▼第十二章

 職業テロリスト。
 職業革命家。
 矛盾した定義。

 需要はあるのだ。使うには、任意のそれらしいイデオロギーの看板を背負ったグループを使えば良い。犯行声明は依頼者の素性を巧みに隠してくれる。
 もっとも各国の為政者の多くが利用している以上、それは公然の秘密だ。互いに手の内を知りつつも、それを公表する訳には行かない。茶番中の茶番。体制と反体制は手を携えこの世界を支えている。

 加持達にとっては、それは究極の敗北の形態であったと言える。しかも、それを自らの意志で選び取ったのだ、と言い包めているなら尚のことだ。


 本日の依頼は、お忍びで来日しているアフリカのある国の閣僚の殺害。場所は大使館の中庭。日本政府及び合衆国政府黙認の根回しは出来ている。
 夏の作戦は、大掛かりなデモンストレーションを要したが、今回は閣僚級の暗殺であり、その意味では殺された、と言う事実だけで良い。その効果は政権交代ではなく政権内の派閥バランスの変更に過ぎないのだから。

 加持は、前日からこの場所に詰めている。このビルの屋上は普段、出口に鍵がかかっているため、誰も出入りしない。ここから大使館中庭は僅か20m程下に見下ろせる。午前9時に件の閣僚は、中庭のテーブルで朝食を取る。そこを狙撃するのが依頼内容である。
 プロの殺し屋を使わず、加持達テロリストを使用するのは、あくまでも露見してなお、依頼者にとって隠れ蓑となりえる商品特性を持っているからだ。加持の馴れぬ狙撃ですら商品価値があるのは、失敗し殺された時に、その死体が持つ「指名手配中の過激派メンバー」であるという特性によるものだと承知している。
 とは言え、ここまで完全なお膳立てだと失敗するのは至難の業かもしれない。

 午前9時。残暑の残る暑い日射しが加持の背中を焼く。照準の向こうには中庭の瑞々しい芝の色、そして標的が座るであろうはずの白い鉄製のテーブルと椅子。
 やがて黄色いアロハを来た中年の男がやって来て、椅子に座ると持ってきた新聞を広げて読み始めた。
 間違い無い。標的本人だ。
 加持は懐から写真を取り出し確認する。

 それから狙いを付けると躊躇わず引き金を引く。
 甲高い音が一瞬、都心のビルの間を縫って広がり、標的の胸がどす黒く染まり、椅子からだらしなく崩れ落ちるのを確認すると、加持は手早く荷物を片付け始めた。予め整備作業員の服装に、工具類の入っているように見えるバッグを提げて来ている。屋上の出口の鍵も入手済みである。
 銃を分解して全てバッグにしまいこみ、立ち上がったところで、加持は信じられない声を耳にする。

「ねぇ、嫌よ、こんなところで・・・」

「大丈夫だって。いつも誰もここは来ないんだから」

「だって、こんな明るいのに・・・あ」

 振り返ると、サラリーマン風の男女が互いの体に腕を回し、縺れるようにこちらへ歩いてくるところだった。先方は加持の姿に気付くと、わざとらしく体を離し、ばつの悪いそうな顔で加持の顔色をうかがっている。
 加持は何食わぬ顔で、丁度作業を終えて引き上げるところだという風に立ち去ろうとした。顔を伏せていたつもりだが、しっかり顔を見られたのは間違い無い。
 加持は一瞬、逡巡した。
 一端、屋上への出口となっている鉄扉をくぐり、後ろ手に閉めると、加持はバッグから、道具を取り出し、素早く扉を開け、屋上へと駆け戻る。
 唖然としている二人に駆け寄ると、その顔面に素早く一撃を食らわせる。崩れ落ちた死骸は変形した頭部から見て頭蓋骨が砕けてしまっているのは確かだった。手早く頚動脈を調べ、死んでいることを確認する。それから衣服を調べたが屋上の鍵らしきものは発見出来なかった。探索を諦め、加持は二人をその場に残し屋上を後にした。
 鉄扉には鍵をかけておく。こうしておけば暫く時間を稼げるだろう。

 おかしい。鉄扉は鍵をかけてあった筈だ。
 彼らは鍵を持っていなかったとすると・・・・。

 嫌な予感がした。加持はエレベータを使わず非常用階段を使って降りる。
 それから地下にあるビル管理人用のトイレで着替える。スーツ姿に、設計図面用の大きな筒とバッグは、どこかの建築事務所の設計士のように見える。
 今度は一階のロビーまで通常の階段で何気ない風を装いながら昇る。
 そのまま受け付けの前を素通りし、正面玄関に出たところで、背後から背に堅いものが突きつけられる。

「一緒に来てもらおうか・・・おっと手を挙げるなんて馬鹿な真似はよせ。
 普通に歩くんだ」

「やれやれ俺が何かしたかい」

「黙って歩け」

 向かいのビルのガラスに移った姿を見ると加持に銃を突きつけているのは、がっしりとした体格の、スーツ姿の男だった。短く刈り込んだ髪。だがサングラスはかけていない。身のこなしや風体から考えると、そこそこ場数は踏んでいるが、あまり訓練されているようでもない。とすれば刑事か。警察は押さえていた筈では無かったのか?。

「いいのかねぇ、日本の警察がホールドアップなんてなぁ」

「ふん、爆発物を所持しているかもしれんテロリスト相手に、その論法は通じない」

 なるほど、そういえばあちこちに私服が待機している。犯人を刺激しないためって奴か。

「逃げるかい?」

 と男が言う。

「逃げてくれる方が本当は有り難いかもしれんな」

 それから低くくっくっと笑う。

「人命優先なんじゃないのかい?」

「時と場合によるな」

「つまりはご都合主義という訳か」

「そりゃもう、天辺からどんケツに至るまで、この国は筋金入りだからな」

 よく喋る。余りこういうことには馴れては居ないようだ。とすればチャンスが無い訳では無い。”その筋”はどうやら動かないつもりのようだ。飽くまでも売り払うだけ・・・?。しかしばらさないと信頼している筈も無い・・・となれば・・・。
 加持は呆れて呟く。

「やれやれ、これも料金のうちかい」

「な、なんのことだ?」

「なに、商売の話」

「?」

 ビルの正面を通り過ぎ、角を曲がったところで待機していた私服の一人が加持の荷物を取り上げる。用意されていた覆面パトカーに押し入れられ、そこで初めて手錠がかけられた。

「ちっ、犯人逃走につき射殺、で片付けりゃ良かったのに」

 と助手席に座っていた刑事が毒づいた。
 若い警官が走って来て報告する。

「警部!。
 屋上で男女の死体。
 目撃されたため口封じに殺害したものと思われます」

「ほう・・・こいつはもう逃げられんな」

 警部と呼ばれた五十絡みの男がにやりと笑った。

 その日の深夜。
 東京湾内のとある埠頭。

「今回は酷い目にあったもんだ。まったくこれじゃ割に合わんね」

「悪く思わんでくれ。
 これも依頼人の要望でな。急遽、君の『商品価値』を使わざるを得なかったのだ」

 加持の話している相手の顔は暗くて見えない。

「はっ、どうせ土壇場になってばれそうになったから、って落ちじゃないだろうな」

「ま、そんなところだ」

「しかし、どうしてくれるんだ。
 これじゃ当分、こっちじゃ仕事が出来ないじゃないか」

「どうせ、高飛びするつもりでいたんなら同じ事だろう」

「よせやい。里心ついたとき自殺したくなったらどうする?」

「悪い事は言わん。余りお奨めしたくないな」

「奨められたくも無いさ」

「しかし、ここから船で高飛びとは、古典的に過ぎるな」

 と加持。

「すまんな。
 古い日活映画が好きな奴がいてな」

「どんな老いぼれだい、そいつは」

「いや、まだ二十代だ」

「へぇー、最近の若い奴はわかんねぇな」

 やがてエンジンを絞って小さな船が近づいてくる。これで沖合いの貨物船まで運んでくれる手はずになっている。

「やれやれやっと来たか。
 それじゃ世話になったな」

 そういって、傍らに居た筈の男に握手の手を差し伸べようとして、加持は隣に誰も居ないことに気付く。
 背後の闇で何かが動いた。
 とっさに加持は前面の海に飛び込む。

 その瞬間、強烈なライトが近づいてきた船を照らし出し、銃撃戦が始った。

 翌朝のニュースは、テロリスト加持良治による暗殺と現行犯逮捕、更にその夜の仲間による警察署襲撃及び救出劇、晴海埠頭付近で密出国しようとしていたテロリスト集団と警察の銃撃戦を報じた。
 テロリスト達は主犯の加持良治を含め全員、射殺。事件を未然に防げはしなかったものの、犯人殲滅により警察は前回の失敗の汚名を雪いだ格好となった。

「リツコさん、アスカ、大丈夫ですよね」

 電話の向こうからシンジの気遣わしげな声。ニュースを知って慌ててかけてきたのだ。
 アスカ直接、ではなくリツコに電話したところは、気を使ってのこととは思うけれど、本当はアスカに直接かける勇気もない故の姑息な対応とも見える。
 とはいえ、それがこの子の性格であることも、リツコは承知していた。
 無理だとは思いながらも、直接アスカに自分の言葉で元気付けてやれる位の器量はもって欲しいものだと、つい考えてしまう。

「リツコさん?」

 考えに気を取られ、はっと気が付いた。

「あ、ごめんなさい。
 やっぱりね、ショックは大きかったようね。
 でも、大丈夫だと思うわ。
 今?。
 そうね、実を言うと、そろそろ仕事もしなくちゃいけないから。
 ええ。
 そう、また遊びにきてね。
 うん、暫くは練習で忙しくなるとは思うけど。
 じゃあ、アスカにはシンジ君から電話があったこと伝えておくわね」

 電話を切る。
 実は、大丈夫どころでは無いだろう。

 リツコが見る限り、アスカは気丈にも何でもない風を装ってはいる。が、無理をしているのが手に取るように分かってしまう。
 まだ、これをどう受け止めていいものかも分からないに違いない。いやリツコ自身、一体どう考えてよいのか分からないのだ。
 学生時代のかけがえの無い思い出を共有する者達の、突然で異常な死。
 もがれた四肢の傷口が熱く疼くような不快感。
 悲しみよりももっと原初的な感覚。
 ぽっかりと空いた空隙が何なのかをリツコは敢えて見まいとしていた。本当は一番ショックを受けていたのはリツコかも知れなかった。


 リツコはため息を付くと、積みあがった書類の山に手を伸ばす。ここのところ、子供達を相手にして時間を費やしていたので、仕事が溜まってしまっている。実務上は殆んど社員に任せきりでも、うまく回っているのだが、やはり、最終的にリツコの判断を要するものはどうしても発生してしまう。
 どうしても萎えそうになる気を無理やり奮い立たせて、リツコは仕事に取り掛かる。

 今、悲しいのだろうか?。

 どうにもピンと来ないのだ。
 正直言って、今の自分の精神状態は極めて冷静だと思う。

 胸が張り裂けるほど悲しいと思っていた。卒倒しそうなくらい、ショックを受けると思っていた。
 何もする気が無くなるほど、消沈するものだと思っていた。

 なのに、今のこの気持は何だろう。自分の心の奥底に懸命に悲しみの影を探そうとするけれど、ただ冷たく澄んだ気分があるだけだった。
 その「気分」は、不快だった。

 アスカは鏡に映った顔を眺めてみる。
 本来なら、そこには嘆いている少女の顔、あるいは絶望に打ちひしがれた少女の顔が無ければならなかった。
 だが、今そこからこちらを見ているのは、やや疲れた感じのする、こまっしゃくれた小娘の詮索するような眼差しだけだ。悲劇の色を見てやろうという、ただそれだけの眼。
 鏡と向きあって、アスカは内面を無くす。

 鏡をそっと机の上に戻す。
 練習でもしようかな・・・・・。

 立ち上がりかけて、机の上に投げ出してあった携帯に眼が行く。来る宛も無いのだが、メール確認の操作を無意識にしていた。

 1通だけ届いている。

 Fromを見てアスカは眼を疑う。そのメールアドレスは加持のものだったからだ。
 いや、正確には以前、加持が(恐らくはカムフラージュの為だろう)勤めていた会社の社員のメールアドレスだ。何度か、そのアドレスでメールを貰った事がある。

 嫌な予感がする。せき止められていた自分の感情が、騒ぎ始める。もし死の前に出されたものなら・・・・。

 しかしどうやらそうでは無いらしい。

「ニュースを見て驚いたかもしれない。
 取り敢えず、何でも無いよ、とだけ報告して置く。
 リっちゃんによろしくな」


「リツコ!!!、ねぇ、リツコ!!!」

 アスカは携帯を手に走り出す。

 勢い良く社長室に飛びこんで来たアスカから差し出されたのは携帯電話だった。
 ディスプレイに表示された文字。
 確かに文面は加持のもののようでもあった。

「どう?。加持さんでしょ?。
 これ加持さんだよね、生きてるって事だよね?」

 頬を上気させて、リツコに縋るように尋ねるアスカ。

「分からない。
 確かに、このメールアドレスは加持君が以前使っていたものだわ。
 でもねぇ、Eメールなんて足が付き易い方法をで連絡してくるのも妙な気がする」

「そこが、盲点なんじゃない」

「どうかしら?。
 警察も馬鹿じゃないから、とっくに加持君とあたし達との関係は調べてるわよ。
 当然、メールもチェックされてると思った方がいいわ。
 加持君ならそれを知ってて当然だし」

「・・・怪しいってこと?」

「ええ、疑ってみる価値はあるわ。
 ただ・・・・・」

「ただ?」

「もしこれが加持君からじゃなかったとしたら、
 こんなことをする人にとってのメリットって何かしらね」

「そうよ、そんなことしてメリットある人居ないもん。
 だから、これ加持さんなんじゃない?」

「傍受されることを承知だとすれば、有り得ない事じゃないか・・・・」

 そいうと、リツコは自分のPCのメーラを開け着信メールをチェックした。

「何やってるの?」

「アスカのところに来たのなら、あたしのところにも来てるんじゃないかと思って」

 アスカは、少しカチンと来た。が、表には出さない。

「やっぱり。来てるわね。全く同じ文面だわ」

「そう・・・・」

 心無しかアスカの声のトーンが下がる。

「さて、っと。では調べさせてもらいましょうか?」

「?」

「メールの電文を生で見てみるのよ。特にヘッダーあたりをね」

「ふ〜ん?」

「あら・・・・」

「何?」

「加持君の可能性は大部高くなったわね」

「どうして?」

「どうしても」

 そういうと鼻歌を歌いながら、リツコは楽しそうにパソコンを操作している。

「ピンポン!。
 大当たり!!」

「なんだか一人で面白がってて狡い!!」

「あら、ごめんなさい。
 ヘッダー部分に、ちょっと細工がしてあって、そこに暗号化されたメッセージが入ってたの」

「・・・へぇ〜」
「これは、あたし達が学生時代に使ってた奴だから、まぁ警察もすぐには解読出来ないでしょうけど。
 で、これが解読した結果」

 そう言うと、リツコはディスプレイを指し示した。
 メッセージは極めて短かった。

『しばらく日本を離れる。』

 その後に一連の数字。

「なんだか分からないわよ、これ」

「仕方が無いわ。あやしまれない程度のサイズだとこんなもんでしょうね。
 でも、このヘッダーだけでも十分笑えるわね」

「どうして?」

「Recived レコードが、各省の大臣官房のメールサーバの一覧になってるのよ」

「どういうこと?」

「ヘッダーを弄ったか、あるいは本当にこんなルーティングをさせたか。
 どうも後の方が可能性高そう。
 相変わらず、やるわね。
 これだと足を辿るにも、警察としては手間が懸かるという訳ね」

「で、この数字は何?」

「あら、これ?。多分、これをIpv6のアドレスだとすれば・・・・ほらね」

 ブラウザ上に、認証ダイアログボックスが表示された。

「リツコ、パスワード知ってるの?」

「多分」

「多分って?」

「学生のころにやってた悪戯の事を言ってるのなら、って意味よ」

「?」

 リツコがユーザー名とパスワードを打ち込むとあっさり認証が通ってしまう。

「ま、時間が無かった割に、良くやってると思うわ」

 やがてブラウザのウィンドウ上に文字が表示され始めた。

『アスカ、リっちゃん、すまん。
 ニュースを見て驚いたろう。あるいは、記事にならなかったか。

 いずれにせよ、俺は今ごろ公式には死んだに人間になっているはずだ。
 もっとも、それは俺の本意じゃないがね。
 取り敢えず、今は無事だ。
 これを君達が見ている頃には日本を離れているだろう。

 俺自身は、俺が選んだことだから、後悔していない。
 だが、君達にまで迷惑をかけてしまったことは、残念だ。

 またいつか会えるといいと思っている。
 今度は迷惑をかけないように気を付けるからね。

 じゃ。

 P.S.
 クリスマスカードを送る経路をどうしようか、と悩んでいる。』

 リツコは、椅子の背凭れに寄りかかり大きくため息を付きいた。
 放心した表情で、眼は宙を見ている。

「リツコ?」

「大丈夫だったみたいね、本当に・・・・」

 アスカはリツコにすがりついた。

「!!
 アスカ・・・」

「大丈夫だったんだよね、生きてたんだよね」

 顔をうずめて泣くアスカの肩をそっと抱いてリツコは言った。

「ええ、これは本当だと思うわ。安心していいのよ・・・」

「・・・うん。
 ごめんね」

「いいのよ」

 アスカが去って社長室にはリツコだけが残された。
 突然、泪が溢れ、身体が震えて来る。
 自分も、アスカの様に泣きたかった事に今更にして気付いた。
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