▼第六章

 翌日のシンジはちっとも冴えていなかった。

 午前一杯待ってもアスカはシンジの別荘には姿を見せなかった。

 別に約束していた訳では無い。
 勝手にシンジが待っていただけだ。
 そう思うと一層、恥ずかしさと怒りで息がつまりそうだった。

 昼食の後、シンジはアスカの居たあの別荘まで行ってみる事にした。

『何しに来たのよ』

 とでも言われたらどうしようかと思い迷った挙げ句、楽器は持って行かない事にした。
 他人行儀に追い帰されでもしたら、帰り道の惨めさを思うと、行く勇気も萎えそうだったからだ。

 そして、誰もいなくなった別荘を発見することになる。
 ひっそりと窓も戸口も閉ざされて、まるでずっと誰も住んでいなかったかのよう。
 まさか、幽霊や狐狸の類など信じたくは無かったが、そうでも考えなければこの状態は信じられなかった。

 なぜだか以前よりもずっと一人ぼっちの気がしていた。

 サミットを数日後に控えたその日、首都圏からの主要幹線道路では、午前10時頃から一斉に多数の事故が発生した。
 タンクローリーの横転事故を始めとし、いずれも大型業務用車両の事故だった。全ての国道・高速道は下り車線が不通となり、事故の復旧に相当の時間を要する程の大きな被害となった。

 各地の警察は、最初偶然の事故と片付けていたものの、やがて各地同時発生という事が判明すると、テロ活動の可能性を視野に含めて捜査を開始した。
 しかし、すぐに全く行動が出来なくなっている事に気づかざるを得なかった。事故の数が多すぎるのだ。

 おまけに、事故の処理に手間取っている間に夕方の首都圏外への渋滞ピークが始まり、且つ首都圏外からの流入はいつもどおりだった為、都内の道路の殆んどが渋滞車両に埋め尽くされると言う前代未聞の事態に陥ってしまったのだ。都内各地は更に誘発事故が多発した結果、全ての所轄がせいぜい自分達の周辺道路の交通整理(と言っても止まっているだけなのだが)に当たる他無かったのである。

 さらに午後19時に至り、JR、地下鉄、私鉄各線も突然、下り線で送電線故障により運転停止となった。振替輸送を行おうにも、全ての陸路が塞がれている状態のため、代替手段も存在しなかった。
 この結果、各駅に運転再開を待つ人々の長い行列が駅構内にも収まり切らず駅の周囲の一般道まで溢れる事になった。

 都内に入る事は出来ても、出ることは出来ない。

 いや、唯一双方向の交通が確保されていた経路がある。
 まるで誂えたかのように、空港との間の幹線道路、及び鉄道は確保されていたのだ。
 しかし、その経路も都内唯一の出口の為、多くの人々が殺到し、下り方面が麻痺状態に陥るのにそう時間は要らなかった。

 かくして都内は多すぎる人と車を抱えこむことになる。
 多すぎる人は必ず多すぎる事件を生む。
 その処理には集結していた警官隊をも振り向けざるを得なかった。

 危惧していた検問所は全く見当たらなかった。
 いや、危惧していたのは車中ではハンドルを握るリツコ一人だった。ミサトも加持も、それが当然のように落ち着いていたものだ。アスカは、と言えば昨晩具合が悪かったのが続いているせいか、朝から元気が無かった。
 車の中でも一言も口を聞かず、携帯を弄んでいた。それは元気が無いからというよりも、どこかすねているに近い。
 普段なら、そうしたアスカの様子に敏感に反応できるリツコも、ミサト達に気を取られ気にはなっているが、どうしようもない状態だった。

「事故・・・・」

 アスカがぽつりという。
 どうやらインターネットのニュースサイトを見ているらしい。

「事故ですって?」

 苛立った声でリツコが尋ねる。アスカに当たるつもりは無いのだが、どうしても態度に出てしまう。
 それでなくとも、寝不足で運転することが彼女を苛立たせている。

「下り車線だって。
 タンクローリーの横転事故に玉突きで数台が炎上。
 死者3人、重軽傷17人。事故復旧まで封鎖だってさ。
 トンネルの出口で事故だから随分時間がかかるって。復旧に」

 アスカはリツコのきつい口調に気付かなかったかのように、いや、それどころかまるで関心の無い、どうでも良いことのように言った。

「あらぁ、た〜いへん」

 窓の外を眺めながらミサトが言う。

『事故を知っていた?』
リツコは、そう確信した。


 下り車線の横転事故復旧現場を横目に、リツコ達の車は料金所手前のパーキングエリアに入った。ミサトの指示だった。
 料金所を抜ければもうすぐ都内だ。
 リツコにしてみれば、さっさとお客二人をどこへでも降ろして、厄介ごととはおさらばしたい心境だった。
 だから、止めろと言うミサトが、わざと嫌がらせをしているのでは、と疑っていた。

「なんで?。
 もうすぐだってのに?」

「トイレ休憩よ、トイレ休憩」

 ミサトは涼しい顔で言う。

「やだねぇ、トウのたった女ははしたなくて」

「ちょっと、加持ぃ、あたしに喧嘩売る気?」

 リツコは二人が妙にはしゃいでいるように感じられた。
 後部座席のドアを開けてミサトは外へ出ると、伸びをした。

「ふぁ〜、乗ってるだけでも結構、疲れるのよねぇ」

 意外なことに、加持も車外へ出る。
 リツコは驚いた。このまま走り出せば、置き去りにできるのだ。しかし、そんな分かりきった危険を彼らが犯す気があると思えなかった。
 いや、リツコを試しているのか?。
 疑心暗鬼になったリツコは決断でいかねてぐずぐずしているところに、ミサトがやってきて、運転席の脇に立った。視線は全くこちらには向けず、言う。

「リツコ、車出しちゃっていいわよ」

「えっ?!」

「相変わらず律儀ね。
 大丈夫よ。別にここに置き去りにされても恨みはしないわ。
 というか、もともとここで降りる予定だったからね。
 嫌な思いさせてゴメンね」

「・・・・・」

「さぁ、行って!。あたしたちは大丈夫だから」

「ミサト・・・・」

「さぁ!!」

 リツコは躊躇った。確かにここで厄介払いが出来るのは嬉しい。実際リツコの神経も限界だった。
 しかし、少なくともこの状況の最後はトゲトゲしく敵対的なものでなければならなかった筈だ。
 なのに、この態度は・・・それは不器用に親友を気遣う、かつてのミサトのままではないか。
 それに釣られて、自分が情に流されかかってさえいる。
 そう気付くとリツコは、腹が立って来た。

「・・・・・分かったわ。もう行く」

 そういうが早いか、発車させる。
 怒っている。ただ、その怒りの対象は最早、ミサトでは無い。
 隣に座っているアスカは相変わらず無関心そうに携帯の小さなディスプレイを見つめていた。

 その日の深夜、事件は起こった。

 A国の大統領。

 A国は、本来サミットの参加国ではない。中南米の一小国に過ぎない。
 いくつかのこうした発展途上国の首脳も、サミットに集う先進国目当ての援助外交に来日していたのだが、その一つがA国だった。
 予定では夕六時の便で国際空港着。そのまま専用車で首都圏に向かい午後8時前には大使館入りしている筈だったのだが、都内の未曽有の渋滞に巻き込まれ、車が大使館に到着したのは深夜1時を回っていた。護衛に当たっている白バイ2台及び後続車に乗っているSP達も疲労しきっていた。

 大使館は曾ては、華族・士族の屋敷が立ち並んでいた旧高級住宅街にあり、現在でも各種公邸、文教施設に、高級住宅が立ち並ぶ静かな一角だった。深夜ともなれば人通りも途絶え、幹線道路の渋滞と喧騒が嘘のようだった。
 山の手というだけあって起伏の多い土地故、車は長い坂を上っていく。
 ライトが道を覆う両側の庭の巨木の葉を下から不気味に照らす。

 やがて坂の頂上に差しかかった時、突然黒っぽい人影がライトに照らし出された。
 しかし、運転手が驚いてブレーキを踏もうとした時には人影はもう見えなくなっていた。

 その瞬間、運転手の額から血が吹き出し、フロントガラスが割れる。
 そしてパニックに陥っている車内の人々を載せ、車は先導する左側の白バイを巻き込んで、道路左側の塀にぶつかり、そのまま数メートル壁を擦りながら走り、やがて停止した。
 後続のSP車はすぐに、大統領専用車をかばうように横付で停車し、中から拳銃を持ったSPが飛び出し、散開した。

 巻き込まれた白バイ警官は塀と車に圧殺され血塗れになって転がっていた。

 静かな惨劇だった。

 エンジン音が低く響く中、SPは大統領車を囲み警戒を解かない。

 これで済む筈が無い。
 誰しもそう思っていた。
 残った白バイ警官が本署に連絡を入れる。

 何も起こらない。

 闇の中から、何者かが狙っていることは分かっている。
 だが、そいつはいつまで立っても行動を起こす気配が無い。
 SP達は苛立ち、焦る。
 相手からは、街頭に照らされた、こちらの姿はまる見えだろう。
 この状況で姿の見えない相手に対峙するのは不利だった。


 既に30分が経過した。

 確かに気配がする。
 警官達は、夕方からの護衛の疲労がかなり堪えていた。
 応援は、恐らくは当分来れないだろう。
 大使館にも連絡を入れたが、誰も電話に出ようとしない。



 不意に闇の中から張り詰めた気配が消える。
『行ってしまった?』
 SP達は動揺し、緊張の糸が一瞬切れる。

 その瞬間、二人の人影が突然正面に現れる。
 と思うが早いか、まず手近にいたSPが倒れた。サイレンサー付きの銃。
 次に残りのSPが倒れ、逃げようとする白バイ警官は背中を打ち抜かれる。

 その後、何の躊躇いも見せずテロリスト達は同時に大統領に向かって引金を引いた。
 残りの全弾を大統領の体に撃ち込むと、惜しげもなく銃を捨てる。

 それからゆっくりとあゆみ去ろうとした時、虫の息のSPの手から銃声が響いた。
 テロリストの一人がゆっくり崩れ落ちる。

「葛城!!」

 撃ったSPはそのまま絶命していた。


 サイレンの音が近付いて来る。

 既に撃たれた方のテロリストは、ゆすられても叩かれても、何の反応も無かった。
 遺された一人は次第に大きくなるサイレンの音の中でじっと死んだ仲間の体を抱きかかえていたが、やがて意を決して立ち上がると素早く闇のなかへ走り去った。

 不思議なことにA国はすぐさま、本件は外交問題化させない旨の声明を発表した。

 だが、そうした事よりもスキャンダラスだったのは、死体となって発見されたテロリストの一人が5年前のM銀行爆破事件主犯格として指名手配中だった、葛城ミサトだったことである。
 葛城ミサトは、既に中近東に逃亡していたものと見なされていたからだ。
 その指名手配中の人物の入国を許してしまったばかりか、本来なら厳重警戒体制であったはずの首都圏内での暗殺事件まで許してしまった事について、諸方面から警察の責任を糾弾する声が上がり始めていた。

 日本のマスコミが、警察糾弾の大合唱を展開している時、殆んどの人々は、A国で何が起こっているかについて注意を払おうとはしなかった。
 だから、その小さな記事が新聞に出た時も、この事件と関連づけて考える者は居なかった。

「先日、麻布でテロリストの凶弾に倒れた前大統領の後任に、B将軍の就任が決定した。
 将軍は、前大統領とは、これまで政治的対立関係にあると言われて来た為、今回の就任により、政府部内の大規模な人事異動が行われる事は必至である。」
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