そのとき、トブン。
黒い丸い大きなものが、天井から落ちてずうっとしずんで、
また上へ上っていきました。きらきらっと黄金のぶちが光りました。
…………
三びきは、ぼかぼか流れていくやまなしの後を追いました。
…………
間もなく、水はサラサラ鳴り、天井の波はいよいよ青いほのおを上げ、
やまなしは横になって木の枝に引っかかって止まり、
その上には、月光のにじがもかもか集まりました。
……
(宮沢賢治「やまなし」より)

「トブン」と落ちてきたやまなしが、川を「ぼかぼか」と流れ、
水がサラサラと「鳴り」、木の枝に引っかかったやまなしの上に
月光のにじが「もかもか」集まる。

「トブン」は「ドブン」とは違うし、
「ぼかぼか」は「どんぶらこ」とは違うし、
「もかもか」は「もやもや」とは違うのです。
「トブン」で「ぼかぼか」で
水がサラサラと「鳴って」にじは「もかもか」なのです。
「もかもか」ってなによ?と言われても、
「もかもか」ってかんじがぴったりくる、としか
言いようがないのです。

で、わたくしは何を言いたいのかということですが、
国語先生のみなさま、
こどもがちょっと普通じゃない言葉の使い方やつなぎ方をしていても、
(例えば水がサラサラ「鳴る」なんておかしいだろう、とか)
頭ごなしにただ×を付けて直させるのはどんなものかなぁ、と
思うのであります。
ひょっとしたらそこには、宮沢賢治や、谷川俊太郎の感性が
眠っているかもしれないのですから。
(ただトンチンカンに使い方を間違えている、ということも、
まあ多々ありますけれどもね)
→黒板相手に教えているわけではない。

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