▼第二十七章

 記事は、先ず高畑健児の死因から始めている。
 これはニューヨーク市警に問い合わせるだけで簡単に判明した。
 警官による射殺。
 撃たれた理由は、暴漢と誤解された為だ。撃った警官は無罪になっている。

 ***

 記事は、当時日本の報道では死因は明かされなかった事に言及する。米国でも地方紙の片隅の小さな記事でしか報道されていない。
 しかし日本では有名な人物の死が、容易に判る筈にも関らず死因を伏せて報道されていることの不自然さを記事は指摘する。何者かが意図的に報道を歪めたのではないか、と。
 記事は次いで、死亡した頃の高畑健児の生活及び、そこに至るまでの彼の足跡を辿る。死の6年前、彼はクライバーンピアノコンクールで優勝している。
 このコンクールからは過去、多くのヴェルティオーソが産まれている。超人的テクニックと構成の大きな演奏をするタイプが優勝することが多い為、日本人には難しいとされていたコンクールであった為、高畑の優勝は国内でも大々的に報道されていた。
 この優勝を期に高畑は赤木音楽事務所とエージェント契約を結ぶ。コンクールの優勝者は年間120回の演奏会契約を副賞として受け取る。その多くは世界各国のメジャーなオーケストラのコンチェルトの共演だった。
 単純に計算しても3乃至4日毎に演奏会をこなしていくことになる。個人でマネージメントも兼ねるには無理な量の仕事である。そこで高畑としては、止むを得ず赤木ナオコに任せてみる事にしたのだ。
 この副賞については従来から、疑問視されることが多かった。如何に優勝しようとも、まだ若く経験も足りないプレーヤを連日演奏会に駆り立てるのである。こんな状況で音が荒れない演奏家はそうそう居るものではない。多くの優勝者が、優勝後1年で姿を消してしまうのは、結局この副賞をこなし切れなかったからだ。
 高畑はなんとか、この一年を生き残ることは出来た。しかしながら、彼も多くの先人と異らず、苛酷な演奏活動の影響を免れなかったらしい。この翌年の演奏回数は年100回程度に落ちているが、それでも数回に一回は、出来の良くない演奏が目立つようになる。当初好意的であった評論家達も高畑の「息切れ」を指摘し始める。
 そして、カーネギーホールでのニューヨークフィルとの共演の公演を、彼は土壇場で放棄するという事件を起こす。当日の朝、彼はホテルから失踪したのである。この時、急拠彼に代わってソリストを務めたのは、高畑が優勝した年、クライバーンコンクールで6位入賞をした惣流キョウコであった。
 彼女もコンクールを期に赤木音楽事務所と契約していた上、高畑とは大学の同期であった。この年、米国の実業家ラングレー氏と結婚しており、ニューヨークを中心に室内楽やリサイタルを中心に活動していたのである。
 演奏会は稀に見る快演となった。高畑健児は翌日ハーレム近くのバーでへべれけに泥酔しているところを、店の主人の通報で警察により保護された。
 この事件で惣流キョウコは一躍音楽界の寵児となり、一方、高畑健児はその年の残りの契約の殆どを失った。高畑は音楽界から姿を消した。
 記事は再び、その5年後の死の状況に話を戻す。高畑を撃った警官であるロイ・シュナイダーが、意外にも取材に応じたのだ。彼は裁判の結果、無罪になっている。

 ***

記者『その時の状況を話してください』
ロイ『ああ。
 あの日は、丁度ミセス・ラングレーのコンサートがあって、我々は会場周辺の警備にあたっていたんだ。
 まぁミセス・ラングレーはニューヨークでは有名人だったしね。例によって、演奏会が終っても彼女が出て来るところを一目見ようと、会場の裏口に人が集まっていたんだ。もっともロック歌手の取り巻き連中とは違って、ファンも随分大人しいからね。警備も大して苦労じゃなかった。
 やがて彼女がマネージャや、彼女のボディガードに取り巻かれながら会場から出て来た時、一人の痩せた浮浪者風の男が、ふらりと人混みをすり抜けて彼女の近くに現われたんだ。彼女はその男に気付き、そして叫んだんだ。Help!!ってね。男は彼女まで2、3メートルのところに来ていた。そして襲い掛かろうとでもいうように彼女に掴みかかろうとした。俺はその時、彼女の車のそば、彼女の背後に立っていた。男は右手をふところに入れてたから、てっきり銃を出すのかと思ったんだ。咄嗟に彼女を脇にいたボディガードの方に押しやると、すぐに男に向けて発砲した。威嚇射撃なんてしている間なんか無いと思ったね。
 まぁ至近距離だったから外れなかった。胸から血を吹いて倒れて行く様を見ながら、俺は震えが止まらなかったのを覚えている』
記者『その男が高畑健児だったというのは何時気が付きました』
ロイ『さぁ、何時だったろうか。
 俺は、その日は暴漢がミセス・ラングレーを襲う間際で防いだ、と思ってた。
 でも何時の間にか、大問題になっていて誤射だ、と言うことで大部ひどい目にあったよ』
記者『もう少し慎重にしていたら悲劇は避けられたと思いますか?』
ロイ『・・・・
 本当に暴漢だったら、それじゃあミセス・ラングレーは助けられなかったろうよ。
 今だって同じ状況にいたら、迷わず俺は撃つと思うね』
記者『では警察に落度は無い、と?』
ロイ『どうしてあるというんだい?
 いや強いて言うなら彼が近付くのを許してしまった事だろうか』

 ***

 記事は重要な点であるとして、死の瞬間に惣流キョウコが絡んでいることを指摘する。二人はずっと以前からの知合いであるにも関らず、惣流キョウコは高畑を見て、周囲に助けを求めた。
 もし親しい友人として声をかけあっていれば、悲劇には至らなかったかもしれないのだ、と。
 ここで記事は高畑にとって惣流キョウコが二重の意味で高畑の死の原因となっているのだ、と断定する。一度目は演奏家としての高畑の死。そして二度目が本人自身の生命の終りである死。
 記事は更に、これは推測を交えてなのだが、と断りながらも惣流キョウコは更に高畑を追い詰めるに一役買っているのでは、と言う。コンクール当時高畑と惣流は付き合っていたという証言がある、と。つまり高畑の失敗で、彼の契約の殆どを引き取ったのはかつての恋人であった惣流キョウコであり、しかも惣流キョウコは高畑と別れてラングレー夫人となっていた点を指摘するのである。
 これではまるで惣流キョウコに殺されたようなものではないか、と。それに加えて赤木音楽事務所側のマネージメントにも問題が無かったと言えるのかどうか、と。
 最後に記事は、9月に予定されている惣流アスカのコンサートで、高畑健児の娘である綾波レイが共演することについて、果たしてこういう事実を知っての上かどうかを問う。もし知っての上であれば、酷く無神経な行為であり、知らないとすれば許しがたい無知である。そう記事は締めくくっている。


 赤木音楽事務所は殆どマヒ状態に追い込まれていた。朝から電話は鳴り続け、社員のEメールボックスは全てパンク状態。チケット会員用に設けていたBBSは掲示板荒しの為、閉鎖せざるを得なかった。
 しかも事務所の前には報道陣が詰めかけ、事務所を出入りする全ての人間が質問攻めに会った。
 もっともリツコは手際よく、公開していない通信手段を使用して進行中の仕事は全て問題無く捌いている。

『学校が無い時でよかったわねぇ』

 リツコは嘆息する。
 たまたまオフだった今日はアスカはマンションに居る。

 ***

 いつもどおりの朝食の光景の筈だった。テレビでは朝のニュース番組がやっている。リツコは新聞を読みながら、トーストをかじり、コーヒーを飲む。その横でアスカは、テレビを見ながら朝食を食べ、時折、キャスターの言葉に突っ込みを入れたり、リツコの邪魔をしたり。
 だが、その報道が流れた瞬間、空気は一辺した。
『では、○○スポーツ一面は・・・』
『非運のピアニスト高畑健児の死の真相に迫る!!---赤木音楽事務所の残酷。○○スポーツによると、12年前ニューヨークで客死した天才ピアニスト高畑健児の死には、同じ赤木音楽事務所のピアニスト故惣流キョウコ氏が関与していたとのことです。この悲劇には同事務所のアーティスト管理に問題があった可能性があると指摘。
 では次は・・・』

「な、なんですって?!」
「何・・・」

 画面から流れる無情な言葉。
 呆然とするアスカに。

「アスカ、今日は家に居なさい!
 誰が来てもドアを開けないこと!!」

 そういうとリツコは急いで身支度を始めた。ここもすぐに報道陣が押し寄せるだろう。

 ***

 高畑が音楽界を去るに至った事情は母から聞いていた。しかし、その死の原因まではリツコも詳しいことは知らなかった。
 高畑に充分報いることが出来なかったことを母は死ぬまで悔いていた。だからリツコもレイに引け目は感じていたものの、まさかアスカの母がそれに絡んでいるとは思いも依らなかったのだ。
 リツコが動転しなかったのは、アスカが居たこと、そして多忙さに気が紛れていたことによる。だが、あのまま家に残したアスカがどう感じているかは分らなかった。
 ふと、リツコがゲンドウがあの時、何かを言い淀んだ事を思い出した。
 彼は知っていたのだ。
 いずれマスコミが、そのことを取り上げるに違いないことも。


「何だって!!」

 ついさっきまで朦朧としながら、レイから差し出されたトーストをかじっていたシンジがいきなり立ち上がって、叫んだ。
 テレビのニュース。ほんの数秒の事ながら、記事の異常さはシンジの眠気を吹き飛ばすのに充分だった。
 しばしシンジは呆然と立ちすくんでテレビの画面を見つめていた。そこではもうとっくに別のニュースが取り上げられている。はっと気付いて、シンジは静かにコーヒーを飲んでいる従妹の方を見やる。
 レイはまるでシンジが叫んだことにも気付かなかったように、平然としている。いつもの表情の乏しいレイだった。
 一瞬シンジは自分が夢を見ていたのでは無いか、と疑う。だが、立ち上がって叫んだのは夢ではない。そうして敢えて、レイはシンジの行動を無視している。
 それは、ニュースが事実であり、且つレイは疾うに知っていたことの紛れもない証拠だった。シンジの脳裏にコンクールの日の非情なレイの姿が思い出された。何時の間にか、日常の中で埋もれていた記憶。心打ち解けたと思っていたのに、その実、シンジは彼女のことを何も分っていなかった事に気付く。

「綾波!。
 まさか、復讐するつもりじゃ・・・」
「愚問ね!
 そんな低レベルなことは考えてないわ」

 レイの答えは素早く鋭かった。
 シンジの顔を見据える冷たい視線。紅い瞳の底に深く暗い色を見出してシンジは背筋に寒気が走るのを覚えた。

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