私の障害3


友達って?

どんなに精一杯頑張ろうと思っても、それは自分の中だけでの事・・・ということがままある。
多くの人の中での自分、それを理解すること、
そして自分のことを多くの人に理解してもらうこと、
社会生活では、それが必要なのだということを、
小学校の最初とはいえ それを深く考えさせられる出来事が起こった。

小学校入学以来、ある同級生の私への風あたりは特にひどく、
事あるごとに 私の歩くまねや、変な格好を目の前でしてみせ、追っかけてこない私を見て、
さらにエスカレートさせて、みんなの前でもやって見せていた。。

私には追いかける余裕もなかったし、追いかけても掴まらない事も分かっていた。
いやそうではなく、私は弱気で意気地のないところがあり、
ほっておく以外に、どうして良いか分からなかったのが、その時の正直な気持ちだったであろう。。

しかしそんな事がエスカレートしていく上で、さすがに私も、
「 このままずっと、バカにされたままではいけない、なめられたままではいけない」
と強く思うようになった。
必死になって学校に通っているのに、多くの人の力で学校に通っているのに、
そんな意気地のないことではどうする・・・と。
いつかは、自分の力で決着をつけなければいけないと思うようになっていた。


どんな理由であっても

そんなある日・・・、
私のそういう思いと、同級生の行動のエスカレートが頂点に達した時、
アクションは私の先手必勝で行われた。
廊下から「○○く〜ん、ちょっと、ちょっと」と軽く手招きして、
(ここでは姓を呼んだので○○くんと表記、のちに名前は記)
廊下に誘い出し、近くに寄ってきたところで(逃げられない距離を確認して)、
「あんまり、変な事するなよな」と言った後、 私は一発、ぶん殴った。

パンチは、顔ではなく腹部だったが、しっかり入った。
こんな力が私にもあったんだ・・・とビックリする間もなく、
その同級生はあっけなく、痛そうにうずくまってしまって、それで終わった。

私は何ごともなく教室に入ったが、
その後、その同級生は、「殴られた!!!」と泣きながら、教室に戻ってみんなの中で騒ぎだし、
大変なことになってしまった。
「あれ?ケンカって一対一で、勝負するんじゃないのかな??」
TVの影響か、どこで仕入れたか忘れたが、私はそんな気持ちでいたので、 その行動には唖然とした。

すぐに川口先生がやってきて「ほんとに君が殴ったの??」と聞いてくるので、
「はい、そうです。だって○○くんは、いつも僕のまねをしてみんなを笑わせたんですよ。」
と理由を言った。
「殴って相手が怪我したらどうするの?どんな理由でも殴るのは君が悪いです。」
と、理由の有無にかかわらず、私はみんなの前でこっぴどく怒られた。
他の同級生も、
まさか私の方が殴るとは思わなかったのか、私が先生から怒られている姿を見たからなのか?あっけにとられて見ていた。

しかし、一番驚いたのは、それを知った両親だっただろう。
いじめられた時の慰めの言葉はいっぱい考えていただろうが、まさか、私が殴っちゃうとは・・・、
どんな場合でも、どんな理由であっても、殴ってはいけないということを
私は両親から、まだ教わっていなかったのである。
両親も、殴った事についてもちろん怒ったが、
そこまでに至る経過を聞いて、なんともいいようのない表情を浮かべていた。

ちなみに兄は、なぜだかニッコリ笑っていた。。。

初めての友達・・・

両親の話が終わり、布団に入った時に、
「あいつ、どうしてるだろう?まだ痛いかな?骨でも折れてないかな?」
とだんだん心配になってきた。
私のやわなパンチで骨なんか折れるわけはないのだが、その時はほんとにそう思い、
なかなか寝つけなかった。

遠足の時の写真 次の朝、その同級生とばったり廊下で顔を合わせた。
私は考える間もなく、
「マモルくん、大丈夫か?昨日はごめんな」と口に出た。
マモルくんは、
「僕の方こそ悪ふざけして、
君のまねしてごめんよ、君も大変なんだよなぁ」 といってくれた。

この会話が・・・、私の初めての友達が出来た瞬間だった。
まさか、こんな形で初めての友達が出来るとは思わなかった。

川口先生も、そんなに早く仲直りというか、友達同士になるとは思っていなかったであろう。 大問題になる事もあり得たから。。。
周りの同級生達も、
私とマモルくんが仲良くなった姿を見て、私を怖がることなく、
むしろ、どんどん声をかけてくれるようになっていった。


やはり一番安堵したのは、両親だっただろう。
兄はそうなることを、なんとなく分かっていたようだが。。。

後で分かったが、
マモルくんは、うちの近所に住んでいて、 それから小学校6年間、ずっと友達でいたのだった。

ちなみに我が一年二組は、実はその後も、殴り合いのケンカはしょっちゅうで、
川口先生は、みんなに同じように怒っていたが、友達同士の仲はどんどん良くなっていったように思う。
私等の子供時代は、こんな時代だったんだなぁと、今でも懐かしく思う。

私はこのことで、殴り合いのケンカを奨励する気はもちろん無い。
私自身、後にも先にも現在に至っても、人を殴ったのはその一回だけである。
周りの人に自分を理解してもらうことは、殴ることではなく、
その後に感じた思いや行動の方が、大事だと思ったから。。。

ただ、小学校とはいえ、
皆とこのように、対等に渡り合えるチャンスを得たことを幸運に思った。

あなたは、障害を持った人を目の前にして、障害も健常も、上でも下でもない、
あなた自身をさらけ出して、対等な立場になることができるだろうか?
このページを見ている、あなただったら、私は出来ると思う。


さて、そんな小学校生活に慣れていくうちに、歩く頻度や階段の上り下りが多くなり、
それによって、両足に履かれた補装具は予想以上の負担がかかり、 膝や足首を支える鉄の部分が、
何度も何度もひびが入ったり折れるようになっていた。

そして、小学校一年から二年になる頃だったか?
また新たに作る補装具が、激変する時がやってきた。

2005.6.28.記

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