私の障害2


実は挨拶も出来ない・・・

さて、ここで私の幼い頃の、人との接し方について書きたいと思う。
私は積極的で、誰とでも話が出来る子供・・・、などではなかった。
いやむしろ、内向的で、消極的、家族や特定の人以外は、話をする事が出来ない子供だった。
それは、前のページに書いた「小学校の門」以前の私の顕著なことだったが・・・。

我が家は、ある会社の工場の社宅に住んでいた。
当然、事あるごとに、工場で働く人と顔を合わせる機会があったが、
そういう人達と話す事も、顔を合わせて挨拶する事さえ出来なかった。

「この子はこの先、人と話が出来ない人間になるんじゃないか?」
親は心配したらしいが、実はそれだけでなく、
「この子はこの先、必ず人の助けが必要になる、人に助けてもらう事になる、
その時に自分から話しかけられないようじゃ、生きていく事さえ無理なのでは・・・」
このことに対し、相当心配したらしい。それは深い、深い愛情であった。

そして父親はある朝から毎日、私を抱っこして工場の人達に朝の挨拶をして回った。
今でも覚えているが、それは私にとって顔から火の出るような恥ずかしい行為だった。
恥ずかしい、そう子供ながらに自分の障害の姿を、恥ずかしいと思うようになっていたのである。

工場の人達に「おはよう」と言われても、
まともに顔が見れず、うつむいたり、そっぽを向いたりする。
父親からは「ちゃんと返事をしなさい!」と怒られたが、私には出来なかった。

しかしそれからは怒る言葉もなく、さりとてその挨拶回りは無くなる事もなく、続いていった。
父親は、返事が出来るまで、ねばり強く、怒らず、やっていこうと思ったのであろう。
挨拶が出来るようなった私の写真
どのくらい続いたであろうか?
私もかなり頑固な性格だったのか、相当時間がかかったようだが、
ある時私は、根負けしたというか、
私に言葉をかけてくれる人達に、申し訳ないと思ったからか・・・、

しかしハッキリ覚えているのが、それは何げなく返事をしたのではなく、
もう、どうなってもいい!と恥ずかしさをかなぐり捨てて勇気を振り絞って、
「おはよ・・・」の一言を発してみた。
工場の人達は、嬉しそうにニコっとしてくれた。
その顔は今でも忘れられない。

その時を境に私は、周りの温かい愛情のなか、少しずつではあるが挨拶も出来るようになり、人と話せるようになった。

もしその出来事がなかったら、どうなっていたか・・・?。

その後の人生で私が選んだ道は、好奇の目にさらされる事の連続で、 何度も何度も、恥ずかしさに押しつぶされそうになったが、そうなればなるほど、 このことを思い出すのである。。。

小学校入学

私の入学の写真 さて話は戻って、肝心の一年後の約束の時、

私は母親と共に再度、
小学校準備の身体検査、校長先生との面接に行く事になった。

身体検査においては、やはり体力面で問題が多いのは否めなかったが、
面接の時、校長先生は私の姿を見て、
「一年間よく頑張りました。
でもね、今の君でも皆と一緒は大変なんだよ。
ただこの一年間頑張った君ならやっていけるね。
だから入学を許可します。」
といってくれた。
それは小学校入学が許可された瞬間であった。
一年間の末に開かれた、新たな道への第一歩の、はなむけの一言でもあった。

そして1年遅れての入学式をむかえた。。。

右の写真がその時のものである。
松葉杖もステッキもない。ランドセルを背負って、一人で立っている。
そして笑顔満面である。ハツラツとしている。
前に組んだ手の表情に恥ずかしさも感じられるが・・・。

自分でいうのもおかしいが、この写真を見ると、涙が溢れてくる。
一年前には考えられない姿だったから。

そのズボンの下は、腕よりも細い麻痺した足が、頑丈な補装具に支えられている。
黙っていれば、気づかれないかもしれない。
一歩歩き出すと、メチャメチャ格好悪く、遅く、階段も一段一段時間がかかり、けっして普通とは違う。。。
しかしこの姿・身体であっても、私はどうしてもこの学校に来たかった。

一年二組、出席番号三番(覚えやすい!?)、担任は川口先生、 それが私の小学校生活の始まりであった。


小学校生活のはじまり

私の通い始めの写真始めに書いておくが、父の会社の温かい協力の下、 送り迎えは工場の車をお借りして父がしてくれた。
校長先生、私の担任になってくれた川口先生は、事故の無いように気を配ってくれた。
そして3つ年上の兄も同じ小学校にいる。
3つといっても、私が一年遅らせて入学したため、学年は1年生と4年生。
教室は近くはないが、よく私の様子を見に来てくれた。

しかし校門をくぐると、そこからは自分一人ですべて行う事になる。

もともと私はマイペースな上に、皆との共同生活が初めてだったので、
なにをするにも、時間がかかった。
なので、早め早めの行動をとるように心がけた。
歩いて場所を移動する時も、階段の上り下りも、トイレも、次の授業の身支度も。

担任の川口先生は、最初から手を貸す事はなく、とにかくやらせてみて、様子を見て、
それからどうするかを私に聞いてくれた。
助けて欲しい時には、その時に私は言った。

そして肝心の同級生との交わり、これがどうも不思議だった。
一年遅らせて皆より一つ年上のせいか、それまで大人の中にいたせいか、
周りの同級生が子供のように思えた。
当然、小学校一年生、自分だって子供に間違いないが、自分より、かなり幼く見えた。

しかし、同級生の言動、行動が幼く見えても、自分の出来ないことを、いとも簡単に出来る。
これは私にとって、悔しさ・情けなさ以外のなにものでもなかった。
それは当然のことなのに、 この現実の感情は、どうにも抑えられないものであった。

逆に皆からも、
特別扱いうける僕に対し、そしてその僕の態度に、 偉そうで生意気で我慢できないものに映ったのであろう。
なかなか友達は出来ない日々が続いた。
それは避けては通れない、どうしても訪れる事だったのだろう。

そんなある日、忘れもしないある事が起こった。。。


2005.6.24.記

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