ」

 ケンスケは手を突っ込んでいた点検口のカバーを元に戻す。

「何か、操縦する時の注意点は?」

「何も無い、万事オッケーさ。スロットルに対するツキは前よりずっと良いはずだ。
 むしろオーバーレブに気をつけろ。模擬戦とはいえ実戦だからな、リミッターは
 カットした」

「わかった……ホントの本調子のこいつが飛ばせるんだな」

「そうだな、本調子じゃない、ベストコンディション」

 わざわざ英語で言い直すのは、米軍の支給品のおかげと言いたいのだろうか。

 少し離れて、感慨深げに震電の雄姿をじっと見詰めていた葛城が、二人のもとに
歩み寄る。

「もう、俺達にしてやれる事は何も無い。多分これが最後だと思う。思う存分こい
 つを暴れさせてくれ」

「はい、わかってます」

 シンジは気合いを入れ直すように、飛行帽を目深にかぶり直す。


  

Sky Lover

第八話

  


 その時、隣りの駐機場から爆音が轟き始めた。

「お、とうとうアメさんのヤツが間近で見られるぞ」

 程なくして、整備員を主翼の付け根に立たせたまま、アスカのムスタングがエプ
ロンに姿を表わした。

 逃げも隠れもしない。
 最強の空軍機である事を誇示するかのような、銀に輝く無塗装のジュラルミン。
 真っ赤に塗られたスピナーから尾翼まで、一分の隙も無い流麗な機体。
 力強い、層流断面の主翼。

 米国の航空産業の頂点を極めた、P51ムスタング。
 その最終進化形−H型である。

 シンジはテストパイロットの眼力で、自分がかつて戦った事のあるムスタング達
とは、まったくの別物である事を見て取った。

「……初めて見るよ……あのタイプ」

「だろうな。今朝がたアメさんの整備士がわざわざ自慢しに来たぜ。500機作っ
 たけど、使うまでも無く戦争が終わっちまったってね」

 一般的に「ムスタング」として知られているD型から、このH型への改修点は、
機体のほぼすべてにわたっていた。

 徹底的な軽量化と、もともと優れていた空力特性のさらなる見直し。
 高々度での格闘戦を重視した、大型化された尾翼と舵面。
 エンジンのパワーアップに伴って大型化された、4翔の中空プロペラ。
 鹵獲し分析した零戦の情報から、操縦系のリンケージにも弾性変形材が採用され、
高機動時の操縦特性を向上させるなど……。

“誰が操縦しても、必ず勝てる戦闘機を”……無茶とも言える要求仕様を、すべて
クリアしたとさえ言われる、まさに米軍究極のレシプロ機なのだ。

 エプロンの所定の位置に収まると、整備士が飛び降りて車止めをかける。
 そして操縦席から、アスカが下りてきた。

 惰性で回るムスタングのプロペラ後流にあおられて、長い赤毛が日の光に輝く。

「ふ〜ん……日本のにしては、なかなかな面構えね」

 アスカは震電の機首を見上げる。
 ダミーとはいえ、30mm砲を四門集中搭載した機首は、見る物を威圧する。

 今は、そのうちの一門が米軍の12.7mm機銃に換装され、曳光弾のみが装填
されていた。

「がっかりさせるんじゃないわよ、シンジ」

「な……そっちこそ」

「ルールは分かってるわね。すれ違ってから一分間、そのまま直線で飛び続けたら
 スタート。無線で合図が出るけど、ちゃんと時計も見てなさいよ。相手を捕捉し
 たらトリガーを引く。ガンカメラが時刻と速度と高度を記録するわ。時間は15
 分間」

「コックピットに当てないように注意するよ」

「曳光弾が当たったぐらいじゃ何とも無いわよ。それ以前に“当てられる”と思っ
 てるの?」

「さあね。……暖機すんだろ? 始めよう」

「ふん」

 時計がちょうど、正午を指した。

 何の気負いも躊躇もなく、シンジは震電に乗り込む。
 アスカはシンジが震電のコックピットに収まるのを確認してから、ムスタングに
乗り込んだ。

 バックミラーで、ケンスケがプロペラを手で回すのが見える。
 ほどなく、暖機済みの誉エンジンが重々しく目を覚ます。

 燃圧、油圧、電圧、水温を確認。
 排気温度と過給圧は徐々に上昇中。

 スロットルを軽く煽ると、間髪入れずに反応する。

「問題なければ始めるわよ」

 インカムからアスカの声。

「そっちは?」

「ベストコンディション。オールグリーンよ」

「じゃあ、レディファーストでどうぞ」

 シンジが言うと同時に、アスカのムスタングが滑るように滑走路に向かって動き
始めた。
 シンジも震電を滑走路に入れ、アスカのムスタングと並ぶ。

「先に上で待ってるわ」

 言うが早いかアスカは愛機にフルスロットルを与え、瞬く間に離陸速度に達する。
 地面を離れてランディングギアを引き込んだ機体は、信じられない角度で一気に
上昇していった。

 それを見て、シンジも離陸速度を目指して滑走を開始し、程なく離陸速度に達す
る。
 操縦棹を引き起こす手応えと同時に、眩しい初秋の空と、刷毛で引いたように薄
く、高い空にたなびく雲が目に映る。

 ランディングギアを引き上げると、見る見る速度が乗る。
 機首を上空に向けたまま、急上昇と急加速を同時に行う。

 背中に頼もしいエンジンの咆哮。

 操縦棹とペダルを少しづつ動かして、ラダーやエルロンへのリンケージを確認す
る。もちろん、機体のどこにも問題はない。

 そして、シンジ自身にも。

「こちらはどこにも問題が無い。そっちはどう?」

「空の上ではいつだってベストコンディション! いつでもはじめられるわ」

「楽しそうだね、アスカ」

「あったりまえでしょ」




 文字通り、既に手出しが出来なくなった二人が、滑走路から二機の軌跡を見上げ
る。

 先に相田が口を開いた。

「先日言ってた、シンジと彼女の、それぞれの父親の関係ってのは?」

「ん、ああ……昔、まだ日本とアメリカ戦争するなんて思ってなかった頃、米軍の
 航空隊が立川でデモフライトをした事がある。今から見ればチャチな曲芸飛行だ」

 葛城は双眼鏡を取り出して、手塩に掛けた震電の雄姿をほれぼれと眺めている。
 続きを相田が促す。

「それで?」

「日本にもモノ好きは居たさ。曲芸飛行じゃ面白くないって言うような」

「ひょっとして、日米で模擬戦ですか?」

「ああ、吹き流しを撃ち合う奴だよ。見た事有るか?」

「訓練で、やりますね。結果は?」

「相撃ち」

「まさか」

 双眼鏡から目を離して、葛城は軽く肩を竦めてみせた。

「その、まさかの相撃ちだったんだよ。お互いの吹き流しをほとんど同時に捉えて、
 ボロボロに撃ち抜いた。地面に降りてから命中弾の数まで数えたんだが」

「それでも?」

「同じ。奇蹟ってのはあるもんだと思ったね。再戦を誓ってた筈だよ……こんな形
 で、その時が来るとはね」




 双方の機体は、いったん別々の方向に飛んで距離を離す。

 十分に離れたところで、飛行場の上空ですれ違うように機首を反転、フルスロッ
トル。
 機速が上がり、水平巡航速度の限界に近づく頃、シンジは正面にアスカの機影を
見つけた。

「確認した。左側ですれ違う」

「ラジャー」

 あくまで平和な空の一角が、束の間戦場に変わろうとしていた。




第九話へ続く

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制作・著作 「よごれに」けんけんZ

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