1982年一人旅(その2)
☆4日目(1982年12月25日)
海岸線
今日は室戸から高知へとコースをとる。
この日も天気がよく、こちらは穏やかな海岸線で、
海沿いには爽やかな青さが広がる。
太陽の光がこれほど青を鮮やかにするのか・・・、
今までも知っていたよういで、しかし感動の一コマであった。
ススキの穂が、秋を感じさせる。
そう、これから高知の安芸市に入るのである。
岩崎弥太郎旧家
安芸で立ち寄ったのは三菱創始の岩崎弥太郎の旧家である。
「龍馬がゆく」でも登場する、岩崎弥太郎。
けっして裕福な出ではなく、あまりよく描かれてなかったが、
そのたぐいまれな才覚と、時代の風雲を巧み乗り切る力、
海運で財をなすようになる。
屋根の下にある「三菱」の家紋がやけに新鮮に映る。
私も岩崎姓であるが、父母ともに新潟がの出なので縁もゆかりもない。
しかし、親近感は覚える。
はりまや橋
高知市の中心にあるはりまや橋
朱塗りの美しい橋であるが、その橋は幅はあっても長さが意外に短い。
「ほつれた糸とはりまや橋は、どこが橋やら分からない」
修学旅行の時に、たしかそんな唄を聞いたことがある。
しかし唄で有名なのは、
「土佐の〜高知の〜♪はりまや橋で♪
ぼんさん〜かんざし〜、買うをみた〜♪」
というよさこい節であろう。
なおこの写真は、車で通りながら車中からの激写である。
はりまや橋を後にして、桂浜へと向かい、桂松閣が四国最終日の宿となる。
純和風の日本旅館で、龍馬の銅像にも近い。
フロントは、ちょっと無口な渋い方が担当で、そこで受付を済ませ、まずお風呂に浸かる、そして夕食。
その後少し時間をもてあましたので、旅館内にあるスナックに行ってみる。
そこのママさんが気さくな人で、一人でいる私に対し「ここは”さざんかの宿”なのよ」と気楽に話しかけてきてくれ、
高知についていろいろ話してくれた。
途中からフロントにいた方もそこに来て、私は二人にそれまでの旅の一部始終を話すことになった。
話し終わるとママさんが、「せっかくだから明日、高知を案内してあげたら?」とフロントの方に言ってくれ、フロントの方もこころよく了解してくれて、次の日に案内してもらえることとなった。龍馬の銅像にどうやっていくかが心配であったから、これはとても嬉しい約束であった。
というより、四国の人・高知の人の温かさをさらに痛感したひとときであった。
さて次の日が、龍馬との出会いだ!
☆最終日(12月26日)
次の朝、フロントの方は車を出してくれて、玄関で待っていてくれた。
ここで初めてフロントの方の名前を聞く。山下さんと名乗られた。
やはり無口で渋い山下さんだったが、時折見せる優しい笑顔、旅の最後に心強い。
特に当日は雨模様だったので、本当に助かった。
闘犬センター
まず最初に案内されたのが、龍馬の銅像の下の、闘犬センターである。
四国犬と海外種(ブルドック等)を交配して生まれた土佐犬を、
右の土俵?で文字通り一対一で闘犬させるのである。
やはり高知の闘犬が一番有名であろう。
勝敗はどちらかが背を向けたり、キャンと鳴き声をあげた方の負けとなる。
最初に横綱の土俵入りがあり、その後対戦となる。
私も間近でその戦いを見たが、両犬が襲いかかる姿は迫力があり、恐ろしさを感じるものであった。
坂本龍馬銅像
闘犬センターの脇の階段を上がっていくと、そこに銅像がある。
この階段は手すりがなく、山下さんがいなければ、一人では上っていけなかった。
案内してくれ、ここで手を引いてくれた山下さんには、大感謝である。
さて、手を引かれて上っていくと、龍馬の後ろ姿が目に映ってきた。
台座の下には銅像の由縁が書かれている。
ゆっくり銅像の正面にまわると、龍馬の威風堂々とした姿が目に飛び込んできた。
雨にけぶる空の下、それでも桂浜から太平洋ににらみをきかせている龍馬の姿は美しい。
見上げる目には、雨か、涙か、潤んでくるのがよく分かった。
やっぱり来てよかった、本当によかった。龍馬に会えてよかった。
ふと山下さんを見た。
僕のその気持ちが分かったのか、山下さんも優しい笑顔で微笑み返してくれた。
どのくらいそこにいたのだろう。一瞬のようでもあり、長い時間いたようでもあり、
山下さんに写真を撮ってもらい、感動の余韻に浸りつつ、その場を後にした。
しかし、その場を後にする時に闘犬センターに貼ってあったポスターをチラッと見たとき、余韻は5年後につながるものになっていった。。。
日曜市
ちょうどこの日は日曜日、高知で有名な日曜市のやっている日であった。
市役所前、高知城下のメインストリートにその市は立ち並ぶ。
高知に限らず四国の野菜や特産物、海産物、変わったおみやげ物、
長い道の間をびっしりと市が並んでいる姿は、壮観であった。
山下さんは、良い場所に車を止め、そこも案内してくれる。
賑やかな市をいろいろ見てまわり、
その中で、
大きめの黄色い高知特産の「ブンタン」と、
それまで知らなかったオレンジに似た「ポンカン」を買い、
味覚の楽しみなお土産とした。
横浪三里
高知市の日曜市をあとにして、
山下さんが最後に面白いものを見せてあげると言って、道は西へと向かう。
横浪三里と命名されたその地は、海岸線に小島?が並び、
なんとも不思議な光景で、その美しさに私も魅了された。
ちょうど昼食時でもあり、あるレストランに入ったが、
そこは回転するレストランであり、横浪三里の姿をより楽しめるものとなった。
そこで四国最後の昼食を楽しみ、
山下さんにお礼として心ばかりを包み、
桂浜の桂松閣に戻りあらためてお礼を言いそこで別れ、
四国の旅の全日程を終え、高知港に向かう・・・、
はずであった。
しかしまだ時間もあり、桂浜で見たポスターが気になり、ポスターの貼ってある闘犬センターにもう一度向かったのである。
そのポスターにはたしか、「坂本竜馬生誕百五十年記念・台座修復募金」と書かれていた。
旅も最後、余裕のあるお金はなかったが、僅かでもいいから、どうしても募金をしていきたいと思ったのである。
闘犬センター近くにその事務所らしきものがあり、早速そこに立ち寄ってみたが、
日曜だったからか、
事務の女性が一人いるだけだった。
私が「龍馬が好きで募金したくて・・・」というと、すぐに募金箱を持ってきてくれて、
相手も暇を持て余していたのか、募金をした後も龍馬についていろいろ話してくれて、
最後の最後でもまた、楽しい出会いとなった。
その時に募金したのは僅か100円玉一枚であったが、
旅行後に、土産で買ってきた龍馬の銅像型貯金箱に何気なく始めた、毎日の100円玉貯金、
それがのちのち五年後の四国行きの旅行費となることはこの時はまだ、知るよしもなかった・・・。
さんふらわ
さんふらわでの帰港となる。今も昔もこんな美しい船はないと思う。
夕方5時過ぎ、誰からも見送られることなく船に乗り込み、甲板に出る。
銅鑼が鳴り、汽笛が鳴って日の暮れた岸壁から静かに船は四国から離れていく。
さんふらわ号が高知港から浦戸大橋をくぐり太平洋に出ようとした時、
桂浜の方角に、そこにライトアップされた龍馬の姿が見えた。
ほんの小さく、しかし私にはくっきり見えた。
「○○○○○ぜよ・・」
そう龍馬は私に言ってくれたように思った。
1982年初めての四国の一人旅はここで終わるが・・・、
四国への思いは5年後へと。。。