[年代] 鎌倉時代 建仁元年(1202) [法量] 桧製(縦木二材を合せ) 像高:87.1cm [作者] 重源は信頼厚き快慶に委嘱して、この神像を新造する [所蔵] 東大寺蔵 [解説] 僧形八幡神像(東大寺の鎮守神):神仏習合 国宝 右衽の衣の上に袈裟を懸け、右手に錫杖を執り、左手は膝のやや内寄り に置いて数珠を繰り、十方二段切付けの蓮華座に安坐する比丘形で、背 後に円形の頭光をめぐらしています。 仏は神の化 身である。僧形八幡神像が鎮座していた手向山神社「東大寺八幡宮」 造東は、治承4年(1180)12月の平氏の焼き討ちにより炎上しましたが、 東大寺大勧進俊乗房重源上人により再建された。 (僧形八幡神坐像一般開扉パンフレットより)
[年代] 鎌倉時代〜表現は平安初期 [法量] [作者] 不詳 弘法大師が感得したと伝承されている [所蔵] 神護寺蔵 [解説] 僧形八幡神画像(神護寺の鎮守神):神仏習合 頭光の手前に日輪を浮かばせる表現は仏画には試みられなかった。 そして右手に錫杖、左手に念珠を持ち、蓮華座の上に座る。光背は 頭光日輪が描かれている。表現から鎌倉時代に古い作品を写したも のと推察される。空海が写した「互いの御影」が元とする逸話が残っ ている。 (文章は日本の美術274/垂迹画より抜粋) ![]()
[年代] 南北朝時代 [法量] [作者] 不詳 [所蔵] 鎌倉 浄光明寺蔵 市文化財 [解説] 僧形八幡神画像(浄光明寺の守護神):神仏習合 ![]()
[年代] 江戸時代初期:享保3(1718)年修補 [法量] 1幅、絹本着色、縦81cm・横41cm [作者] 不詳 [所蔵] 國學院大學蔵 [解説] 僧形八幡神画像:神仏習合 画上の讃には「得道来不動法性、自八正道垂権迹、皆得解脱苦衆生、 故号八幡大菩薩」とあり、八正道の神として衆生の解脱させるという 、八幡神の仏教的な徳目が記されている。この像は神護寺のものを忠 実に写したものと考えられる。享保3(1718)年の修補記録も踏まえる と、江戸時代前期ごろの作と考えられる。 (文は國學院大學 研究開発推進機構より) ![]()
[年代] 江戸時代 [法量] [作者] 不詳 [所蔵] 徳川黎明会蔵 [解説] 僧形八幡神画像:神仏習合 少し右を向く姿の八幡神が正面を向いている。本尊像の性格が強い ![]()
[年代] 鎌倉時代 [法量] 絹本著色 八幡若宮神像 1幅 [作者] [所蔵] 東福寺境内 栗棘庵蔵 [解説] 童子八幡神画像(東福寺の守護神):神仏習合 府指定文化財 童子の姿で出現したときの八幡神を神格として表現。 ![]()
[年代] 鎌倉時代 [法量] [作者] 不詳 [所蔵] 東京 個人蔵 [解説] 若宮八幡神画像:神仏習合 神が若々しい童子で表され神格化されている。神道の「御生れ」の思想 に基づく表現で、神々は毎年に新しく生れ代わり、宗教的な力を常に よみがえらせると言う考え方です。 ![]()
[年代] 鎌倉時代 正安2年(1300) [法量] [作者] 絵師 観舜法橋筆 [所蔵] 個人蔵本 [解説] 春日宮曼陀羅:神仏習合 詳細 神道曼陀羅の形式は、基本的には、神社が建てられている神域を高い視 点から描写し、各社殿の傍ら、あるいは上方に、その祭神の本地仏を描 く画面構成です。熱心な八幡信仰や春日信仰の神々を中心に多様な絵画 表現がなされた。 神域は満開の桜と常緑樹に囲まれ霧が横切る。御蓋 山と春日山が重なり春日山の稜線に満月が上る。そして五徳の本地仏が 一列に並ぶ。 ![]()
[年代] 鎌倉中期 [法量] [作者] 不詳 [所蔵] 根津美術館蔵 [解説] 春日宮曼陀羅:神仏習合。 梵語の解説 治承3年(1179)の焼失以前の春日社。末社の配置などから春日宮曼陀羅 形式が成熟する前の表現がみられます ![]()
[年代] 鎌倉時代 [法量] [作者] 不詳 [所蔵] 陽明文庫蔵(旧近衛家コレクション) [解説] 春日鹿曼陀羅:神仏習合 垂迹画と鏡像 神鹿の鞍に立てた榊に大きな神鏡が懸けられている。その神鏡に本地 仏(十一面観音)と梵字(ぼんじ)が描かれている。本地垂迹思想にもと ずく表現である。春日信仰における華やかな神事をほうふつさせる。
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[年代] 鎌倉時代 [法量] [作者] 不詳 [所蔵] 静嘉堂蔵 [解説] 春日本迹曼陀羅 垂迹画:神仏習合 下図は、春日信仰において、春日四所明神・若宮のほか 五つの末社 祭神十体(番号1〜10)の神像を描き、その神像から湧き出るような雲 に乗って”各本地仏(10体)”が添 えられている。日本において古くから信仰されていた姿のない神を描 き、それを守護する神が仏となって出現(垂迹)した。仏教側からの着 想であると考えられてます。
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[年代] 鎌倉時代 [法量] 絹本著色 縦94.2cm 横40.0cm [作者] 不詳 [所蔵] 奈良 西大寺蔵 [解説] 吉野曼荼羅 垂迹画:神仏習合 吉野曼荼羅は大峯修験道に基づく垂迹画で、西大寺本は現存 最古の作品である。蔵王権現を中心に、役行者や吉野八所明 神等を規則的に配置する。画面上部には大峯山の山並みの中 に大峯八大童子(おおみねはちだいどうじ)を描き、画面全 体で吉野から大峯に至る霊場空間と神々の体系を表している。 丁寧な筆致と繊細な文様描写など優れた作風を示し、中世の 山岳信仰の成熟を窺わせる垂迹画の遺例として重要である。 蔵王権現は弥勒菩薩の化身とされる。
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[年代] 鎌倉時代 [法量] [作者] 不詳 [所蔵] 奈良 如意輪寺蔵 [解説] 吉野曼荼羅 垂迹画:神仏習合 この垂迹画は、役小角が約千三百年昔大峰山に於いて金剛蔵王 権現を感得された様子を、下方には吉野山の神社、佛閣を描く。 当時の密教と修験道の中心となる吉野山の社寺風俗が偲ばれる 貴重な資料。上方に巨大な蔵王権現が印象的である。 蔵王権現拡大 ![]()
[年代] 鎌倉時代 [法量] [作者] 不詳 [所蔵] 金剛寺蔵 [解説] 高野山四社明神図:神仏習合 仏法の守護神として尊ばれた画像である。高野山に金剛峯寺を建立 するときの地主神である丹生明神とその御子神の三神を描く。 四社の他、十二王子社(廃)、若宮社(廃)、エビス社(廃)が並 んでいたが明治の神仏分離で棄却された。
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[年代] 鎌倉時代 [法量] 絹本著色 1幅奉額 [作者] 不詳 [所蔵] 東福寺境内 栗棘庵蔵 府指定文化財 [解説] 石清水八幡宮曼陀羅:神仏習合 石清水八幡の社殿全景を神の神聖な空間を表し中央の石畳の白色、 動くものとして香煙のかすかな揺らめきにみが表現されている ![]()
[年代] 南北朝時代 [法量] [作者] 不詳 [所蔵] 霊雲寺蔵 [解説] 山王本地仏曼陀羅:神仏習合 此の図は、神域の全容を丁寧に描いた自然表現がすばらしい。 自然景を正面から捉えている。 ![]()
[年代] 南北朝時代 [法量] 絹本著色 縦96.9p、横64.1p [作者] 不詳 [所蔵] 大和文華館蔵 社殿の前の”御正体”鏡像 鏡像拡大 [解説] 滋賀県・日吉 山王宮曼陀羅 重文:神仏習合 神域の地形に従って社殿を配置している。社殿を集め山王諸神の存在を 強調。社殿の軒先に多くの”御正体”(懸仏)が描かれ、狛犬や神猿など 、山王社の社殿の特色が描かれている。豊かな緑の樹木に、社殿正面に 円相に像が描かれている。御神燈で迎えられているような気がする。 ![]()
[年代] 室町時代 [法量] 一幅 [作者] 不詳 [所蔵] 神宮微古館蔵 [解説] 伊勢参詣曼茶羅 垂迹画:神仏習合 伊勢神宮の内宮から春日祈宮にかて地域を描く。鳥居に潜った右手に位 置する内宮子良館。瑞垣に囲まれた内宮の向こうには、八十末社と呼ば れる末社群の屋根が見える。五十鈴川に架かる風宮橋は渡ったところに 鎮座するのが風日祈宮(内宮)。 全体図 ![]()
[年代] 室町時代 [法量] 二曲一隻 [作者] 不詳 [所蔵] 高津古文化会館蔵 [解説] 伊勢参詣曼茶羅:神仏習合 ![]()
[年代] 室町時代 [法量] 一幅 [作者] 不詳 [所蔵] 西光寺蔵 [解説] 那智参詣曼茶羅 垂迹画:神仏習合 ![]()
[年代] 室町時代 [法量] 一幅 [作者] 不詳 [所蔵] 熊野那智大社蔵 [解説] 那智参詣曼茶羅:神仏習合 は縁起・伝承に関わる図像が多く、滝の下で滝籠りの文覚が金迦羅(こ んがら)・制多迦(せいたが)の二童子に助けられている場面もその一つ である。 ![]()
[年代] 桃山時代 [法量] 一幅 [作者] 不詳 [所蔵] 滋賀県犬山群 多賀大社蔵 [解説] 多賀参詣曼茶羅 垂迹画:神仏習合 多賀参詣曼茶羅は多賀大社に伝来した参詣曼茶羅のうちの一つ。中央 を流れるのは御手洗川。境内では正月行事の謝礼が行われ、本殿前の 舞車では能が演じられ、舞車前の建物では巫女神楽が執行されている。 ![]()
[年代] 江戸時代 [法量] [作者] 不詳 [所蔵] ホノルル美術館蔵 [解説] 春日宮曼陀羅 垂迹画:神仏習合 此の図は、本地仏を社殿の前に立つ彫像のように描く珍しい作。山の 端に出る月は大きく、神域に湧き上がる瑞雲も誇張されている。 ![]()
[年代] 江戸時代 [法量] [作者] 不詳 [所蔵] 富士山本宮浅間大社蔵 [解説] 富士参詣曼陀羅 垂迹画:神仏習合 三尊拡大 此の図は、一番下には駿河湾・田子の浦・清見寺がみえる。中間には浅 間本宮・中宮社・涌玉池・大日堂が描かれている。山頂の三峯に座る本 地仏は向かって右より菩薩・阿弥陀如来・薬師如来の三尊である。 ![]() |