不気味 房総での地震頻発
東京大学地震研究所 http://www.eri.u-tokyo.ac.jp/ の研究チームは,東日本大震災によって首都圏で地震活動が活発になっている状況を踏まえ,マグニチュード(M)7級の首都直下地震が今後4年以内に約70%の確率で発生するという試算をまとめている。
千葉県 東方沖・北西部を震源地とする地震
7月に入って千葉県を震源地とする地震が,10回発生している。そのうち,震度3の地震が6日に2回,21日に1回の計3回あった。
◆7/21 千葉で震度3
2013年7月21日午後4時3分ごろ、千葉県北東部を震源とする地震があり、千葉県東金市などで震度3の揺れを観測した。気象庁によると、震源の深さは約60キロ。地震の規模(マグニチュード)は4.5と推定される。震源地と主な各地の震度は次の通り。
震源地: 千葉県旭市三川5717−98 (緯度 35.7 経度 140.7)
震度3:千葉県東金市、旭市
震度2:千葉市、茨城県鹿嶋市。(2013/07/21-16:33)
震度3 |
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震度2 |
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source:yahoo地震情報 http://typhoon.yahoo.co.jp/weather/jp/earthquake/
発生時刻 2013年7月6日 7時00分ごろ マグニチュード 4.7
・震源地 千葉県東方沖 ・緯度 北緯35.8度 経度 東経141.1度 深さ 30km
震度3 |
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震度2 |
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・震源地 千葉県北西部(千葉市中央区中央港1-10-1)
緯度 北緯35.6度 経度 東経140.1度 深さ 80km
震度1 |
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◆2013年7月の地震経歴一覧
発生時刻 | 震源地 | マグニ チュード |
最大震度 |
7月22日 11時29分ごろ | 千葉県東方沖 | 3.6 | 1 |
7月21日 16時03分ごろ | 千葉県北東部 | 4.5 | 3 |
7月20日 19時28分ごろ | 千葉県東方沖 | 3.7 | 2 |
7月17日 22時56分ごろ | 千葉県北西部 | 4.1 | 1 |
7月16日 18時35分ごろ | 千葉県東方沖 | 4.2 | 1 |
7月15日 1時07分ごろ | 千葉県南東沖 | 4.1 | 2 |
7月14日 23時42分ごろ | 千葉県北西部 | 3.3 | 1 |
7月7日 10時51分ごろ | 千葉県東方沖 | 4.7 | 3 |
7月6日 7時00分ごろ | 千葉県東方沖 | 4.7 | 3 |
7月6日 4時44分ごろ | 千葉県北西部 | 3.4 | 1 |
source:yahoo地震情報 http://typhoon.yahoo.co.jp/weather/jp/earthquake/
緯度・経度から震源地特定 knecht(クネヒト) http://api.knecht.jp/geocoding
巨大な首都直下地震が今後4年以内に約70%の確率で発生
東京大学地震研究所 http://www.eri.u-tokyo.ac.jp/ の研究チームは,東日本大震災によって首都圏で地震活動が活発になっている状況を踏まえ,マグニチュード(M)7級の首都直下地震が今後4年以内に約70%の確率で発生するという試算をまとめた。
この数字は,首都直下を含む南関東の地震の発生確率を「30年以内に70%程度」としている政府の地震調査研究推進本部の評価に比べ、切迫性の高い予測値である。
2011年3月11日の東日本大震災をきっかけに、首都圏では地震活動が活発化。気象庁の観測によると12月までにM3〜6の地震が平均で1日当たり1.48回発生しており、震災前の約5倍に上っている。
同研究所の平田直(なおし)教授らは、この地震活動に着目。マグニチュードが1上がるごとに、地震の発生頻度が10分の1になるという地震学の経験則を活用し、今後起こりうるM7の発生確率を計算した。
3.11 地震被害 全壊647棟,半壊1537棟,一部損壊13398棟
3.11東日本大震災では千葉県も大きな被害を受けた。太平洋に面した旭市は高さ約8メートルの津波に見舞われ13人が死亡,住宅約320棟が全壊した。津波は海岸から300メートルほど離れた住宅地にも押し寄せた。
◆液状化現象
液状化は,水分を含んだ砂質の地盤が地震の震動を受けて液体のように動く現象で,埋め立て地や河口で起きやすいとされる。泥状の土が噴き出したり,建物が土の中に沈み込み,倒壊に至る危険性もある。1964年の新潟地震では橋が崩落し,アパートが倒壊。阪神・淡路大震災(平成7年)でも神戸沖の人工島・ポートアイランドで建物が傾くなどの被害があった。
地盤工学会によると,東日本大震災で液状化が確認されたのは,千葉県浦安市▽千葉県我孫子(あびこ)市▽東京都江東区新木場▽横浜市金沢区の八景島周辺▽茨城県ひたちなか市-などで,東京湾沿岸での被害が目立った。
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東日本大震災による被害に関して,2011年4月1日現在,千葉県内では死者17人,行方不明者2人,負傷者209人。全壊647棟,半壊1537棟,一部損壊1万3398棟,床上浸水762棟の住宅被害が確認されている。浦安市など東京湾岸部では広い範囲で地盤が液状化した。
source:千葉県ホームページ http://www.pref.chiba.lg.jp/kouhou/h23touhoku/index.html
東日本大震災による液状化現象で大きな被害を受けた千葉県浦安市に対し,千葉県は災害救助法の適用を決めた。同市は津波などによる目に見えた家屋被害が分
かりづらかったため,当初は同法適用が見送られていたが,液状化による被害の深刻化が明らかになってきたことから,新たに習志野,我孫子,千葉市美浜区の
3市区とともに適用対象となった。
同法の適用を受けると,世帯主や家屋などに損害を受けた被災者が低金利で資金の貸し付けを受けられたり,国と県の負担で仮設住宅が建設できるなど,被災地の負担が軽減される。
⇒千葉県公式HP 平成23年東北地方太平洋沖地震関連情報
⇒動画 You Tube 福島第一原発放水作業(3月18日)
旭市 全半壊住宅1000戸
九十九里浜に面し,人口7万人の旭市。東日本大震災で震度5強の揺れに加え,その約2時間半後,高さ7メートル以上とみられる津波に襲われた。
津波の第1波は午後3時45分ごろ。道路がぬれた程度だった。第2波は高さ5メートルの防波堤に激しく打ち寄せた。最大だったのは5時すぎで,海岸沿いの町を飲み込んだ。
10カ所設けた避難所には約3000人が集まった。それでも,震災による死者は13人,2人が行方不明のままだ。全半壊の住宅も約1000戸と千葉県内で最大の被害となった。
ただ,旭市の震災はこれにとどまらなかった。福島第1原子力発電所の事故の影響で,3月20日,同市産のシュンギクから国が定めた暫定規制値の2倍の放射性ヨウ素を検出。市内の生産者が自主的に出荷を止めたほか,県も29日に出荷自粛を要請。4月4日には政府が旭市内の6品目に出荷制限を求めた。
出荷制限している6品目以外も風評被害で販売が低迷している。約4割の漁船が破損し,ようやく水揚げを再開した漁業でも影響が出ている。
●飯岡地区が津波によって甚大な被害受ける
3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震で,千葉県旭市の飯岡地区が津波によって甚大な被害を受けた。
千葉県の発表によれば,3月14日午前8時の時点で,この地震による旭市内の被害は死者10人,建物の全壊339棟。飯岡地区ではこのほか,津波による建物の倒壊などで数カ所の道路が通れなくなっていて,護岸も損傷している。地区の東端にある飯岡漁港にも津波が押し寄せ,漁船が転覆するなどの被害が出ている
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北西部-習志野市,浦安市,我孫子市
千葉県北部の東京湾岸一帯では,3月11日の東日本大震災で各所に液状化現象が発生。戸建て住宅にも,建物の沈下や損壊といった被害が生じた。
▼浦安市
浦安市で被害が大きいのは,主に昭和40,50年代に埋め立てられた国道357号から東京湾側の「中町」「新町」地区。各種住宅アンケートで,常に「住み
たい街」の上位にランクされる両地域の道路は大きく波打っている。木造家屋の多くが傾き,塀は倒れている。晴れれば乾燥した泥が砂ぼこりになって舞うため,マスクは市民の必需品となっっている。
ライフラインの中でも“水”の不通は深刻だ。最大約3万3千世帯だった上水道の不通は24日現在,約4千世帯に減ったが,同日には市に供給されている松戸市の浄水場の水道水から放射性ヨウ素が検出され,動揺が広がった。
市のまとめによると,被害額は市施設だけで734億円に上り,民間を加えると総額は1千億円を超えるのは確実。
大型スーパーのイトーヨーカドーは周辺の地盤が最大で50cmほど下がり,建物との間に段差が生じている。道路を挟んで海寄りに建つ平屋のセブンイレブンは,地盤の沈下で店舗が傾いている。
浦安市が公表している資料によれば,護岸から海岸までの明海地区は78年に埋め立てが完了している。 最も液状化被害が大きいのは新しい埋め立て地の内陸側の「中町」「新町」地区であう。次に被害が大きいのは古い埋め立て地である浦安駅周辺,最も被害が小さいのは新しい埋め立て地の海側だった。
▼我孫子市布佐地区の液状化被害
地盤の液状化というと,浦安市のように海に面した埋め立て地で発生するというイメージがある。我孫子市は内陸部だが,市史には,1872年,利根川が決壊してこの地域に沼ができ,戦後1952年に埋め立てられたという記録があったという。
我孫子市のまとめによると,この大震災により損壊が確認された家屋は,市内全域で約500戸。このうち液状化現象が見られた布佐地区には188戸あり,そ
の多くが,住むことのできない全壊家屋と判断されている。塀の倒壊が76件,電柱や信号機の倒壊も17件に及んだという。場所によっては,建物が1メート
ル近くも沈み込んだところもある。
なお,我孫子市への災害救助法の適用も決まった。市は,基礎をやり直して住宅を再建するか,被災地に戻らずに他の場所で生活していくのか,住民の要望を細かく聞き取り,市として今後の復興策,支援の方法を考えていくという。
被害が集中しているのは国道356号と県道千葉竜ケ崎線が交わる都交差点の周辺で96カ所で陥没等の被害を受けた。ここは,明治時代に利根川の堤が切れて沼となった所で,川砂で埋め立てられ,宅地化された地域という。
国道356号を含めた道路も現在,国道は復旧しているが,国道から一歩入った生活道路はいまだ,復旧活動が続けられている。国道356号は3月25日,仮 復旧が終わり,この区間の通行止めが解除された。千葉竜ケ崎線の約250メートルの区間は「4月中には復旧したい」としている
⇒動画:我孫子市消防署職員により撮影されたもの
⇒ http://www.city.abiko.chiba.jp/index.cfm/18,74772,11,710,html
⇒ http://www.city.abiko.chiba.jp/index.cfm/18,74772,11,710,html
▼香取市
地盤の液状化というと,浦安市のように海に面した埋め立て地で発生するというイメージがある。利根川が市内に流れる香取市でも同様だ。同市には水田が多いが,液状化で水田の底から砂が噴き出し,用水管も壊れた。市によると,2500ヘクタールが被害を受け,損失額は28億円。ここも元々沼地だった地域が多いという。4日現在で885世帯が断水している。
市原市
●コスモ石油
3月11日の地震の直後に市原市のコスモ石油の千葉製油所で起きた火災は,発生から10日後の21日に鎮火しした。コスモ石油によると,半数以上の15基のガスタンクで落下や破損などの大きな被害が確認され,操業再開のめどは立ってないという。
当時,市原市で記録された揺れは震度5弱で,製油所で測定された揺れの強さは安全基準の範囲内だったということで,コスモ石油では地震によって火災が起きた原因について詳しい調査を行うことにしている。
同製油所はコスモ石油の国内4カ所の製油所のうち最大で,1日約22万バレルの原油を処理する能力を持つ。
⇒動画 You Tube
房総 地震の歴史
◆元禄地震
災害史を調べてみると,三方を海で囲まれた千葉県は昔から津波に苦しめられてきた。地震の人命被害の大部分が津波によるものだという。房総を襲った地震には慶長地震(1605年),延宝房総沖地震(1677年),元禄地震のほか,関東大震災(1923年)や千葉県東方沖地震(1987年)などがある。とりわけ元禄地震はマグニチュード(M)8.2と巨大で,津波の死者2千人以上,流出家屋は5千戸以上とされた。
元禄地震は大正12(1923)年の関東嚢災の地震と同じく,相模トラフの海溝軸のプレート境界で起きた巨大地震である。そのため,この2つの地震は「兄弟地震」といわれる。
房総半島の先端部,千倉町付近の海岸で,大正関東震災で隆起した高さ約1㍍の海岸段丘の磯地形を見ることができる。同時にその陸側には,元禄地震による4~5㍍の高さの海岸段丘が残っている。
「元禄段丘」は,今から300年前の元禄地震で海面下から持ち上がった地形である。その隆起の差からも大正の地震の兄貴分であったことが実感できる。
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大正関東震災には津波が伴い,鎌倉や熱海で標高8㍍の地点まで海水が及んだ。元禄地震ではこれを上回る津波被害がより広範囲で起きている。とくに九十九里海岸では2千人を超える津波死者を出している。
房総半島全体の元禄地震の死者は約6千人,古文書や石碑の記録を一番少なめに読めば約4千人であるという。九十九里海岸には百人塚とか千人塚とよばれる元禄地廉の津波の死者を多数葬ったことを示す供養碑や「津波塚」が点在している。
茂原市の鷲山寺の門前の大きな供養石碑には溺死者二千百五十四人と刻まれている。九十九里海岸の石碑の分布を地図上にプロットすると,鷲山寺の供養碑を例外として,およそ現在の海岸線から2㌔前後の位置にあることがわかる。
九十九里海岸では津波は高い標高にまでは及んでいない。津波はわずかに標高2~3㍍のところにしか連していない。同地で大量の溺死者を出したのは,津波の高さではなく,流れの速さであった。
九十九里海岸の中央部に位置する白子町に「つなしろ様」とよばれる供養碑があり,この背後に小さな古墳のような高台がある。 同地では「津波の時は高台へ逃げろ」の教訓は通用しない。高台なんて全くない真っ平らな平野が広がるばかりなのである。 同地の旧家,池上家(白子町)には「後来の人,大なる地震押し返して揺るとき,必ず大津波と心得て,家財を捨てて早く岡へ逃げ去るべし。近辺なりとも高き所は助かる」と説いた古文書が残っている。こうした土地で,つなしろ様の小塚に逃れて助かった人が多くいたと伝えられる。津波の難を逃れる貴重な教訓をここに見ることができる。
◆元禄地震と館山市の樹齢千年とされるサイカチ木
房総半島の南端,館山市の中心部に樹齢千年とされるサイカチの老木がある。マメ科の高木で,高さ約8メートル。幹や枝に鋭いトゲがあることから,悪霊から屋敷を守るものとされてきた。木は落雷を受けて幹が大きくえぐれている。しかし,市民はこの木に特別な思いを寄せてきた。1703年の元禄地震で館山は津波に見舞われた。そのとき人々はこの木に登って九死に一生を得たという言い伝えが残っている。
昨年12月,腐食の危機にひんしていた冒頭のサイカチの木を救おうと,「サイカチの木を守る会」が発足し,市民の保護活動が始まった。人々を救ったサイカチの木の再生に寄せる思いは,東日本大震災の被災地の復興を願うメッセージでもある。