ペットロスと言う言葉が有ります。文字どおりペットに先立たれてしまうことです。たいていのペットは、人間よりもはるかに短命です。また、事故や病気で急に無くしてしまうことが有ります。ペットを心の拠り所としてきた人たちには、心に大きな穴の空いてしまい、何もすることが出来なくなってしまうでしょう。
私にも、ペットロスの経験が有ります。
まだ、幼稚園か小学校の低学年の頃、父親が何処からか犬をもらってきました。種類は分かりません。断尾された短いしっぽとロングヘアー、ブラックタンの模様だけが記憶に有ります。大きさは、子供の頃の私でもそんなに大きく感じなかったので、ミニチュアダックスフントくらいの大きさだったと思います。私はその犬に”犬一(けんいち)”と言う名前を付けて、可愛がりました。と言っても、当時は散歩に連れて行くとかそんな事は出来なくて、ただ繋がれている犬をなでるだけでした。それでも、私の顔をぺろぺろなめてくれました。
ある日、原因は分かりませんが、犬一が鎖から解き放たれてしまったのです。私は泣きながら探し回ったことを覚えています。そして、草の中に、血まみれでうずくまる犬一が発見されました。前足からは、骨が剥き出ていました。多分、大型犬と喧嘩でもしたのでしょう。親は、もうとても助からないし、面倒も見切れないと判断し、犬一を処分したようです。(明確に親から話しは聞いていませんが、多分そうでしょう)ある日、突然家から犬一が消えてしまい、私はまた逃げ出したのかと、ずいぶんあちこち探し回った記憶が有ります。どうやって、諦めたのかは覚えていません。気が付けば立ち直っていました。ただ、ずいぶんとめそめそしていたのだけは覚えています。
それから数年後、小学生の高学年になった頃、子犬を拾ってきました。雑種の雌犬です。茶色い、柴犬の様な毛をしていました。推定4ヶ月くらいだったでしょうか。私はその犬に”ちび”と言う名を付け、親に頼み込んで家で飼ってもらうことにしました。ちょうど父親が入院中で寂しかった時でも有りました。ちょうど、子供雑誌に載っていた犬の飼い方の本を見ながら、ブラシで毛の手入れをしたり、散歩させたり、食事を与えたりして育てました。
子犬は、すくすくと大きくなり、気が付けば、ちびは妊娠していました。そして、子犬を生みました。父親が子犬のために、柵を作って遊び場を作ってくれました。ある日、この子犬たちの内の一匹、私が”犬一”と名づけた犬が交通事故に遭いました。2,3日泣いていたのを覚えています。そして、仏壇に自分で書いた2代目犬一の絵をずっと置いていました。この子は、自宅の裏庭に産めてあげました。命日には毎年、この家を引っ越すまで、お線香をあげていました。結局ちびは2回子供を産んでいます。手元には、2回目のお産で生まれた、茶色のオスの子犬が残りました。
ちびもまたこの後、行方不明になってしまいました。やはり、ちびを探し回って、付近を自転車に乗って捜しまわったことを覚えています。ただ、今回は手元に子犬が残っていたせいか、犬一(両方)の時ほど、寂しい思いはしなかった様に思います。伝染病にかかってしまい、助からないと見た両親が処分してしまったことは、成人してから聞きました。
さて、最後に残ったオス犬、名前を”タロ”と名づけました。これは、私が今まで飼ってきた犬の中で、ほぼ、一生を面倒見た子でした。8歳くらいの時には、フィラリアにやられてしまい、頚動脈からカンシを突っ込んで、心臓の中に溜まったフィラリア虫を取り除く大手術を受けました。この時は、手術の次の日には無事に退院してきました。私にはとてもなついていた、そして友達の少なかった私には、かけがえの無い遊び相手でもありました。
こんなタロの最後を私は見取ってあげることが出来ませんでした。ちょうど大学に進学し、学生寮住まいでかつ貧乏学生で、鹿児島から熊本に帰る為の汽車賃さえも出せない程でした。妹からの電話で、突然の訃報を聞いた時には愕然としたことを覚えています。ちょっと前の帰省の時には、まだまだ元気な様子だったのに、、、急に老け込んできて、亡くなる前の日には、いつもがつがつ食べていた餌も、全く手を付けていなかったそうです。タロは今、私の実家の大きな木の根元で静かに眠っています。帰省のたびに私はこのあたりの草を刈り、線香を上げて、冥福を祈っています。ちょうど、父親がこの後大病で数ヶ月入院しました。きっと、家族に迷惑かけないように、先に行ったんだよと母が言っていました。
昨今のペットブームで、ペットロスの問題がクローズアップされています。そして今、私の手元には、またいずれ失ってしまうかもしれない小さな命が有ります。私に何事も何事も無ければ、この子のほうが先に、行ってしまうのです。もちろん、それは、RIESAを飼う時に分かっていたことですし、それは家内も娘も納得しているはずです。
ダックスフントのMLの中である方が、”虹の橋”と言う詩を紹介されていました。このかたは、自分のペットを亡くされた時に、海外の知り合いから教えて頂いたそうです。この詩を読んで、感動と何らかの安心を得ました。
犬一や、ちびやタロは、今虹の橋で楽しく暮らしていて、そしていつかやってくる私を待ってくれていると信じています。また、RIESAが行ってしまった時、私と私の家族を虹の橋で待ってくれると信じたいです。
Rainbow Bridgeの原文はこちらです。
私の拙い英語力で訳した日本語訳です。
Rainbow Bridgeへの原文へのポインタです。
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