雪が降っていた。
僕をここに閉じ込めるには十分なだけの、
冷たい雪が。
心象風景
裸足の足の下で溶ける雪。
慣れぬ寒さに、身体は凍えてしまいそう。
吐く息は白く、吹いている風は僕を悪戯にもてあそぶ。
身体中が痛い。
身にまとっているのは、ぼろぼろの白いシャツと、ズボンだけ。
足を守る靴も無い。
僕が持っているのは、赤く光り輝く一つの球だけ。
それ以外、何も無かった。
歩いている途中、包帯を巻いた少女に会った。
右手に僕と同じような赤い球、左手に血塗れの包帯と、眼鏡を大切そうに持っていた。
彼女は僕を見ると、ほんのわずかに微笑んだ。
青みがかった銀髪が、風に吹かれて静かに舞っている。
身体中に巻いた包帯からは、血が滲み出していた。
「こんなにまで傷ついて、どうして君はまだ戦うの?」
僕が聞くと、彼女は不思議そうに首をかしげた。
「あなたはどうして戦わないの?」
彼女の深紅の瞳が僕を射抜く。
「どうして戦わなきゃいけないのさ!」
「怖いの?」
「怖いよ・・・・・・」
「でも、あなたは戦ったわ」
「ただの臆病者さ・・・むやみに足掻いてるだけだよ」
うつむいた僕の視界に、彼女の素足。
大きめの病院服から出た足は、透けるように白くて・・・・・・
雪の白さと、彼女の白。
本当の無垢な白さは、どちらのほう?
「どうしてあなたは戦うの?」
「褒めてくれるんだ。僕が戦うと、褒めてくれるんだ・・・みんなが、父さんが」
「・・・・・・そう、だからあなたは戦うの?」
「僕には、もう、これしか無いから」
「・・・そう」
彼女は、あまり表情を出さない。
人形めいた無表情で、僕の言葉を待っている。
「でも、わからないんだ、怖いんだ。他人が」
「・・・あなたはわかろうとしたの?」
「わかろうとした」
「わからせようとしたの?・・・自分を」
彼女の、淡々とした口調が妙に耳に痛い。
「・・・・・・・・・」
「ヒトは拒絶しあう生き物よ・・・あなたも、そう」
「・・・・・・」
「あの人も・・・そうだったわ」
彼女の左手から、ひび割れた眼鏡が滑り落ちる。
雪に埋もれて、それは消えた。
「彼女も・・・もう、いないの」
血に染まった包帯が音も無く落ちる。
これも、雪にふれて消えた。
「・・・私には、何も無いもの」
彼女の頬を伝う、透明の雫は、涙?
彼女の右手の球だけが、彼女が持つ唯一のもの。
それはほのかに光り、彼女を照らす。
「・・・もう、行くわ」
「どこに?」
「帰るの・・・私が生まれてきた場所へ。帰りたいの」
どこか虚ろな瞳の彼女。
「・・・そこに君は・・・いるの?」
「・・・・・・」
帰ってきたのは沈黙。
「そこに僕は・・・いるの?」
彼女はなにも答えない。
ただ、僕に悲しそうな瞳を向けるだけ。
向かい合った僕と彼女。
その間を冷たい風が通りぬける。
ほんのわずかな距離。
だけど、それはとても遠く、触れる事ができない透明な距離。
見つめあっていた視線を、先に外したのは彼女だった。
「さよなら」
僕のよく知る感情のこもらない声。
僕は今度は止めなかった。
彼女は僕に背を向けると、暗闇の向こうにゆっくりと歩いていった。
開いていく距離が、僕と彼女の距離、そのままに。
しばらく歩くと、髪が長い少女と出会った。
青い瞳はどこか遠くを見るように虚ろだった。
右手には、ひび割れて灰色になった球を大事そうに抱えて、
左手には引き千切られて中綿が飛び出した人形を。
「・・・誰もアタシを見てくれないの」
灰色の球をぼんやりと見つめる瞳。
彼女の着ている赤いコートが風にはためく。
赤い髪に、赤い服。
彼女を鮮やかに彩る色彩。
雪に触れる足は、裸足に赤い靴。
「誰も・・・アタシを・・・・・・」
ふいに彼女は僕に目を向けると、僕の持つ赤い球をじっと見つめた。
「・・・・・・ねぇ、アンタは他に何一つ持ってないくせに、
アタシが本当に欲しかったものだけは持っているのね」
「君も持っていたじゃないか」
かつては赤かった灰色の球。
「ダメなのよォ・・・見てくれないの。誰も必要としてくれないの」
彼女の頭の、赤い髪飾りが消えた。
彼女の、人形をつかむ手に力がこもる。
手に筋が浮くくらい、強く。
「誰もアタシを見ない。誰もアタシの声を聞かない。誰もアタシを必要としない」
それでも彼女は、灰色の球を抱きしめている。
「・・・・・・それでも、君は戦うの?」
「アタシには、それしか無かったもの」
吹雪く風は、彼女を撫で上げる。
冷え切った彼女の心を、僕は溶かすことができない。
「アンタは戦わないの?」
「戦いに何の意味があるのさ・・・」
彼女は虚ろだった瞳に、僕を馬鹿にするような光を浮かべた。
「アンタ、死ぬわね」
「・・・・・・」
彼女の声には、嘲りの色が濃い。
彼女は、僕から目をそらすと、僕の持つ赤い球を見た。
「戦わないやつに・・・戦いから逃げるやつに、それは必要無いわ。戦わないなら、
それ、アタシに頂戴」
僕の持つ赤い球を指差すと、そう、彼女は言った。
「ダメだよ・・・もう、僕にはこれしか無い」
彼女は、僕に無いものをたくさん持っているくせに、
それでも僕の持つものを欲しがる。
僕に唯一残った、この赤い球を。
「・・・そう、くれないのね・・・・・・じゃあ、アンタなんか要らない」
そう言うと、彼女はきびすを返して行ってしまった。
振り返ること無く、
僕をもう一度見ること無く。
また、しばらく歩いていると、空を眺めている一人の少年に出会った。
黒いコートに、きちんとしたシャツとズボン。
右手には赤く点滅する球。
綺麗に磨かれた革靴を履いていた。
彼は、僕を見ると、にっこり笑った。
「やあ」
「君はここで、何をしているの?」
「雪を見てるのさ」
「どうして?」
「雪を見ていたいからだよ」
「ふーん・・・」
彼は僕との会話が終わると、また空を見つめた。
降りゆく雪を、ただただ見ている。
彼の銀色の髪は、雪に濡れていた。
ふと、彼の足元を見てみると、雪が紅い。
彼の左手から滴り落ちる血が、雪を染めていた。
左手首につけられた、幾重にも重なった傷。
「・・・血が出てるよ」
「構わないさ。自分でつけた傷だからね」
「止まらないの?」
「止まらなくていいのさ」
「どうして自分を傷つけるの?」
「他人を傷つけたくないからさ」
そう言って、彼は悲しそうに笑った。
「でも・・・僕は、君が傷ついて欲しくないよ」
僕がそう言うと、彼は顔を曇らせて、首を振った。
「ダメなんだ・・・・・・・・・」
何がそんなに悲しいのか、彼は泣いていた。
「どうして君は泣いているのさ」
「それは君もだろう?なぜ、泣いているんだい?」
問われて初めて気がついた。
僕の頬に流れる雫。
「・・・涙?僕はどうして泣いてるの?」
わからなかった。
自分自身にも。
ただ、ただとても、悲しかった。
彼が近づき、僕の涙を指ではらった。
「君は繊細だね」
「・・・・・・」
「好意に値するよ」
「コウイ?」
「好きってことさ」
「どうして?・・・・・・どうして君は・・・・・・」
雪が紅い。
彼の瞳と同じ色。
「・・・さて、僕はもう行かなくちゃ」
彼が離れていく。
近くになった距離は、また、遠くへ。
「どこに行くの?」
「僕の生まれたところに、だよ」
もう一度だけ彼は雪を見つめ、目を閉じた。
また開いた瞳は、たとえようも無いくらいの、悲しみが浮かんでいた。
悲しみだけが浮かんでいた。
「僕は死のうかと、思うんだ」
「どうして?」
「僕には、何も無いからねぇ・・・だから、死のうと思うんだ」
「でも、君は、僕に無いものをたくさん持っているじゃないか」
彼はやっぱり悲しげに微笑むばかり。
「本当に欲しいものは、手に入らない。僕が本当に欲しかったものは君が持っている。
でも、君はそれに気がついていない。もったいないね」
「僕には、何も無いよ」
「気付いていないだけさ。本当は大切なことなのに」
ゆっくりと、彼は歩き出した。
僕が知らない、僕の知らない、どこかへ行くために。
「それじゃ・・・君が好きだったよ・・・さよなら」
僕は、ぼんやりと、彼の遠くなっていく背中を見つめた。
暗闇の、ずっと向こうに彼の姿は消えていく。
しばらく僕はそこに立っていた。
そして、唐突に気がついた。
頬を流れる涙は、白い雪の上に滴り落ち、しみを作る。
「なんだ・・・僕は、彼らのことが好きだったんだ・・・・・・」
雪が降っていた。
僕をここに閉じ込めるには十分なだけの、
冷たい雪が。
END
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