幸せの瞬間


なっちゃんが、カエルのケロちゃんを指にはめて、コーヒーの入っている戸棚をのぞいていたので、
「ケロちゃん”と”、コーヒー、ないないしといてね。」
と私は言ったのだ。

そんなことは、とっくの昔に忘れて、さてコーヒーを出そうと、戸棚を開けてみたら、コーヒーの横に、ちょこんとケロちゃん”が”置かれて(ないないされて)いた。

私は、ケロちゃんと仲良くね、というつもりだったのだけれど、菜月は、かぁしゃんが言ったとおりに、そこにケロちゃんを「ないない」したのだ。
思わず、ほほえんでしまう出来事だった。
子供というのは、不思議な力を持っている。
ふぅっと力がぬけて疲れも忘れる、思わず頬がゆるむ瞬間というのがある。
幸せの瞬間。
心からこの子がいとおしいと思う。


ないないされていた
ケロちゃん


8月上旬だっただろうか?
NHKで「子育ては楽しいですか?」という3時間のトーク番組があった。

その中で、
「私にとって子育てとは?」
という問いがあったのだ。
それには、実にいろいろな回答があった。

子育てとは...「生きがいというみせかけだけの自己満足」
子育てとは...「天国と地獄」
子育てとは...「神様から与えられたテスト」
子育てとは...「自分も成長する暗い孤独なトンネル」
子育てとは...「あせらず あわてず あきらめず」
子育てとは...「騒がしさの中で時々訪れる幸せ」
子育てとは...「楽しみと絶望の繰り返し」
子育てとは...「出口の見えないトンネル」
子育てとは...「得るものが多いが失うものも多い」
子育てとは...「宇宙人との闘い」
子育てとは...「終わりのない宿題のようなもの」
子育てとは...「未来をつくること」
子育てとは...「期限つきの楽しみ」
子育てとは...「矛盾の海の一艘の小舟」

「子供」は自分の「分身」であり、「子育て」は私の「生きがい」
一般的に思われているような、そんな通り一遍のきれいごとでは語り尽くせない、実に様々な答え。
人それぞれ、十人十色の回答。

その中で、もっとも私の心に響いたもの。
子育てとは「騒がしさの中で時々訪れる幸せ」
まさにぴったりの気持ちの今日この頃。
幸せだと感じる一瞬以外の、菜月と一緒にいる1日のほとんどの時間は、「喧騒」の中にある。
毎日毎日は、まさに「宇宙人との戦い」だと思う(^^;;;


思えば、これが戦いのはじまり(?)

(生後0ヶ月)



戦士の休息(?)

(生後2ヶ月)



とーしゃんと遊ぶ菜月

(生後5ヶ月)


子供なんて...
ほんとに、ちぃっとも思うとおりにはならない。
自分の意思をがむしゃらに押し通そうとする。
そのくせ、自分の思うようにいかないと言って怒る。泣く。
真面目に食べない。
食べたいものしか食べない。
飽きっぽい。
したいことしかしない。
そのくせ、家事してる時にかぎって、すがりついてきて邪魔ばかり。
こっちのやりたいことは、ちっともさせてくれない。
なかなか寝ない。
やりたい放題、散らかし放題。
あげればきりがない...ほんとに。


立った、立ったができました。

(生後10ヶ月)


けして怒りたいわけではないのだ。
怒って言うことを聞いてくれたことなんて1度もない。
かえって、八つ当たりされるか、ますます大泣きされるかどちらかである。
だけど、1度も怒らずにいた1日なんてほとんどない。
「投げたらダメ。」
「ちゃんと食べなさい。」
「捨てない、捨てない。」
「だめだめ、さらさらしない!」
「こらこら、いいかげんにしなさい。」
「笑う」回数よりも、「怒る」回数のほうが多い。
「ほほえむ」よりも、「うんざりする」ことのほうが多い。
そんな毎日なのだ。

そんな話を聞くせいもあるのか、まだ独身の私の友達の中には、「結婚」も「出産」も「子育て」も、ただわずらわしいと考えている友達もいる。
それもわからないでもない。
(というか、よくわかる)

実際、他人同士が一緒に生活するというのは、難しいことに違いない。
「結婚」を決めるのだって、けっこうな勇気なのだ。
子供を大きくするということだって、たいへんなことに違いはない。
たったの1年半でさえ、そう思うのだから、間違いない。
「出産」するのだって、その後、「子育て」するのだって、それを決意して選択するのは、けっこうな勇気なのだ。


とーしゃんと水遊びなのだ

(1歳4ヶ月)



菜月も洗車のお手伝い(?)

(1歳4ヶ月)
子供が出来ると、何もできなくなるし、遊べなくなるし、お金の自由もなくなるし...
私だって、妊娠中、子供がいるという、まだ未知の生活に、不安ばかりが浮かんだこともあった。

そして、これまた、現実は、恐ろしいほどにそのとおりなのだ。
自分の時間なんてちっともない。
自分のしたいことなんてちっとも出来ない。
自分の欲しいものは我慢して、それだったら菜月のものでも、と思う。
お金の自由もあまりない。


「はい、ジャ〜ンプ!」

(1歳6ヶ月)


だけど、最近、思うのは...
「幸せ」には、いろんな「形」があるのだ。
「自由」であり「金銭的に恵まれている」ことだけが幸せではなかったのだ。
子供が産まれて、たいへんな思いをして、はじめてそんなふうに思う。

子供が産まれたら、今まで当然に出来ていたことができなくなる。
失うものも確かに多い。
だけど、幸せは形を変えてやってくるらしい。
そして、それは、菜月が生まれてきたからこそ、はじめて味わえる幸せの形なのだ。

コーヒーの横に置かれたケロちゃんにほほえんだ。
はじめてたっちができたと、みんなで拍手して喜んだ。
そんな、なんでもないような、小さなことが、こんなにもうれしい。
「騒がしさの中で時々訪れる幸せ」
子供の成長というのは、たぶん、そんなささやかな幸せの繰り返しなんだと思う。

...とはいえ、ほとんどの時間はやはり「喧騒」の中にいる毎日。
菜月が寝ている今は、そんなこと言ってるけど、やっぱ、宇宙人との果てしない戦いには、うんざりしない日なんてない、というのも、これまた正直な気持ちである。

ただ、毎日毎日の慌ただしさの中で、忘れてしまいそうになるけれど...
菜月、1歳と6ヶ月。
成長いちじるしい菜月の、もう2度と帰ってこない、今日というこの1日。
毎日毎日のなんでもない日々の今、この時が、実は「幸せの瞬間」なのだということを、たまには、しみじみと思ったりしながら毎日を送りたい、と思うのだ。


みんなで公園に遊びに行きました。




「幸せの瞬間」

(1歳6ヶ月)