1982年一人旅
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ここでは、初めての四国一人旅について、載せていきたいと思う。
その始まりは修学旅行後、司馬遼太郎の長編「龍馬がゆく」を読んでからである。
読み進む間、また読み終えた後、龍馬に対する尊敬の念はふくらみ、恋慕の思いは日増しに募っていった。
その思いは「龍馬を身近に感じたい」「その育った故郷を踏みしめてみたい」という感情に変わり、四国への一人旅が芽生えるようになる。
その心の思いが表面に出てきたのが、針灸学校も3年になった秋のことである。
学生生活最後の冬休み、何かしておきたいという思いもあいまって、それが四国へとつながっていった。
足の不自由な自分にとって、何事にもハードルは高かったが、
「やらずの後悔よりやって後悔」という言葉を自分に言い聞かせ、
まず両親を説得し、
了解を得て(かなり時間がかかったが)、旅の準備に取りかかった。
旅の日程の計画から船や宿の予約、すべて始めてであったが、それは苦痛ではなくどれも楽しいものであった。
その準備が整った12月の下旬、その旅は始まることになる。。。
オーシャン東九フェリー(カタログ)
高校時代からの旅行には何故か必ず船が絡んでいた。
なので、船旅への恐怖はそれ程なかった。
しかし今回は、東京発−徳島行きの約20時間の船旅・・・、船中泊である。
これほど長い航海は私にとっても始めてであった。
選んだフェリーはオーシャン東九フェリー。
左が時代を感じさせるフェリーのパンフだが、旅当日までこれがどれほど心を和ませてくれたか・・・。
(実際船内に、こういうお姉さんがいなくて残念であった)
なかなか良いでしょ?このパンフ。
☆1982年12月22日
オーシャン東九フェリー(テレカ)
いよいよ出発のこの時、針灸学校の友達3人が見送りに来てくれたのである。
銅鑼が鳴り音楽が流れる中、船上からと陸との・・・、まさに映画のような別れのシーン。
さすがに紙テープはなかったが、その情景や心境は今でも忘れない。
船も無事出航し、私はしばらく甲板で物思いにふけり、そして船室に戻る。
そこからは始めて経験する一人の世界の始まりであった。
すべてが新鮮に見える当時の私にとって、船室でじっとしてはいられない。すぐその部屋を飛び出し、船内を散策することになる。
どこもパンフのように綺麗で素敵な施設ばかりであった。
散策し終わり船室に戻ろうとすると、その近くのロビーで談笑する2人の男女がいることに気づく。
勇気を出して挨拶をしてみると、気楽に・・・ほんとに気楽に話の輪に入れてくれた。
人と出会いたいという気持ちもあった旅なので、、この勇気が今回の旅を通じての大きな糧となった。
二人とも単身で船に乗り、ついさっき知り合ったのだそうだ。
これがいわゆる「旅は道連れ」なのかな?と嬉しく思い、それからが楽しい時間となった。
男性は40代、女性は僕と同い年、二人の話もいっぱい聞くことが出来たが、私自身始めての人とこれほど話をしたことがないほど、針灸のこと、旅のことを話し、海の上の夜はふけていった。。。
☆12月23日
翌日もロビーで二人に会うことが出来、お昼までの時間楽しく過ごし、
再会を約束して(実際東京で再会した)、下船準備へと取りかかる。
そう、いよいよ四国、その地への上陸である・・・。
大鳴門橋
徳島港で船を下り、まず向かったのが、鳴門市である。
修学旅行でうず潮を見た、思い出の地である。
徳島では見たい物もいろいろあったが、特に建設中のこの橋は絶対に見たかった。
右が、そのまだ建設中の橋である。
この橋は、瀬戸大橋でも、来島大橋でも、明石大橋でもない。
鳴門海峡にかかる大鳴門橋である。
77年の修学旅行では影も形もなかった、大鳴門橋。
5年たちそれが今出来ようとしている。
時の流れと、開発の息吹を感じる瞬間でもあった。
ここには当時の僕が写っている。
橋工事の作業されている方に、この写真をお願いしたのであるが、
なんとその方は、見送りに来てくれた友達にそっくりだったのである。
僕の登場するするものは、四国の一人旅で初めて撮ったこの写真一枚となるだろう。
この大鳴門橋を見て、徳島市まで戻り、市内のシティホテルに宿を取る。
シングル食事なしなので、夕食は外でということになる。
駅までの道に喫茶レストランがあり、そこで夕食をとることにしたが、
店内は空いていたので、注文の待ち時間そこに食べに来ていた学生さんに声をかけてみる。
私の話し言葉で、よそから来た事がすぐに分かったらしかったが、気軽に話し返してくれて、
楽しい夕食となった。
その後ホテルまで戻り、枕の違いも気にすることなく、四国の一日目の夜はぐっすりと眠りにつくことが出来た。。。
☆12月24日
うみがめ荘
徳島の朝は天気もよく、日差しも暖か。
早速日和佐へと向かう。
実はこの一人旅のコースは、修学旅行のコースを逆になぞって行くものである。
写真のうみがめ荘は、日和佐・大浦海岸のすぐ近くにある国民宿舎で、
夏のうみがめの産卵時期には、その観光客で賑わう宿である。
宿の前にはウミガメの剥製があり、
特設プールもあって生きたウミガメを見ることが出来た。
これも旅の目的であった。
お菓子の「ウミガメの卵」を買うことも楽しみであった。
買うときに、修学旅行当時の友達の笑顔が思い出された・・・。
日和佐浦
日和佐から室戸に向かう道は南阿波サンラインを使った。
真っ青な青空の中、海沿いを走るこの道は、実に綺麗な海であり、空でありで、
それに見とれると、時々やってくる急カーブに冷や冷やになったり・・・、
走る醍醐味も味わえて、爽やかなドライブとなった。
この時、確かニッポン放送だったか、
とうりゃんせ募金なる欽ちゃんの24時間ラジオが流れてきたのを記憶している。
今思えばまさに時代を感じさせる出来事のように感じる。
中岡慎太郎像
室戸岬の突端に立つ中岡慎太郎の銅像。
龍馬のものより若干小さめに出来ているが、その台座はやはり高く迫力がある。
一説には、桂浜の銅像と向かい合うように立てられていて、
日本の将来を語り合っているのだという。
坂本龍馬は海援隊、中岡慎太郎は陸援隊、
この二人が今生きてたら・・・と当時も思ったし、
今ページを作っている私もそう思っている。
まさにロマン溢れる二人である。
そうそうここでも、楽しい出会いがあった。
私が銅像の写真を撮っていると、車を降りてきた地元のアベックも写真を撮りだした。
アベックなので失礼かとも思ったが、挨拶してみると気楽に答えてくれて、話をすることが出来た。
ここでそのアベックの男性の方が教えてくれたのが、
よさこい鳴子踊りの歌である。
「高知の城下へ来てみんや〜♪、
じんばもばんばもよう踊る〜♪鳴子両手によう踊る〜よう踊る♪」
始めて聞いたその歌は、現在各地で踊られているよさこい鳴子踊りのルーツである。
鳴子踊りに、このフレーズが入ると、今でもその光景が思い出され、胸がジーンと熱くなる。
だから彩夏祭の鳴子踊りも大好きなのである。
室戸岬
中岡慎太郎の銅像を後にして、本日の宿へと向かう。
室戸岬のすぐ近くにある「ホテルニューむろと」、
ここは修学旅行の時に昼食をとった思い出のホテルである。
その話をすると、
一人旅であるにもかかわらず私のために家族風呂を用意してくれた。
その気持ちがとても嬉しく、お風呂に入りながら心がキュンとなったのを覚えている。
食事も新鮮な魚介類と鰹のタタキが食べられ、
とても美味しく、ここでもゆっくり休むことが出来た。
右の写真は、ホテルの近くで撮った室戸岬である。