▼第三十九章 |
1 |
……どうして、わたしはあんな事を言ってしまったのだろう。リツコさんにあんな態度を取るべきではないのに。それに碇君にどうして顔を合わせたくないと思ってしまうのだろう。碇君が嫌なのではない。それどころか、会えなくなると想像するだけで恐怖で体が震えてくる。なのに目を合わせたくない。わたしはどうしてしまったんだろう。 |
レイはリツコに会った日以来、自分の中にどうにもならない感情が渦巻いているのを感じていた。苛立ちのような、強い憧れのような、なんとも手に負えない感情はどうもシンジに結び付いているようだ。シンジのことがどうしても頭から離れない。それなのに、シンジについて何を思っているのかもはっきりしない。 レイは知っていた。 だから、コンチェルトでそれが発動仕かけても驚きはしなかった。いや、本当は別の意味で驚いていた。 知ってはいたけれど、半信半疑だった。 だが目の辺りにした時、突然自分とシンジが、強く結びつけられているのを意識し始めたのだ。もとより、この瞬間に立ち会う為に自分は居たのだから。 |
2 |
「Uh La La!! Attention!! どうして、いつもそう同じ色ばっかりで弾く?!」 厳しい叱責の声が響く。 「くっ!」 覚悟はして居たとは言え、これほどに絞られるとは思っていなかった自分の甘さが腹立たしい。 |
空港に出迎えてくれたシュッツ先生は、いかにも好好爺然とした老人だった。完全に白くなった髪はとうに頭頂部を見放している。太っては居ないものの、小柄なフランス人の中でも小さく見え、全体としてどうしてもまん丸い印象だ。垂れた目尻に、丸い鼻はさながら御伽噺に出てくる優しいお爺さんである。 ベージュ色のジャンパーの下に青灰色のセータ、グレーのスラックスと言うラフな姿は、音楽家というよりも、労働者を思わせる。この穏やかな人物が、故国での激動の政変を潜り抜けて、フランスに亡命したという波瀾万丈の人生を送ってきたのだとは、到底信じられない。 「やあ、ようこそ。 待ってましたよ」 アクセントは妙だが、紛れもない日本語である。 「日本語ですね」 「そ、ボクの奥さん日本語の先生だったから」 「ああ、それでお上手なんですね」 「うん、レイを育てるんで日本語必要だった」 「え?」 「だってレイ日本人。日本語話せるようにしてあげないとね。 日本に帰って困らないように、毎日日本語で話してあげた。 どう? レイ元気してる?」 「ええ、元気でした」 「そう、良かった」 「荷物、これだけ?」 「ええ」 「少ない。女の子の荷物、もっと多いと思ってたのに」 「そうなんですか?」 「レイも少なかったけど」 そう言いながら、シュッツはアスカのトランクを軽がる受け取ると、アスカを促して歩き始める。 「車乗っても酔わない?」 「ええ、大丈夫です」 「そう、良かった」 アスカは、なぜそんな質問をされるのか訝しんだ、がその疑問はすぐに解けた。 |
そもそも、フランス国内で、ローバーミニに乗っている点からして変だ。 「ハンドルの位置、日本と同じですね」 「そう。これだと、スリルあるね」 「?」 その瞬間、猛烈な勢いで車は発進した。 「アスカ! 舌噛まないように」 「え? ええええ?」 急激な加速でアスカは動転している。思わず、運転席のシュッツの顔を見て、アスカは覚悟を決めた。目がつり上がってる。明かにヤバい。 |
殆んど前に見えた車は全て追い越し、信号無視すること数回、渋滞が嫌だと舗道の上を逆走すること一回の末、ようやくシュッツの家の前で車が止まった時、アスカは引きつっていた顔の筋肉が痺れているのを感じていた。ジェットコースターに乗った後のように、がくがくと膝が笑っている。 「どう!? 楽しかった?」 シュッツはご満悦の様子だ。 「ええ、何とか」 とアスカは答えたものの、胃の辺りがむかむかしている。 「長旅で、大分お疲れね。 ちょっと部屋で休むといい。 その後で昼食。それからレッスン。 OK?」 「お、OK」 自分でも目がうつろなのが分かる。とんでもない初日となってしまった。 |
昼食はシュッツ氏手づから作ったパスタだった。要するに典型的なやもめ男の手抜き料理である。ボールに無造作に盛られたものをめいめいが、自分の皿にとって食べる。 「あなたは、来月にリサイタルをすることになってるから、すぐにでもレッスンしましょう」 アスカは食欲が余りない。旅の疲れもあったが、いささかこの料理にはげんなりしたのである。わざわざ作ってくれたのは有難かった。だがもともと食の細い方だ。ただでさえ機内食の、こってりした味付けに辟易していところに、追い打ちのようにミートソース(らしきもの)であえただけのパスタと来たものである。ひきつった笑みを浮かべながら、ようやく最初の一口を口に運ぼうとしている所だった。その様子を見てシュッツはにっこり笑っていった。 「いま、マリーおばさん、買いものいってるね。 夕方には帰ってくるから夕食は期待していいよ。 わたし作れるのこれだけだから」 マリーおばさんと言うのは、住み込みの家政婦でシュッツの身の回りの世話をしている女性のことである。アスカはほっとする、が露骨に顔に出たらしい。シュッツは大笑いする。 「でも、わたしの料理、そんなに悪くない。食べてみて」 アスカは意を決して一口を口に含んだ。驚いたことに、さっぱりしている。見掛けから想像されるような油っこさは微塵も無い。 「おいしい……」 「ね?」 シュッツはウィンクしてみせる。 これがあの火のような演奏をした男と同一人物なのだ。だが、穏やかなパスタの味付けと、血の出そうに繊細で激しい演奏とに不思議な共通点も感じられた。 |
レッスンは実戦的に行こうということで、リサイタルで予定されている曲目を題材にすることになった。体の芯に疲れが残っている感じはしたものの、アスカは体の奥から、ピアノに向たい欲求を感じていた。 リサイタルの曲目は、現地の赤木音楽事務所の駐在員事務所の方から、提案があったラインナップからリツコとともに選んだものだ。地元のテレビ局とともにスポンサーとなっている日系企業及び、日本のテレビ局からの意向を含んでいる。というのも、今回の演奏会の模様は日系企業の冠付きの企画となっており、地元のテレビ局はそれをフランス国内で放送する他、日本のテレビ局は演奏会の模様に加えて、新進のピアニストのフランス進出のドキュメンタリ番組まで放送する予定だった。様々な企業のタイアップによる企画であることに、アスカは抵抗を覚えていたものの、そこに演奏会がある以上、いつもと同じように、心踊るような期待感もある。それに、アスカについては概ねスポンサー企業は自由にやらせてくれている。これは他の演奏家に比べれば随分恵まれている方だ。よほど大家でもない限り、無趣味な日本企業の経営者はやたら、名曲の小品を演目にかけたがるのが普通だったからだ。そういう点では、ショスタコービチの手記で描かれていた、共産党のお偉方の分かる曲を演奏しなければならない共産党時代のソビエトの音楽家達と、日本のクラッシック音楽の演奏家は良く似た立場にあると言って良い。ただし日本の演奏家はスポンサーに背いたところでシベリア送りになる心配は無かったが。 「じゃあ、全部弾いて聴かせて」 シュッツはレッスン室の壁際に椅子を引き寄せるとそこに腰を下ろし、目を閉じる。 「さぁ、始めて」 「はい」 アスカは深呼吸すると、演奏を始めた。 |
スクリャービン、メシアン、ラベルというラインナップは、確かにフランスを意識したとは言え、かなり玄人趣味であって、並の演奏者では聴衆に難行苦行を強いることにもなりかねない代物だ。だが、アスカにはそれなりの自信があった。これまでの演奏活動の中で、一見難解な曲目であろうと、不思議とアスカにはその音のパズルに潜んでいる叙情性を的確に引き出せるだけの力量が養われていた。だからこそ敢えて、およそ叙情性とは縁遠いメシアンの宗教曲を取り上げても居る。一方で日本でのラベルの演奏はしばしば過剰な雰囲気の装飾に堕しがちなのに対してアスカは、金属的とも言える皮肉と諧謔の乾いたウィットをたっぷりと盛り込んだクリアな音世界を作って見せることが出来る数少ない演奏者の一人だった。ラベルのソナタを演奏会の終曲に持ってきているのも、これこそアスカ自らが心血注いで彫り出したアスカだけのラベルだからだった。最初からアスカはフランスの楽壇に挑戦的なのだ。 ところがアスカにとっては、ウォームアップのつもりだったスクリャービンの時から、シュッツの表情は曇っていた。メシアンの時には、さも居心地が悪そうに何度も体を揺らしていた。遂にラベルの一楽章の再現部が始まるや、ついにシュッツは立ち上がって叫んだ。 「もう結構!! あなたが何を言いたいかは、よーく分かった。 もう聴かなくても、それだけなんどもはっきり聴かされれば十分だ!!」 アスカは、シュッツの言葉の意味が分からず、呆然と彼の顔を見つめている。 が、やがて自分が否定されたことに気付くと、怒りがこみ上げてきた。 「ど、どこが悪いって言うんで……」 食ってかかりかけて、ようやく厳しい表情のシュッツの目が酷く悲しげなことに気付いた。シュッツは、脱力して椅子にすとんと座ると、穏やかな声で言う。 「音楽は……言葉じゃない。そんな安っぽいものではないです。 何かを主張したり何かを伝えることと、音楽は全く別のもの……。 だから言葉であることも出来る。 でも言葉に過ぎなかったらば……なぜこんなことに人生をかける必要があるんでしょう」 シュッツの目はアスカを見ていない。じっとアスカとシュッツの間の床を見ながら自分に言い聞かせるように話していた。 「確かに、あなたは素晴らしい演奏家だ。 その才能は疑えない。 どの曲も、独創的でありながら作曲家の意図したところを的確に引き出している……。 でも、音楽がそんなものだとしたら、何故何度も人は聴こうとするのでしょう。 音楽が作曲家と演奏家のものだとしたら、人間はどこに行ってしまったらいいんでしょう」 「先生、わたしには分かりません。先生が何を言いたいのか……」 「……」 シュッツはじっと耳を澄ますかのように押し黙っている。アスカはじっと次の言葉を待っている。どれくらい時間が過ぎただろうか。シュッツは明るい笑みを浮かべて優しい眼差しでアスカを見た。 「日本の僧侶は鐘の音を聴きながら、音の消えていく先を聴こうとしたそうですね」 アスカは以前そんな話を誰かに聞いた覚えがする。誰だっただろうか。 「わたしは、あなたにどう伝えて良いのか考えあぐねています。でも、これであなたに何を伝えるべきかはっきりしました」 シュッツは立ち上がると、顎に手をあて、考えながらなんども、アスカの前を行ったり来たりした。 「”是汝学得底。如何汝見得底”」 言いにくそうに漢文のような言葉をシュッツは言った。一体、彼はどれだけ日本語を学んだのだろう? 「この言葉をご存知ですか?」 「知りません」 「これはあなたが学んだもの。ではあなたが見たものはどうした? という意味だそうです。三百年前の僧侶の修行時代のお話だと聞きました」 「はぁ」 碧眼の東欧人に仏教徒の話をパリ郊外で聞かされている。しかもピアノのレッスンで、だ。考えてみるとシュール極まり無い。が、シュッツの物言いには不自然なところは何も無い。 「そういう訳で、とにかくやってみましょう。 では、ラベルのソナタから」 「はい」 |
最初の四小節で止められてしまった。 「全部の音は、全部別々の個性だと思って弾いてみて」 「え?」 「あなたのだと、一色に塗りつぶされてるね。音はみんな個々に自分の命持ってる。 だから一度、全部生かして聴かせて。 まとめるのはそれから」 「え? え?」 細かいアルペッジョの上にメロディーが乗っている楽句だ。確かに多くの音が寄せ木細工のように組上がっては居るものの、どうやっても、細かな音が集まって一つのラインを描いて見せる他は無い。ところがそれを全部分解せよ、とシュッツは言う。 「分からない?」 「や、やってみます」 アスカは、懸命にシュッツの言うことをイメージしてみようとする。なんとなく分かるような気もするが、どうしても具体的な音を思い描けない。意を決してとにかく音を出してみることにした。 「Alor,Alor! やっぱり分かってないね」 「……はい」 認めざるを得ない。 「こんな風」 そういうとシュッツは弾き始めた。 アスカは、息を呑んだ。クリアなタッチで音が紡がれる。が、それはまるで街の雑踏のよう。様々な年齢の、思い思いの装いの人々が、てんでに色んな方向に歩いている。あるいは互いに会話を交わしたり、ぼんやりと立ち止まっている。その上を爽やかな風が吹いていく。 「どう?」 「は、はい……やってみます」 弾いてみると驚いたことに、さっきよりも大分シュッツの弾いたものに近い音がした。が、続けていくとすぐに元の単色の世界に戻ってしまう。酷く集中力を要するようだ。と同時にアスカはこれに近い音の世界を以前経験したことを思い出した。 そう。 テレビの収録で、ゲンドウと時田と共演した時のことだ。だがあの時は古典ものだった。ラベルよりも一層、こんな真似をするに向かない曲だ。しかもチェロには地味なパッセージしか割り当てられていないハイドンの曲で、こんな芸当をするのがどんなに大変なことか、今更ながらに気付いた。 そんな事を考えていると、すぐさまシュッツの叱責が飛ぶ。 「また、元に戻ってる!!」 こうして一楽章全部を通し終った時には、八時を回っていた。 |
2 |
「ハートフォードは気付いたようだな」 グンデマーロの執務室で、ロドリゲスは飾り棚に置かれた趣味の悪い楽士の人形を弄びながら言った。 「当然だろう。俺の師匠だぜ」 机に足を投げ出した格好で、グンデマーロが答える。ネクタイを緩めてはいるが、太り過ぎの首にカラーが痛そうだ。 「いいのか?」 「何が?」 「”掃射のハートフォード”が指をくわえてみているとは思えんがな」 「大丈夫さ。確たる証拠も無しには動けんよ」 「阿吽の呼吸か」 「何だって?」 「いや、何でもない」 確かにグンデマーロの言うように、この状況でUFC側の打ち手は全く無いと言って良い。 もっともいささか危険な手段だが、グンデマーロ側がどんな手も使えないように暗殺してしまうという方策が無いではない。グンデマーロ達のクーデターを支援した連中が、同じ手を使うに躊躇する必要もないだろう。 だがUFCはそうしないだろう。何故ならハートフォードという男は究極のところで正義を信じているような人物だからだ。それよりもロドリゲスの眼から見てむしろ危険なのはバリモアの方だ。 表舞台だけを歩いてきたおぼっちゃまに違い無い。だからグンデマーロは馬鹿にしているが、一方で心底冷血な人間というものはどんな育ちをしようと危険なものだ。ロドリゲスには、バリモアという男はそういうところがあるように感じられてならない。ハートフォードの指導力が衰えればそれだけバリモアの危険性は増すだろう。 「ところで」 とロドリゲスは厳しい眼をして切り出した。 「何だ?」 グンデマーロは鼻歌を歌いながら、ネクタイを振り回している。 「知っていたのか?」 「何のことだ?」 グンデマーロはロドリゲスの方を見向きもしないが、それが既にロドリゲスが何を切り出そうとしているかをとっくに承知していることを表してしまっている。 「お前、連中がイスラム資本だってことを知っていたな?」 「ほー、それは初耳だ。 俺の知ってる限りじゃ、多くはスイス系の資本家だって話だがなぁ」 「マネーロンダングの為の口座がねぇ」 「何を言ってる。 正真正銘、あれは実在の人物の口座さ。取り引きをどこまでトラックしても何も出てこんさ」 「ふん、白を切るならそれでも構わないが、下手すれば、アメリカが武力介入する口実を提供することになるってことは覚えておくんだな」 「スイスのお金持ちの叔父さんの為にか? 悪い冗談だな」 宗教的狂信は数百年という長い年月をも容易に堪えさせるものだ。どんな犯罪組織と言えど彼らのように息の長い作戦や謀略を遂行はできやしない。だが彼らはやり遂げるのだ。一代でできなければ彼らの子供や孫達が連綿と受け継いでいく。コーランの許さない金融取り引きもそれが聖戦の武器となるならば、躊躇されることは無い。ユーロマネー市場はそうした戦士達にとって格好の拠点なのだ。オイルマネーが世界市場を席捲する遥か昔から、彼らは武器として使える資金の流れを構築してきていた。スイスの銀行界がマネーロンダリングの定番と成っていった裏にはこうしたイスラム系資本の暗躍があった。彼らはこの闇の回路の利用者どころか実は、開設に預った胴元の一つなのである。 二十世紀後半に相次いだイスラム過激派テロは、こうした静かに潜航する闘争から外れた連中の行なった子供時見た突発事件に過ぎない。聖戦の本隊はその間に世界中に巨大な組織を構築してしまっていたのだ。 ロドリゲス、いや加持良治はミサトとともに、パレスチナに潜伏していた頃に、そうした組織の末流の一端に接触していた。そうして加持の見るところ、パドルーはそうした末端組織の一つだった。余りにヨーロッパ社会に融け込んでいる。まるでスペインのモハラベのように、彼らはそうやって潜伏しつつ父祖から受け継いだ狂信に基づいて、いつか抱えた爆弾を爆発させようとしているのだ。 もっとも暗闘はとっくに始まっている。ユダヤ系資本に支援されたアメリカは、そこかしこで対抗テロを続けている。捌き方を間違えればA国はそれに巻き込まれてしまい兼ねない。 |
3 |
学校に行き、その帰りに予備校、帰ってから遅い夕食をとり、それから深夜まで練習。碇シンジの生活は相変わらず判を押したように同じ毎日を繰り返す。週末にはマヤのところにレッスンに赴き、また週によってはマヤの主催する室内楽団のメンバーとして活動する。だが、その繰返しは着実に一定の帰結に向かっている。残された時間は後6ケ月も無いだろう。高校生で居られるのは後わずかそれだけなのだ。 「はぁーなんや、あっと言う間やったなぁ、高校生活も」 「まだ半年近くあるよ」 「そんなん、なんの慰めにもなれへんわい。もう半年しか無いねんで」 学校の中庭の芝生(当然立ち入り禁止なのだが)に寝転がってトウジは天を仰ぐ。抜けるような秋晴れ。 「でも、彼女できたじゃない」 シンジは意地悪く言ってみる。 「か、彼女ちゃう!! あれはやな、なんつーか幼馴染みっちゅうか、その」 トウジは否定するが、顔は真っ赤になっている。 「そんなん、言うけどお前かて、綾波やら、あの惣流やら、両手に花やんけ」 と反撃に転じる。 「両手に花なんてそんな……」 「なんや、そうちゃう言うんなら、どっちが本命なんや?」 「本命なんていないよ」 一応アスカが恋人ってことになるんだけど、とシンジは思ったがトウジの反応を思って口にはしない。それに、どうも恋人という実感が湧かない。自分だったらとても今のトウジのような反応はしないだろう。予備校で何度か、「幼馴染み」という彼女に会っている。「委員長」とトウジが呼ぶその女性に対しての、彼の態度を見ればはっきりと彼自身が恋をしていると知れた。だが自分を顧みても、とてもアスカに対してあんな風になるとは思えないのだ。 「どないしたん。暗い顔して」 「そ、そうかな?」 「どっちも本命やないちゅうことは、どっちからも振られたんか?」 「そんなこともないけど」 「なら、どっちや。はっきりせー」 「はっきりさせるも何も、何にもないんだから」 「そら、変やでぇ。健康な男子高校生が、あないな美女のそばに居ってやなぁ、なんも思わんてのは嘘や」 「そうなんだ。じゃあトウジは、綾波が側に居たらそんな気になるんだ」 「阿呆、わいは、もう委員長がおるわい」 「あ、やっぱりそういう関係?」 「げっ、はめよったな!!」 「あはは、ごめん、でもトウジは正直だねぇ」 「なんやと、このぉ!!」 こんな日々が一番望ましいのに、時間は容赦なく進んでいく。本当のところ、トウジ以上にシンジの方が、残された時間の少なさを切に感じていた。未だこのままで居たいという思いと、一方でアスカはフランスで着実に自分の道を切り拓いているのに、自分だけ取り残されていると言う焦燥感とが交錯する。だが、アスカのところまで到達するには道は余りに曖昧で遥かに見える。周囲からその才能を十二分に認められているにも関わらず、こんなことを思うのは贅沢だと言われるかもしれない。だが、行方の茫漠さはどんな才能とも無縁だ。ただ将来という名前も顔もない何者かが横たわっている。心許ない。頼りない。自分ができることと、将来との接点が見つからない。 「また、暗うなっとるなぁ」 「え、あ、ごめん」 「謝られてもなあ」 昼休み終了を知らせるチャイムの音が高く空に舞上がっていく。 |
実はこの一カ月程、アスカからは全く電話もメールも無かった。携帯は使えないので、アスカはメールをする為、サブノートパソコンを持っていった筈だ。だが一通のメールも来ない。シンジの方から出そうと思ったものの、いざ書こうとして余りに詰まらない事しか思いつかず結局書かず仕舞いになっている。毎日が同じ日々。こんな話をアスカが喜ぶとも思えない。 平穏無事な毎日がこんなに恥ずかしいなんて。 そう思ってシンジはため息を吐くしかなかった。 |
4 |
コンセルバトワールの方は、聴講生という身分だったので好きなコースを(定員に空きがあれば)取ることができた。卒業単位や、有力な教師に認められることなど、普通の学生なら目の色を変えなければならないようなことは一切無縁。ただ本当に学びたいことのみを取れば良いのだ。と言っても、シュッツの教えを請いに留学しているのであるから、そちらの方がメインとなるのは言うまでもない。ほぼ毎日午後はシュッツの時間が取れるので、極力レッスンの時間に充てることとし、午前に1、2コマを受講することでスケジュールを立てた。 月曜はボワモルティエ夫人のクラブサンのコース。火曜はゴール氏による宗教音楽伴奏法、水曜日はシュレンベルガ氏による室内楽のコース。木曜はモンペルティエ博士の音楽美学の講座。金曜は、一般の生徒と同じ資格でシュッツ氏に学校のスタジオでレッスン、というラインナップだ。日本に居るとどうしても手薄になり勝ちな宗教音楽や、バロック音楽を重視している。なお、宗教音楽伴奏法はシュッツが特にフランス音楽を理解したければ是非、受講するように勧めたものだ。なんでも、19世紀のフランス音楽教育の基礎を作ったニメルデイエルの教本をベースにした講座が未だに続いているものだという。 確かにニメルデイエルの著作及びその教育が無ければいわゆる”フランス音楽”は到底存在していなかっただろう。19世紀末の”印象派”音楽は、しばしば東洋音楽との関係を云々されるが実際のところは、グレゴリオ聖歌を始めとするバロック以前、和声学の成立以前の教会音楽の研究から起こっていることは余り知られていない。 ニメルデイエルは、19世紀にはすっかり影が薄くなってしまった単旋律音楽を甦らせる為に、如何にしてそれに和声を付けるべきかについて極めて独創的な研究を行なった。そしてそれを一冊の著作にして世に問うと同時に、自ら音楽学校を興し自分の理論に基づく教育を実践していったのである。当然、こうした音楽は後世のポリフォニーや和声音楽のような調性を持っていない。それは和声や調と言うものとは別の、旋法というシステムに従っている。この異なる体系の音楽を如何にして和声音楽に取り込むかという問には、もとより、正解は有り得ない。それは、ただ天才的な独創をもってしてしか解決し得ない。そして、ニメルデイエルは、この仕事にうってつけの天才だった。サブドミナントの優位を基本とする、フランス風の調性は実にこの伴奏法を身に付けた作曲家達が自然に生み出していったものなのである。 ドビュッシーの音楽、例えば映像曲集の「塔」を見てみよう。明かにこの曲は、作曲者が東洋趣味を意図したものだ。だから5音音階を採用している。しかし一方で随所に見られるのはむしろ、ギリシャの旋法なのである。この上にまったくニメルデイエルの教本の理論通りに和声を適用しているのが、この音楽なのだ。 他のもっと東洋趣味の少ない曲ではこの構造はもっとはっきりとしている。にも関わらず、それは宗教音楽的ではないし、それまでの音楽、特にドイツ古典派の音楽の調性とは全く異なって、儚げで移ろい易い掴みどころ無い和声となり、その上で西洋音楽のより古層が地中海に起源を持つせいか、より”東洋”を感じさせるものとなっている。 だがそれは、西洋音楽の伝統を徹底的に追求した結果なのである。 これは19世紀後半にシェーンベルクらが始めた12音音楽が、やはり古典音楽の和声と形式をとことん追求した結果から生まれたのと同じなのである。 どちらも自らの本質に沈潜した結果、まったく自らの”古典”とは似ても似つかぬ世界を見出し、これが現代音楽を切り拓いた。まさに伝統こそが真の革新の源泉であることの証左なのである。 アスカにとってこうした生きた伝統に生で触れられる毎日は、新鮮な驚きで満ちていた。これまでも無論、多くの教師や先達の教えに接しながら学んできてはいたし、またプロの演奏家として一人立ちしている以上、アスカ自身が個々の楽曲を追求して自ら掴みとった本質というものの蓄積があった。しかし、そうしたものの意義が改めて理解され安心できたと同時に、もっと早くにこうした知識に接していればと悔やまれもした。ただ、いずれにせよ、自分自身が音楽家としての見識と嗅覚に従って掴んできたものが正しかったことが分かると深い自信が生まれてくるのだった。 |
学校へは、バスと地下鉄を乗り継いで通っている。シュッツはしきりに車での送迎を勧めるのだが、初日のジェットコースターばりの運転の後では、ありがたく受ける気にもなれなかったので、断った。それにせっかくフランスに来たのだから自分の足で歩き、肌でフランスを感じたかった。 |
とは言え、思いがけず、それが難しいことを思い知らされた。その原因は街のあちこちにでかでかと貼られているアスカのリサイタルのポスターにある。ポスターはアスカの等身大の写真が使われている。だからすぐに街を歩く人々は、アスカがあのポスターの人物であることに気付いてしまう。不躾に追い回したりする輩は居なかったものの、握手やサインを求められること再三に及び、遂にアスカは髪型を変えサングラスをかけざるを得なくなった。 学校内でも、史上最年少のリーズコンクール優勝者が注目を集めない訳はなかった。とは言えさすがに学校内で変装し通すことなど出来ないので、こちらの方は我慢することにした。 |
いずれにしろリサイタルまではあと半月。 生活も勉強もレッスンも完全にフル稼働状態の日々は充実しているものの、全く余裕はなかった。 なにしろこんな次第なので、アスカはシンジに一度も連絡を取っていないことに気付いたのは、到着して2週間経ってからのことだった。 |
5 |
これまでレイは、マヤの室内合奏団の演奏会に聞きには来なかった。レイから見ればそれは、あくまでシンジにとって仕事でしかないので、というのが表向きの理由だが、本当のところマヤが苦手だったからでもある。 それに最近ではマヤが余りにシンジにべたべたと付きまとう感じが強くなってからは、余計にマヤに対する不快感を募らせているようだ。 そんな訳なので、その日シンジは演奏会が終って客がみな三々五々帰っていく中で客席最後部に座り続けているレイの姿に、大いに驚いたのである。 |
余計な人員を雇う余裕のないこの団では、演奏会の為のセッティングと撤収作業も楽団自らが行なうのである。ただし殆んどが一番年若いシンジにお鉢が回るのであるが。 だから、その日も客が続々と席を立って帰っていくさ中にシンジは、舞台の上で譜面台と椅子の撤収作業を黙々と行なっていたのである。 シンジは驚いて、舞台を飛び降り、レイのところまで飛んでいく。 「綾波! 来てくれたんだ!」 「ええ。いい演奏会だったわ」 「本当にそう思ってる?」 「ええ、嘘はいわないわ」 「そう、じゃ良かった」 「そういう碇君自身、どう思ってる?」 「うん、良く分かんない」 とシンジは屈託なく笑った。レイの言葉に秘められている微かな毒には気付いていない。正直、ここでの演奏の良し悪しはシンジにも何とも言えない。マヤに頼まれて出演しているけれど、多くの曲をこなさねばならず、かてて加えて他人とのアンサンブルについては未だ余り飲み込めていないせいもある。従ってソロの場合なら持てている自分の演奏に対する客観的な耳は、働いていない。今のところ、合わせていくことの面白さが少しづつ分かりかけてきた、と言うに等しい。先日のアスカのリサイタルでの共演では、念入りな練習でこなしたとは言え、まだアンサンブルそのものの実力は未だしなのである。 |
マヤの楽団の構成は室内弦楽オーケストラが出来る程度のものである。バイオリンは1st、2nd各二プルト、ビオラ、チェロは1プルト(チェロはマヤとシンジである)、それにその時の曲に応じてコントラバスが1本。これが正式メンバの全てである。後は客演で管楽器奏者が加わることもある。 演奏会では弦楽合奏曲の他、八重奏(要するにダブルカルテットだが)、カルテットの曲を組み合わせてプログラムを組んでいる。 シンジは今のところカルテットは組ませて貰っていない。一度、ラズモフスキーの練習でマヤに代わって参加したことがあるけれど、楽譜から器用にその時その時の役割を読みとっての動作は、どうにもマヤには及ばなかった。出している音に集中していれば良いソロと異なり、ここでは正しく「人間関係」が演奏を決めると言って良い。四人の奏者同士で交わされる様々なサインを読みとりながら、出来上がって行く音を共有し行き先をリアルタイムで決めていく作業に、シンジは面食らった。これに比べれば、あの三重奏は、なんとも単純化された相互作用しか無かったことか(もっとも、これはアンサンブルのやりかたという点での難しさであって、本質的に三人であの曲をこなすことの難しさは、生半可な実力では太刀打ち出来ない代物なのだが)。 という訳で今のところ比較的大きな規模の曲での参加となっている。アンサンブルというのは面白い事に、大抵編成の大きなものになるほど、プレーヤ間の相互作用は集権的でシステマチックに単純化されるものだからだ。例えば、弦楽合奏曲の場合、イン(内側)に座っているシンジはほぼ、マヤの動きだけを気にしていれば良く、それだけでも十分効果的な演奏が可能となる。一方でマヤは各パートのトップとの間の調整を心がけるのだ。他のパートも同様にトップの動きに合わせているのである。 シンジは最近ようやく、マヤに付けるだけでなく、マヤが他のパートと取り交わす様々な”サイン”にまで気を配れるようになってきたところなのである。そこまで回りが聞けるようになってくると、今は演奏の出来よりも、アンサンブルすることの面白さの方が勝って感じられるのである。 |
レイはため息をついて、質問を変える。恐らく彼女はシンジよりも現在のシンジの状況を把握している。 「そう、じゃ、今日は楽しかった?」 「うん、楽しかった」 少しはにかみながらシンジは答える。それは演奏家として、聴衆の満足よりも実際には自分の満足ばかり気を取られてしまっている自分への恥らいのようなものも含んでいる。 「あら、珍しいわね」 とレイの背後から声をかけたのはリツコだった。 その後ろにはマヤが付いてきている。 「あら、レイちゃん、来てくれたの?」 マヤは嬉しそうだ。 師弟で、こういう点の屈託無さは同じなのである。いやある意味で鈍いというべきか。 「今晩わ、リツコさん、マヤさん」 レイは、おじぎをする。いささか堅苦しい挨拶はレイのいつもの事ではあるが、シンジには、急にレイからさっきまでの柔らかさが喪われたように感じられた。 「今までは聴きに来なかったのに、今日は監視?」 リツコの言葉の意味はシンジには分からなかったけれど、なんとなく冷たいものを感じて、思わずリツコの顔を見上げる。 「まさか。 わたしは碇君と一緒に帰りたかったから。 リツコさんの方こそ、そうじゃないんですか?」 「あら、この楽団はうちの事務所でマネージしてるの。社長が現場に来てもおかしくはないでしょう?」 「熱心ですね、ご担当の方にお任せになればいいのに」 「仕事が好きなのよ」 明かにリツコとレイの会話には刺があったので、シンジとマヤは二人の間に立って、おろおろしてしまう。こういう所まで、この師弟はそっくりなのである。 「碇君、一緒に帰りましょ。待ってるから」 「あ、うん、それじゃ僕、かたづけしてくるから」 そういうとシンジはそそくさと舞台裏に戻っていく。それはレイの言葉に「外せ」というメッセージを読みとったからでもあるのだが、一方でいたたまれない雰囲気から逃げだしたかったせいでもある。 「あ、それならレイちゃん、楽屋のロビーで待ってた方がいいですよ」 とマヤが気を効かせて言う。 「ありがとうございます」 「場所、分かる?案内しましょうか?」 「はい、お願いします」 それからレイは、リツコに向かってにっこり笑うと 「それじゃ、わたしこれで失礼します」 と言いい、マヤに連れられて楽屋口に歩いていった。リツコは鋭い眼差しで立ち去って行くレイを見つめていたが、嘆息してつぶやく。 「あくまでも教えるつもりは無い、ということか」 |
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