一人の少年がリニアに乗っていた。
シートにもたれ、S−DATを聴きながら、少年は身体に心地良い震動を感じていた。
少年は、ぼんやりと車内の天井を見ていた。
まだ、あどけなさの残る顔立ち。
第3新東京市。
少年は、自分をココに呼び出した存在、父の姿を記憶の中に追う。
すべてを拒絶するかのように、幼かった自分に背を向けた父。
覚えている『父』の記憶はただ、それだけだった。
カチリと、S−DATが音を立てる。
すぐに別の曲が流れ出す。
もう、何度も聴いた曲。
少年は音など聴いていなかった。
それは少年がすでに関心を失ってしまっていたからだ。
学生服のズボンのポケットから、一枚の紙切れを少年は取り出す。
一度破り、また貼り付けた、くしゃくしゃになってしまった紙。
たった一言、たった一言だけ父の言葉がそこには書かれていた。
「来い。・・・・・かぁ・・・・・・」
ポツリと、少年はつぶやいた。
誰もいない車内。
それは、何度となく繰り返した少年の行動だった。
同じ時、一人の少年と、少女が同時に目を見開いた。
少年は水槽の中でただよいながら、
少女は傷ついた身体を病室のベットに横たえながら。
二人とも深紅の瞳を見開いて、まったく同時に同じ人の名を呼んだ。
「シンジ君・・・・・」
「碇君・・・・・」
歯車は回りだす。
一人の少年には初めての、
少年と少女には二回目の・・・・・
未来への歯車が。
寂しがり屋な子供達
第一話
紅ノ瞳
じっとりと、暑い風が少年の体をなで上げる。
額にうっすらと浮かんだ汗をぬぐい、シンジは重そうにスポーツバックを持った。
S−DATは耳からはずしてある。
無人の街。
機械的なアナウンスの声が鳴る。
「本日、12時30分、東海地方を中心とした関東、中部全域に特別非常事態宣言が発令されました。
住民の方々は、すみやかに指定のシェルターへ避難してください。繰り返しお伝えいたします」
「特別非常事態宣言発令のため、現在すべての通常回線は不通となっております」
ガシャンと、音を立てて、シンジは受話器を置いた。
「あぁ、ダメかぁ・・・・・やっぱり、来るんじゃなかった」
ため息まじりにシンジはつぶやいた。
「待ち合わせは無理かぁ。・・・しょうがない、シェルターに行こう」
そう言って、顔を動かしたシンジの視線の先に、一人の少女の姿が映る。
道路の真ん中に、ポツンとたたずむ、薄い色合いの髪の少女。
誰だろう。
その時、電線から飛び立つ鳥の羽音。
一瞬それに気を取られ、再びそこを見たシンジの目にもう少女の姿は存在しなかった。
ドアが開いたまま乗り捨てられたような自動車があちこちに停車している。
そんな町中を右に左に、すばらしいタイミングとスピードで横切る青い車。
アルピーヌ・ルノー。
「よりによってこんな時に見失うだなんて・・・まいったわね」
助手席に置かれている赤いファイル。
その上には、クリップでとめられた少年の写真。
イカリ シンジの名。
シンジは、父からの手紙に同封されていた写真を見た。
映っているのは、プロポーション抜群の、妙齢の女性。
『葛城ミサト』
どうやら、この女性が自分を迎えに来るらしい。
この女性と父との間には、どのような関係があるのだろう。
ふと、そんなことを考えて、シンジは笑った。
父の事を何一つ知らない――知ろうともしなかった自分が、父のことを考えている。
そんな自分が、シンジにはたまらなくおかしかった。
自嘲的に口元を歪める。
その時、ふいに声がかかる。
「何か面白いことでもあったのかい?碇シンジ君」
いきなり聞こえてきた声に、シンジは心底ビックリしてしまった。
慌てて視線をそこに向けると、今度はその人物の容姿にシンジは驚いた。
光を受け、きらめく銀髪。
陶器のように白く、なめらかな肌。
整った顔立ち、涼やかな微笑。
そして何よりも強烈に、鮮やかに、少年を彩る深紅の瞳。
シンジと良く似た学生服。
それを見て、シンジは目の前の人物が少年であることに気付いた。
この暑い気温にも、少年は汗一つかいていない。
深紅の瞳が、シンジをまっすぐに見つめる。
シンジは、思わず、ぼうっとなって言った。
「綺麗な、紅だね」
その時のシンジには目の前の少年に対する警戒心だとか、不信感はまったくなかった。
ただ、吸い込まれてしまいそうな深紅に、シンジは深く惹かれていた。
純粋に、少年の美しさにシンジは見とれていたのだ。
少年が笑みを浮かべると、その優しい微笑みに、シンジは心があたたかくなるのを感じた。
「やっぱりシンジ君は僕の思っていた通りの人だね。好意に値するよ」
「コウイ?」
「好きってことさ」
シンジが驚いて、目を丸くする。
すぐに頬がほんのりと朱に染まり、顔をそむけてしまう。
カヲルはゆっくりとシンジの元へ来ると、ぎゅっとその手を握った。
「あっ・・・・」
ビクリと肩を震わせ、困ったようにシンジは目を伏せる。
「これは一次的接触。最初の心のふれあいさ。君は、一次的接触を極端に避けるね」
カヲルは身をかがめ、うつむいてしまったシンジと目を合わせる。
「人は、心が痛がりだから、傷つくこと、傷つけることを恐れる。君の心は繊細だね。触れれば壊れてしまうガラスのようだ」
シンジの瞳がゆれる。
カヲルは何度もシンジのこの表情を見ている。シンジが困っている時の瞳。
「君は、僕のことを知っているの?」
カヲルは微笑む。シンジの目を見つめながら。
「知っているよ。全部知ってる。君はとても強く、そして弱い。
いつも一人でいたよね。居場所がなかったのだろう?
君は他人が傷つく事より、自分が傷つく事を選ぶ人だから、
とても優しくて、とても不器用だ。
いつもほったらかしにされていて、他人の好意も素直に信じることが出来ない。
行くところがなかったのだろう?
捨てられるのが怖いんだろう?
信じることが出来なくて、でも信じたいと思ってる。
君の心はいつも悲しみに彩られている」
カヲルは、シンジの手を引くと、その身体を優しく抱きよせた。
細く、頼りない華奢な身体。
カヲルは、涙が出そうだった。
「泣いてもいいんだよ。大声で泣いてもいいんだよ、シンジ君。
まだ僕達は子供なんだから。他の誰もが君をわかってくれなくても、
僕達が君をわかってあげられる。君を助けてあげられる。
君を護ることが出来るから・・・・・だから、泣いてもいいんだよ」
シンジが肩を震わせる。カヲルのシャツが温かく湿る。
「ふ・・・うぇ・・・・・・・」
シンジは泣いた。声にならない声が、嗚咽となって溢れ出す。
カヲルは泣きじゃくるシンジの背を優しく撫でていた。
カヲルの紅い瞳からも一筋、涙が零れ落ちる。
二人の少年は、しばし無言で抱きあっていた。
レイは、初号機の中にいた。
実戦で乗ったのは初めてであり、また、最後でもあった。
当然のごとく、シンジの気配を感じることはできない。
この世界では、シンジとレイは面識がなく、
シンジは今回初めてエヴァに乗ることになるのだから。
だがそのかわり、初号機の奥深くに、誰かの気配を感じていた。
碇ユイという女性の気配。
司令が私を通して見ていた女性・・・・・碇君の母親。
碇君が危険な時に目覚め、助けていた人。
碇君と絆を持つ人。絆・・・碇君はあの人とは違う。私を見ていた。
私だけを見ていた。私を必要としてくれた。私は人形じゃない、あなたとは違う。
司令は私を見ていない。あなただけを見ていた。
ユイさん・・・・あなたはそこで、何を思うの?
傷つき、包帯が巻かれた身体から血がにじむ。
LCLに溶けていくそれを見ながら、レイは想う。
自分を認めてくれた、最愛の人を。
――信じられるわけないよ!
――綾波はどうしてエヴァに乗るの?
――綾波が生きていてくれて、嬉しいんだ・・・・
――笑えばいいと思うよ・・・・
――逃げちゃダメだ・・・・・
――誰か僕に優しくしてよ!
彼はとても強く、でもとても弱かった。
レイの心はLCLの中で二人目のレイの最後の想いと混ざり合い、一つになった。
碇君を救いたい。
碇君をわかりたい。
碇君と一つになりたい――。
でも、それではダメだと、レイは思う。
全ての人が一つになった赤い世界で、シンジは他人を恐れながら、それでも『みんな』と生きたいと願った。
他人との境界線が無い世界で、一つになった、とてもとても気持ちのいい世界で、シンジは『他人』の存在を望んだ。
自分を傷つけるかもしれない他人、自分を捨てるかもしれない他人の存在を・・・・・
それでも彼は『望んだ』のだ。
悲しいほどに弱く、強い、たった一人の少年。
――笑えばいいと思うよ・・・・
そう言った彼は泣いていた。泣きながら、微かに笑っていた。
胸が苦しくなるほどに切なく、あたたかい微笑み。
あの時から、レイは想っていた。
自分の命よりも大切な人。
命令ではなく、ずっと護りたいと思った。
二人目のレイは自爆ボタンを押した時、嬉しさとともに、悲しみを感じていた。
碇君を護ることができて嬉しくて、碇君と離れることが悲しくて。
自分の代わりはたくさんいる。
二人目の次は三人目。
自分だって一人目の、オリジナルの綾波レイの代わりなのだから。
できることなら代わりたくなかった。
離れたくなかった。
たぶん、初恋だったのだろう。
赤いLCLの中でレイは小さく息を吐く。
戻ってきた。
一番最初のあの時に。
最後の使徒、カヲルとともに。
レイの目に涙がにじんだ。
すぐにLCLに溶け、消える。
レイは誰にも聞こえないほどの微かな声でつぶやいた。
「今度は離れない・・・・さよならしないわ、碇君・・・・・」
レイの微かなつぶやきは、初号機の中の心に届いた。
そのことには誰も・・・・レイですら気付いていなかった。
「出撃」
NERV総司令の声がケイジに響く。
体にかかるGに小さくうめきながら、レイは前を見つめる。
深紅の瞳に浮かぶのは決意。
そして少女は傷ついた体で、大切な人を護るために戦場へと向かった。
シンジが泣きやむまでカヲルはシンジの背を撫で続けていた。
「落ち着いたかい?」
コクリとシンジがうなずく。
泣いたせいで目は赤くなり、まぶたは少々はれてしまっている。
まだ目尻に浮かんでいる涙を、カヲルが指ではらう。
「おめめがウサギさんだよ、シンジ君」
そう言って笑うカヲルに、シンジが照れてそっぽを向いてしまう。
からかったりするなんてひどいや。
シンジはそう思ったが、不思議と嫌な気はしない。
シンジは今だカヲルに抱きしめられている。
冷静になって考えてみると、これはかなり恥ずかしい。
思わず赤くなり、シンジはカヲルから離れた。
「ねぇ・・・・君は誰?」
「僕?僕はカヲル。渚カヲルだよ」
「渚君はどうして・・・・・」
「カヲルだよ」
「ご、ごめん。カヲル君」
嬉しそうにカヲルは笑う。彼のもっとも自然な、綺麗な笑みで。
「カヲル君はどうして僕のことを知っているの?」
「君のことが好きだから・・・・・それじゃダメかい?」
他人に面と向かって好きだなんて言われたことの無いシンジは、
思いっきり顔を赤らめてしまう。
「なっなんで僕のことが好きなの?僕は君みたいに綺麗じゃないし、性格だって暗いし・・・」
カヲルは、ほんの少し悲しそうに微笑んだ。
「好きって思うことに理由なんて無いよ・・・・・あえて言うならば、僕は君の存在が好きなんだ」
「僕の・・・・存在?」
「そう、君がいるだけで、僕達は幸せなんだ」
「カヲル君は・・・・・・ッ・・・!?」
シンジの声が驚きに変わる。
「時間だ・・・・・・」
カヲルがつぶやいた言葉にシンジは気付かない。
突然の爆音。熱い風。
視線が捕らえる奇怪な巨人。
「何・・・・・あれ・・・・・・」
「使徒と呼ばれる悲しい・・・・・・生き物さ」
「使徒?カヲル君は何を知っているの?」
シンジの問いには答えず、カヲルは遠くを見つめるように目を細める。
カヲルの視線の先には道路をこちらに向かって爆走して来る青いルノー。
「君のお迎えが来たようだね。お別れだ、シンジ君」
シンジも、ルノーに気付いたようだ。
「お別れ?」
「また会えるさ。」
「また、会える・・・・」
「そう、君がそれを望むなら」
カヲルが柔らかく微笑む。
シンジも、はにかんだように笑い返す。
「それじゃ、シンジ君、また会おう!」
カヲルはルノーから逃げるように反対方向に向かって走っていった。
びっくりするほど速く、カヲルの姿はすぐに見えなくなった。
「また会おう・・・・・かぁ・・・」
ほんの少し、シンジが嬉しそうに笑った。
キキィーッっと、ブレーキ音を上げてルノーが止まる。
中から写真に映っていた葛城ミサトという女性がシンジに向かって声を上げた。
「おまたせ、シンジ君っ・・・・・早く乗って・・・!!」
つづく
ムボ〜にも、今はやり(?)の逆行物です。
自分なりに、ほのぼの&HAPPYを目指しています。
最初っから、かなりネタばらし的内容・・・・・・
あまり無いと思って、レイとカヲル、二人が逆行するというお話を作ってしまった。
一応、メイン小説に当たるが、不定期更新。
ごめんちゃい。(笑)
設定、会話はちょっと(かなり?)かえたりしてます。
かなりてきとーだけど、怒らないでね(爆)
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