▼第三十五章

 庵原は、音楽が進むうちに、思わず目頭が熱くなるのを覚えた。
 それは確かに父の弾いた音だった。
 そして最後に弾いた曲だった。
 自分には、音楽には全く素養が無いと思っていたが、刻明にかつて聴いた音楽を庵原は正確に覚えていた。そしてシンジは正しくCDで聴いた庵原義彦の演奏を再現している。
 今になって、父の最後の演奏と、CDで聴かせていた演奏との違いがはっきり理解出来た。
 言葉で説明するのは難しい。
 だがシンジが今聴かせている演奏は、あの日の演奏に今に至り得るだろう、そんな演奏だった。やがて来る完成が、当人にとって悲劇となることなど、当時の父には予想もしない事だったろう。しかし、大事なのは、あの日庵原がこの耳で聴いた演奏は、父と無関係なものでは無く、むしろ本来的に父の心の中から溢れ出て来るべきだったものだという事だ。

 シンジは一楽章、二楽章と進んで行く内に、庵原義彦の演奏の中に潜んでいる種子を探り当てて、それを育むところまでし始めていた。庵原義彦の演奏の再現としては、それはまずいのだろうが、しかしそうすることがより庵原義彦の演奏を伝える事になるだろう。
 三楽章のラルゴで奏でられる深い響きに、庵原はあの日の光が目の前に甦るのを感じていた。
 父はこの光を求めて進んで行ったのだ。
 例えそれがどのような形であったとしても、そこに辿り着き得た父が不幸であったとは決して言えないだろう。
 庵原の目からは涙が流れ出していた。心の凝りがすっかり融けて流れ出してしまうのではないかと思われる程。

 それは涼々しい心地よさだった。

 ***

 演奏は何時の間にか終っていた。
 夏の遅い夕暮れが、夜へと移り行こうとし始めていた。

「ありがとう」

 庵原は一言そういうのがやっとだった。
 父はこれまで憐れみの対象であり、彼に不幸をもたらした人間でしかなかった。だが、本当は、彼が本当に求めていたものを理解してやるべきだったのだ。
 庵原は立ち上がり、言った。

「どうもお邪魔しました。
 もうあなた達に付きまとうことも、あなた達の記事を書くことも無いでしょう」

 そう言ってシンジとアスカに握手を求めた。

「ね、教えて。
 さっきの話のピアニストって、じゃあ誰だったの?」

 庵原は微笑んだ。

「それは、もうどうでも良い事なんですよ」
「でも・・・」
「ええ、それは大事な事ではない」

 それから、ふと思い出して言う。

「もう始まっている頃です。
 今日は碇ゲンドウ氏の記者会見があったんですよ。
 高畑さんの件についての。
 実を言うとね、編集長にはそっちを取材しろって言われてたんですが・・・
 もう間に合わないな。ははは」

 ***

 庵原が帰宅したのは深夜になってからだった。
 既に妻は寝ているのだろう。室内には灯りはなかった。
 帰路、途中で見付けたレコード店で、父の演奏のCDを探してみたところ、偶然にもシンジが言っていたものと思われるCDが見付かった。
 これまでチェロの曲など家で聴いたことは無かったのだが、買わずには居られなかった。無論妻に聴かせることなど無理だろうと思うと、少し哀しかった。

 ***

 一人リビングのソファに座り、プレーヤにCDをセットし、音量を絞って聴き始める。ヘッドフォンで聴いた方が、妻にも聴こえずに済んで良い。だが今はこうして聴きたい気分だった。
 庵原はグラスに注いだウィスキーを一気にあおると、そのままソファに横たわった。一日中歩き回った足の疲れが今になって、重く感じられる。目を閉じると、じっと音楽に耳を澄ませた。

 ***

 妻と付き合い始めたころの事を思い出した。それは、到底付き合い始めるなどというものでは無いだろう。
 何故なら、その頃彼女は庵原の父から受けた暴行がショックで、精神病院に入院していたのだから。
 父の犯した罪の償いの為?。
 確かに庵原はそう言って近付いた。だが、本当はあの時覚えた異常な興奮に惹かれていたに過ぎない。庵原にとって彼女は、あの事件によってのみ特別な存在たり得た。いや、あの時以降彼にとって女"性"とは、そういう存在以外のものでは無かった。
 加害者の息子である以上、彼女の家族は庵原が近付くこと自体を拒絶した。病院側も、家族からの強い申し入れがある以上、庵原に面会を許すことは無かった。だが、彼は諦めなかった。諦められなかった。
 何度も訪れては拒絶される毎日を繰り返している内に。庵原の父は死亡した。
 会うことを許されたのは通い始めて一年が過ぎた頃だった。

 ***

 何故、彼女の症状が悪化するのかを実のところ、彼は正確に知っていたのかも知れない。彼女を愛する為には彼女が被害者であらねばならない。あの経験そのものに常に立ち帰ることを彼の愛は強要するのだ。その愛情は、彼女の外面的に特性にも、彼女の内面にも依らない、ただ一度の事件だけがもたらしたものだ。それを彼女は敏感に感じとるのだろう。
 彼は彼女を求め、そして彼女が生きようとすることを、生きるために忘却しようとすることを拒否するのだ。

 ***

 気が付くと、庵原の向かいに誰かが座っていた。
 彼女だった。

「これ、お父様の演奏ね」

 穏やかな言葉に、庵原は驚いて起き上がる。

「お前、大丈夫、なのか?」

 庵原の目の前に居る彼女の顔は、穏やかだ。
 それは、正常だった頃の彼女だった。

「ええ、大丈夫よ。
 懐かしいわ。
 まるで昨日の事のよう・・・」

 心配していたフラッシュバックによる発作は起きなかった。
 庵原はやさしげな表情で音楽に耳を傾ける妻を哀しい思いで見詰めた。
 庵原には良く分っていた。
 これが躁から鬱へと切り替わる際の、一時的な小康状態でしかないことを。
 これからもっと辛い時期がやって来る。

「ねぇ、あなた・・・」
「ん?」
「私、もう一度チェロを弾きたい」
「え?、だって・・」
「お願い」

 何時にない真剣な妻の眼差しに庵原は、何かが変わろうしているのを感じていた。
 自分も、彼女も。
 奇妙な変化だった。
 チェロも庵原の父の思い出も、彼女が拒否したい過去の一部だ。
 そこへ彼女は回帰しようとするのだ。だがそれは被害者としての回帰ではない。有り得たであろう時間への回帰。そして、庵原にとっては、それこそ完全にあの事件を消去するであろう回帰だ。
 彼は、はっきりと自覚した。彼が、彼女にチェロと接することを禁じた本当の動機が何であったのかを。本当は、発作を誘発していたのは彼の恐怖だったのだ。

「ああ、そうだな・・・・
 いいかもしれない」

 なぜか、庵原は恐怖を感じなかった。それとともに、切ないほど彼女を求める気持がこみ上げて来る。

「いいの?。
 やったぁ!!」

 満面に笑みを浮かべた彼女の顔を見ながら、庵原は今はこの感情に任せてみようかと思い始めている。


 記者会見場は、先日のアスカの記者会見と同様、文化欄担当記者達が中心となっていた。芸能担当記者も散見されたものの、ゲンドウが出て来た以上、最早、ゴシップ扱いでは許されない話題になっていることを悟って、大方のメディアは手を引いてしまっているのだろう。記者席には空席が目立った。また、文化欄担当とは言いつつも、来ている記者達の多くが、役席者クラスであって謂わばメディア各社側の表敬意図は明らかだった。
 これをもっても、ゲンドウの登場でこの事件はとっくに幕を引かれていることが分ろうと言うものだ。

「今回のことはもっと早くに公表すれば良かったと思っています。そうすれば、既に故人である惣流君も、高畑君も、このような誤解に曝されることはなかっただろうと。そうすることは二人の友人であった私自身の務めでした。
 ただ日々の忙しさを言い訳に今日まで来てしまったことは、一重に私の不徳の致すところです」

 ゲンドウは、低い声で一言一言はっきりと話した。

「実を言うと、当時、高畑君の死の詳細の発表を差し止めさせたのは私です。
 私は、その悲劇が勝手な興味を巻き起こすのを好まなかった。彼の死は私と惣流君に、それこそ恐慌に近いショックを与えた事件でした。ご存知かとも思いますが、私はその場に居合わせていました。
 彼が息を引き取ったのは私の腕の中でした」

 会場内はじっとゲンドウの言葉を待ち、勝手な質問が上る気配もない。

「高畑君が、あの時、何をしようとしていたのか、一体何が起こったのか、正直今でも良く分りません。ただこれだけは断言出来る。彼は惣流君に復讐しようと考えていなかったのだ、と。
 ただ私の目の前で起こったことは、彼が近付いて来、突然銃声が響き、そして倒れた、という事だけです。その後で現場は大混乱となり、果たして警察側が主張していたように、彼が惣流君に襲い掛かろうとして見えたのかどうかは、分りませんでした」
「確かに、当時彼は困窮していた。
 第一線の演奏活動には一切背を向けていたのだから、無理もありません。ですが、演奏家としての彼は健在でした。
 彼は決して潰されたわけではない。
 潰れた訳でも無いのです」
「この点は少し順序立ててお話しましょう。
 惣流君が代役に立った、あの演奏会の日、彼が泥酔して発見されていたのは事実です。
 またその頃の彼の演奏がやや荒れていたのも多くの方が指摘する通りです。
 ですが、それは苛酷なスケジュールが彼の修練妨げたからではない。
 学生時代から高畑君というのは、どんな機会も自分の成長の糧とする驚異的な才能を持っていました。私は彼から、天才というのは要するに成長することの天才なのだ、という事を教わりました。彼は忙しかろうが、暇であろうが決して後退することは無い。そんな男です。
 まして忙しいと言っても、演奏することに忙しいのであってみれば、その全ての瞬間を彼自身の成長に使う事が出来た筈です。同じ曲を連日演奏会で演奏しても、彼の演奏は日々、変わって行く。日々深みを増して行くのです。
 そんな男が潰れる訳が有りませんでした。
 私達は、しばしば会っていましたので、彼が潰されていないことは私自身が私の目で見ていることです。
 赤木音楽事務所は始めてのクライバーンコンクール優勝者のマネージメントに苦労していたのは確かです。赤木ナオコ社長を始めとして、当時の社員の方々は彼に負担が掛かりすぎない様、大変な努力を払っていました。特に米国内での活動ではマスコミ対策が重要で、連日の取材・テレビ出演要求を如何に捌くかに苦慮されていました。
 彼が演奏会をキャンセルし、赤木音楽事務所との契約を解消した時、赤木ナオコ社長は充分な対応を出来なかった事を大変悔いていらっしゃった。ですが、彼が一線を退いた原因はそれとは全く関係の無い事柄によるものです」
「彼が悩んでいたのは、彼の演奏会に押し寄せる聴衆達が決して、彼が聴かせたい人々ではないという事でした。彼は、常に自分の演奏を通じて人々の中へ入って行こうと考える男でしたから、着飾ってそれこそ社交上の嗜みとしてのみ演奏会へやってくる人間を歓迎はしませんでした。どんなに真剣に演奏しようと、そしてそういう人々でさえも感動させ得たとしても、彼は自分の真に伝えたいものが、伝わっているとは思えなかったのです。
 私はある演奏会の後、ダウンタウンのバーに飛びこみ、延々とピアノを弾きまくっていた姿を思い出します。店の客の殆どはクラッシック音楽とは無縁な人々でした。そんな人々を相手に彼は請われるままに、あらゆる音楽を弾いていました。時にはこれは自分の好きな曲だからと言って、クラッシック音楽も演奏していました。そんなときには却って客には大変受けていましたよ。
 あれが本当に彼のやりたい音楽だったとすると、当時の連日の演奏会が彼にどんな苦悩を与えていたのかが朧気ながら分って来るのです。
 ですから、演奏会をキャンセルして以降の彼の進んだ道は、彼が選んだものだった」
「一部では、彼が薬物中毒だったと言う話しが伝えられていますが、これは悪意に満ちたでっちあげです。
 彼は大変困窮していました。
 が、演奏活動は決して止めませんでした。
 養護施設や老人ホーム、裏町の教会、あるいは酒場等でピアノを弾き続けていました。
 こんな生活は彼の体に大きな負担を強いる結果になりました。
 その為に一時期入院していたことがあります。
 しかし決して薬物中毒などでは無かった。
 ・・・・・
 これが高畑健児と言う稀有の演奏家の本当の姿です」

 ゲンドウは、そこで口を閉じ、手前に組んだ手をじっと見詰めるばかりだった。
 彼は、これ以上話すつもりは無いのだということを記者達は理解していた。
 もっとも、それでは今回の騒ぎの真相の半分しか答えていない。惣流キョウコと高畑の関係については何も答えていないのは明らかだ。
 だが、それを問うことは、記者達には躊躇われた。
 高畑が、惣流キョウコに復讐するつもりが無かったとすれば、そして暗に彼の死が、惣流キョウコとの圧轢に起因するものではないとゲンドウが主張するとすれば、確かに、高畑と惣流キョウコとのロマンスなど、興味本位の疑問に過ぎない。

 ***

 リツコは、会場の一番後ろの壁に立って居た。
 記者達の注目を集めるのを避ける為、会見が始まるぎりぎりになってそっと会場に入ったのだった。

『きっと、これは記事にはならないわね』

 確かにゲンドウの発言は、あの記事の主張を全て否定するものだ。だが、それ以上の情報は本当のところ与えては居ない。彼の発言は、その全文を掲載するか、ほんの数行にまとめてしまう以外には、記事になりそうにない代物だった。そしてそれがゲンドウの意図するところなのは明らかだ。
 要するにマスコミを黙らせてしまえば良い。記事にならなければ、レイの過去について詮索されることも無いだろう。
 司会者は会場から質問を促した。
 しかし、一部の芸能担当記者がおずおずと挙手しようとしたものの、周囲から制されて結局、質問がされることは無かった。

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