▼第二十九章

 その時、彼はそれまでの人生の中で最高の演奏を成し遂げつつあった。しかし一方で、その人生で最悪の演奏でもあった。

 ***

 これまでも父親の演奏は何度も聴いたことはある。正直言って、クラッシックはごめんこうむりたい方だったので、庵原は何を演奏されても、同じ曲に聞こえてしまう。それでも父の演奏会には良く顔を出していた。
『心配だから』
 他人から聞かれる事もあるが、答えはいつもそんなものだった。

 ***

 明らかに途中から空気が変わった。空気が澄み切って、心地良い冷たさが体をすり抜けて行く。時は音となり、音は時そのものになる。旋律を、響きを、リズムを聴いている。しかし何も聴いていない。何故なら時の流れが音そのものだからだ。呼吸することと聴くと言う行為が一つになっている。

 光。

 庵原の見る光景に、特に変わった変化は見られなかった。しかし確かに庵原は光を見ていた。空気が光っている。
 庵原自身は、決してその曲を理解していた訳ではない。相変わらずそれは他の曲と同じように聞こえる曲の1つでしかない。だがそう聞こえる筈のその音は、はっきりと違うものになっていた。体が震えた。恐れとも悦びともつかぬ感情が息苦しい程に庵原を捉えた。

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 国際的評価は得られはしなかったものの、庵原の父、庵原義彦は日本国内では、音楽界の重鎮的存在だった。長く都内の放送局系オーケストラの主席チェロ奏者を務め、傍らで弦楽四重奏団も主催、リサイタルも定期的に行っていた。
 同期の冬月がソリストとして海外で名声を勝ち得て行く道を進んだのに対し、庵原はあくまで国内で地道に活動を続けて来たのだった。
 今日のリサイタルでは、丁度日本に里帰り公演を果たした惣流キョウコが伴奏のピアニストを務めている。異例なことではあるが、庵原の父と、惣流キョウコの"格"からすれば釣合の取れぬ物ではなかった。カーネギーホールでの突然の代役で一躍脚光を浴びたとは言え、惣流キョウコ自身は未だ駆け出しに過ぎない。そして今回の伴奏の企画を薦めたのは、冬月だった。友人のリサイタルへのはなむけとして、特別に赤木音楽事務所にこの話を持ちかけたのである。

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 リサイタルの最終曲に選ばれたのは、小品ではあったがショパンのチェロソナタ。ショパンの若い頃に書かれた数少いピアノ以外の為の器楽曲だ。この選曲は惣流キョウコへの配慮でもあった。伴奏者もまた音楽的に面白いものを、と庵原義彦からの心遣いだった。
 彼は何度も演奏したことのある、この曲を伴奏者と最後に余裕で楽しむ事で演奏会を心地よく締めくくろうとしたのだった。
 だが、ほんの数小節ソロが始まるや、庵原義彦はすぐに異常に気付いた。はっとして顔を上げキョウコの方を見るが、彼女はそれまでと特に変わった様子は無い。しかし、彼はまるで音に強制されるように感じていた。次に鳴るべき音が全て、彼の意図とは関係なく、はっきりと脳裏に浮かび上がり、抗いようのない強制力で弓を操って行く。その結果産まれる音楽は、そんな弾き方があったのか、と思わず唸りたくなるような新鮮さで彼を打ちのめした。彼は恐慌に駆られた。自分の体と心がまるで庵原の自由にはならない。庵原義彦、とい
う人間は今や奏者の肉体を制御する力を奪われ、脳の片隅に追い遣られてしまった。そこで、ただ起こっている事態を見るだけの存在にまで縮小された。
 今ここで鳴っている音楽は、もはや庵原義彦という人間とは全く関係が無かった。
 そしてその音楽は、美しかった。

 ***

 演奏が終り、庵原義彦は呆然として立ち上がり、機械的におじぎをする。場内の喝采は、それが並々ならぬ演奏であったことを物語っている。いや何よりも、奏者の肉体の中で聴いた庵原義彦自身が、それを深く感じていた。
 だが、庵原義彦というプレイヤーはそれに何の寄与もしていないのだ。

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 庵原の父は、そのまま舞台から引き上げると鳴り止まぬ拍手にも関らず、とうとう二度と舞台には戻らなかった。
 庵原は不思議に思った。サービス精神の旺盛な、あの父がアンコールに答えないことなど、未だかって無かったからだ。
 やがて聴衆が三々五々帰り始めると、庵原は急いで父の楽屋へ向かった。

 ***

 その日を境に、庵原義彦は崩壊した。
 演奏会からの帰路をずっと押し黙って帰宅した父は、誰にも話をしようとしなかった。翌日、父は所属していたオーケストラに長期の休暇を願い出た。何故と問い詰める庵原の母に対し、父は悲しそうな、そしてどこか辛そうな笑みを浮かべたまま、何も答えようとはしなかった。
 弦楽四重奏団の方の活動も停止し、そのまま家に籠もってどこへも行かなくなった。家では殆どの時間を音楽室で過ごしたが、楽器を弾いている気配は無かった。
 さすがにレッスンの方は断る訳には行かず、毎週何人かの弟子が家を訪れたが、それとて以前とは打って代わった投げ遣りな態度で、学生達を失望させた。
 身なりは殆ど構わなくなり、ぼさぼさの髪は乱れるままに、衣服も1つの服をだらしなく着続けた。母がそのことで父を難詰しても、父はうるさそうに顔を背けるだけだった。

 ***

 最早、父は、まともな精神状態でないことが暫くして明らかになって行く。
 目は虚ろで、人の話は殆ど聞いていない。突然奇声を発することはともかくも、話す内容自体が、最早辻褄の合わない内容ばかりになっていったからだ。

 ***

 どうしたものか、と家族が思案に暮れているうちに、とうとう事件が起こってしまった。レッスンを受けに訪れた女子学生に、音楽室内で暴行を働いてしまったのだ。
 悲鳴に驚いて、家人が音楽室に飛びこんだとき、そこにはネックから折れてしまったチェロと、衣服を引きちぎられ半裸になった女子学生の上に覆いかぶさっている、下半身を剥き出しにした父の姿があった。
 父はやってきた家族を一瞥したが、特に気に止めることなく、行為を続けようとした。
 慌てて庵原は母と一緒に、父を学生から引きはがした。
 体をまるめて泣きじゃくる学生の横で、引き離された父はぼんやりと歌を歌って座っていた。メロディーはまるで分らない程音痴な歌で、ぼそぼそと歌われる歌が、良く知っている童謡であると気付くまでに庵原は数分を要した。
 異様な光景だった。気の狂った父の横で、露わになった胸を隠そうともせ
ず、泣き続ける学生。その白い胸に、庵原は異常な興奮を覚えた。

 ***

 それからの庵原家は悲惨を絵に書いたような没落の一途を辿る。
 父の入院費の捻出、学生との示談の為の賠償金。いずれも、収入が断たれた庵原家にとっては大きな負担だった。結局家・土地は売り払って賠償金を支払い、母は働きに出るようになった。やがて庵原が大学に入って間もなく、過労が元で母は死亡した。
 その年の末、父も入院先の精神病院で肺炎をこじらせて死んだ。

 ***

 庵原には何が起こったのか理解できなかった。分っていたのは、惣流キョウコとの、あの演奏が父を崩壊へ追い遣ったということだけだ。
 惣流キョウコに怨みは無かった。彼女が何かをした訳ではない。父はあの時何かに"出会ってしまった"に違いない。それが偶々、惣流キョウコという形となって表れただけのことだ。
 それよりも彼が、理解できなかったのは、何故父があんな目に会わねばならなかったのか、という事だ。一体父に何の落度があったと言うのだろう。
 勤勉で実直な男だった筈だ。
 真面目を絵に書いたような人間だった。暇さえあれば練習に余念が無かった。傲慢な男ではなかった。いつも自分に厳しく、決して他人に自分を押しつけようとはしなかった。そうして本当は庵原にとって何よりも嬉しかったことに、父はあの日まで、幸福な男だった。自分の好きなことを仕事とし、それに全身全霊をこめて打ち込んで来た。そのことを自覚していたからこそ、傲慢さの微塵もない人間だった。
 庵原も、丁度その年齢の青年のするように、父に反発し、訳もなく反抗してみせたりした。特に父よりも母の血を濃く受け継いだのかスポーツの方が性が合っている庵原にとって、良く分らない音楽に、あれ程情熱を傾けていられることを妬ましく思ったせいもある。
 けれど、壊されなければならない理由など、
 どこにも

 無い。


 "碇舞が資産家の綾波家の長男に嫁いだのは、双子の姉ユイの結婚の直後だった。高畑や、ゲンドウ、惣流キョウコ、ユイといった個性の強い集団の中で舞は、大人しく目立たない存在だったようだ。だが夫の転勤に付いてニューヨークに移り住んだ彼女は、そこで始めて真剣に恋をした。
 全てを失った高畑は薬物中毒となっていた。そして偶然彼に出会った舞は、彼の為にアパートを借り、頻繁に訪れてはかいがいしく看護を続けた。夫は仕事に忙しく、その寂しさをまぎらわすためだったのかもしれない。
 やがて舞は妊娠する。
 彼女の妊娠を知った高畑は彼女と逃げることを決意。ボストンへと駆け落ちし、そこで彼女は女児を出産した。名前はレイと付けられた。

 ***

 幸福は長く続かなかった。失踪した妻の捜索願いが出されていた。そして警察によって彼女は保護される。それからどんな修羅場を経たのかは不明だが、高畑は再び消息を断ち、舞は綾波氏の元に引き戻された。ただそれまでの償いのつもりか綾波氏は自分の子供でないことを承知でレイを認知した。暫くの間、破局し掛かったこの夫婦はそれまでの損失を取り戻すかのように、親子三人の幸せな家庭生活を送った。だが半年程経ったある日、綾波氏は路上で暴漢襲われ死亡。ショックの余り舞は精神を病む。舞とレイは綾波家に引き取られて帰国したものの、事の経緯を知る綾波家の人々は親子に冷たかった。再三、離縁を迫られたある日、舞は首を吊って死ぬ。綾波家に高畑が現れたのはその数日後の事だった。彼は娘を連れ、どこへとも無く姿を消した。
 厄介払いができたとばかり綾波家では、警察に届ける事もなかったという。"

 ***

「何だよ、こりゃあ?!!」

 不機嫌な顔の編集長が唸った。

「続編です」

 悪びれずに庵原は言う。

「阿呆か!!!。
 こんな昼のメロドラマみたいな記事載せられるかい!」
「まぁ、そういわれちゃ、返す言葉も無いっす」
「だいたい、このネタじゃもう読者は引っ張れねぇよ。
 こないだのは、ちょっと面白かったから載せては見たけどよ。
 第一、碇ゲンドウの縁者が絡むんじゃ、ちょっとなぁ。
 本紙の方が良い顔しねぇぞ」

 ○○スポーツも、実は大手日刊紙系列なので、本紙の方の文化欄担当の御意向に背く訳には行かないのである。誰が見ても一見して、複雑な家庭事情が想像できる綾波レイに、どこも取材をかけなかったのも、こうしたマスコミ各社の力関係によるのだ。犯罪者でもなんでもない、碇ゲンドウの姪を興味本位に取り上げることなど出来ない相談だった。

「ですが、この辺がこの事件の肝なんすけどねぇ」
「おま、
 これ、普通は下手すりゃ、この娘殺すぜ。
 それにこの娘、ゲンドウの姪じゃねーか」
「・・・・そうかもしれませんが・・・
 俺には、別にスキャンダルに思えないんすよ」
「そんなもん、読者が喜ぶと思うかよ!!」
「じゃ、もっとえげつなく書きゃいいんですか?」
「ばか!!
 そんなこと言ってねぇだろうが」

 編集長は次第に、訳の分らないこの問答に嫌気がさしてきている。そもそも庵原が何故、この件に拘るかが全く分らない。しかも拘るにしても、とうに昔の事件を「真面目に」扱おうというのだ。
 最初は、単なる天才ピアニストのスキャンダルネタだった筈だ。庵原も、その線で読者の無責任な興味に迎合するような、ほのめかしを散りばめた軽い記事を書いた。
 とは言え、たかだか、それは相手がぼろを出さなければ2、3日で忘れられてしまうようなどうでもいい記事だった。スポーツでめぼしい記事が無かったからこその穴埋めに過ぎない。その次の記事も、業界大手の音楽事務所の非道っぷりを報じたものとして、辛うじて取り上げるに値する内容だった。
 だが高畑健児の過去を純粋に洗い出すだけでは、"今"との関係が全く見えてこない。

「悪いが、これは没にさせてもらうからな」
「はぁ、しょうがないっすね」

 庵原はほっとする。
 断られる為に書いたようなものだ。自分の中に立ち騒ぐどうにもならないものを鎮める為に記事を書き、その記事が他に害を及ぼさないよう没にしてもらう為に。

「それはそうと、碇ゲンドウが記者会見を開くらしい」
「はぁ、そうなんすか?」
「何だよ、やる気ねえなあ。
 いいか、こんな古くせぇ昼メロみたいな話し書いてないで、ゲンドウの会見行って来い。その記事で、もうこのネタは打ちきりだからな」
「いいっすよ。
 もういい加減塩時だと思ってましたから」

 ***

 本当のところ自分が何をしたいのか、庵原にも分っていなかった。
 最初は、偶然飛びこんで来た惣流アスカのネタに、ちょっと意地悪を仕掛けてやる程度のつもりだった。あの位の嫌がらせを、惣流キョウコの娘にする権利くらいはあると思ったからだ。
 だが、柳に言われて調べて行くうちに、庵原は高畑健児と言う男に惹かれていた。理不尽に音楽から突き放されて行く運命が、父の想い出と重なって見えた。
 父が破滅しなければならない理由をどこにも見出せないのと同様に、高畑という男がかくも悲惨な末路を辿らねばならないと言う理由が、全く思い付かなかった。音楽というものが、これ程に血に餓えているというのだろうか?。そのようにしてまで、掴みたい何かがあるというのだろうか?。
 庵原は、父や高畑健児が忘れ去られて行くことが堪えられなかった。
 最後の父の演奏に見た光を、決して忘れてはならないのだ。父や高畑のように、破れ去って行った者達全員を、思い出してやりたかった。
 いや本当は音楽の神が居るとすれば、その神こそ、そうする責めを負っている筈だ。

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