いざ四国へ!
四国一人旅 2002年11月22日(金)

朝霞〜オーシャン東九フェリー
2002年1月の初め、深夜のTV映像で、鳴門の渦潮が目に飛び込んできた。
「四国っていいな・・・」
前回の四国から15年、15年、15年・・・、
そう思った瞬間から、今回の旅の始まりとなった。

☆いざ四国へ

 1月の初旬のその思いは、まだまだ心細い妄想とそれ程変わりなかった。
まず体力の問題、仕事の問題、そして予算の問題。。。 どれを考えても四国に行けるかどうか、無理というか夢物語だった。
しかし、そうであっても夢の計画だけは立ててみようと、四国への思いを巡らせてみた。

四国は、その計画は、思い描くたびに私の中でどんどん光り輝くものだった。
そのあまりの輝きに、2月にはどうしても実現させたいと思うようになった。
時期は10月か11月下旬に・・・。
難題の方は、なにも解決していない。
ならば、旅までの9ヶ月の間でそれを解決していこう、と思い、それからの生活を四国に集中していくことにした。

予算は目標額を決め、仕事のことは旅の間の休み決める。これは9ヶ月の期間がものをいった。
体力の方も、今年はそれを試す出来事もあり、自分ではなんとかなると思えるようになった。

四国行きが具体的になってきた2ヶ月ほど前からは、意外なことに、「気持ち・思い」を試す期間になったのである。
この間、四国行きに対し、何度不安になったか?何度自分に対し絶望しそうになったか?
その嵐の連続のような期間でもあったのである。
すべての準備が整った時でさえ、その不安は消えることはなかった。

しかし・・・

「不安なら不安で良いじゃないか、
せっかくここまでやってきたんだ、
不安を隠すことなく、その不安さえ楽しむ旅にしよう。」

そう心に決め、
とにかくどんなときも「自分らしく・・・」と、そう何度も自分に言い聞かせながら、 四国の旅当日を迎えることとなる。

☆2002年11月22日

 有明ふ頭フェリー乗り場

午後5時半ごろ、無事フェリー乗り場に着く。
やはり15年の年月、フェリー乗り場も、建物も変わっている。
受付は写真の建物の2階であったが、綺麗なエスカレーターを登り、受付へ。
当日支払いの乗船手続きも迷うことなく無事済ませ、
6時には、車の列も出来てその後ろに付いた。

さて、フェリーに乗り込むまで、かなり時間があった。
その間、携帯メールの交換などをしていた。

6時すぎともあって、返事はほどなく返ってくる。
メールを打つのがそんなに早くない私にとって、
数人とのリアルタイムのメール交換は、 すぐに時間がたっていった。
それらのメールには四国への応援メッセージの文字が並び、
その文字にどれだけ励まされたか、今でも感謝である。


 フェリー乗り込み

7時を過ぎ、いよいよ車ごとフェリーに乗り込む時が来た。
フロントガラスの右下に、 徳島行きの紙が反射している。
この船は北九州まで行くので、途中下船の徳島行きの車は、一番最後となる。
この徳島行きの紙をのせ、フェリーに乗り込んだ瞬間、
四国へ向かっている実感を改めて感じる。

ここまでの写真は、 今までのデジカメに加え、
旅のために一週間ほど前に買った、
PENTAXのOptio330GSというデジカメで撮ったものである。
旅での初の撮影、、夜でもまあまあの出来か?
このデジカメ、胸ポケットに入るコンパクトさから、旅では大活躍することとなる。
もちろん、船の中の写真もこの新デジカメで撮ることになる。  



 客室入口

車はフェリー内部の係員に誘導され、
所定の位置で停車、すぐに前後のタイヤがロックされる。
車を降り、客室入口の扉が目に入る。

ここからは、すべて一人。

どんな世界が、待っているか?
3度目の一人旅とはいえ、前回いったのが15年前。
夢と不安が錯誤しながら、船泊用にまとめた荷物が、
肩に重くのしかかる。
入口に向かい、階段を登ることとなる・・・。

ちなみに私は、杖をついて歩くことが出来るが、
重度1級の身障者だった。。。


 船中にて

2階ほど階段を登ると、右手に客室船内の入口があり、
向こうには綺麗な廊下が見える。
廊下に入り少し進むと、すぐにフロントが見える。そこに向かうと・・・。

左の写真の、フロントにいた女性が、駆け寄ってくる。
すぐに荷物を持ってくれ、船室に案内してくれた。
特別、客室の係りということではなかったが、
荷物を抱え、よたよた歩く私を見ての行動であったのであろう。
実はこの人が、四国までの船旅の最後まで、
いろいろ心配りをしてくれることになる。

この旅が良い思い出となったのも、最初に出会ったこの人のおかげだと思っている。 もしこの人が冷たい人だったらと考えると・・・。

ありがとうございます、Iさん。



 フロント前の階段

船室に入るともう7時半、すぐレストランに向かう。
フェリーのレストランの開店時間は、決まっている。
夕食時間の9時までに食事をとらないと、朝7時半まで自販機物しか食べられない。

レストランはセルフサービスであったが、価格も高くなく助かった。
ハンバーグとライスとみそ汁を取りテーブルへ、
この時もレストランの方がサポートしてくれた。
オーシャン東九フェリー全体の、人の優しく温かい心が身に染みる。

船の揺れを感じながらも、
窓の外の、葛西臨海公園のライトアップされた観覧車の夜景を見ながら、
その夕食を食べる。

食事を済ませ、おみやげ物も置いてあるフロントに行くと、
数人のフロントマンの中に笑顔のIさんもいる。
ビデオもレンタルできるようになっていた。 Iさんにそのことを聞いてみると、
後で返ってくる保証料は必要であるが、無料で借りられるとのこと。
まだ8時半をちょっと過ぎた時間。、試しに借りてみることにした。
借りたビデオは「クイズショー」だった。

その時、船にある大浴場についても聞いてみる。 大浴場は24時間入れるのだそうである。
ただ、波が荒くなるとお風呂のお湯もかなり揺れるので休止になるとのこと。



 船内大浴場(パンフから)

早速、準備を整え大浴場に行ってみることにした。
風呂場はかなり広い、海が見える窓もある。
そして洗い場には、リンスインシャンプーやボディーソープなどもある。
驚いた。私でもなんとか入れそうなので、入ってみることにする。

すぐに、洗い場の隣に居合わせた人に挨拶し話しかけてみる。
気楽に返事を返してくれた。
それからは、話しながらの入浴。
その方はAさんといい、母親を連れての2泊3日の四国の旅だという。 私も今回の一人旅についてを話す。 こういう時でも、出会いというのは嬉しいものだ。 明日は朝日を見ながらのお風呂にするとAさんはいう。
「私も早起きできたら・・・またよろしくです」といってAさんと別れた。




 船室にて

お風呂を上がり、船室に戻る。 携帯のメールチェックをする。
アンテナは2本立っている。
このアンテナもしばらくすると、圏外になってしまうのだという。
圏外になる前に、メールを打ったり電話で話したりして、時を過ごした。

そして圏外になった時から、ノートパソに日記を書き始めたが、
今日一日の一部始終を書いてしまったので、
やたら時間がかかり、11時を過ぎてしまった。

船は外海に、かなり揺れだしたので、備え付けの浴衣を着て、
明日からの予定を夢見ながら、 寝ることにする。。。


見よ、このヴァージョンアップしたオーシャン東九フェリーのパンフを!




以前のパンフ



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