2歳の日に思う


4月2日で、菜月も2歳になった。

写真を貼ったアルバムを見返してみると、その日、その時、その一瞬がなつかしい。
夏に着ていた服を整理し、タンスにおさめる。
その服は、たった数ヶ月前に着ていたものなんだけれど、うそみたいに小さくなってしまっていて、その服をたたみながら、大きくなったなぁとあらためて思う。


なつかしいなぁ、と菜月しゃん(?)


(1歳7ヶ月)


菜月が生まれるまで、私は、子供になんてまったく興味がなかった。
ほとんど視界にすら入ってなかったと言っていい。
でも、菜月が生まれて2年。
子供のいない生活は、もうすでに想像すらできない。
子供はかわいい。
心の底からこの子がいとおしいと思う。

だけど、いつ、いかなる瞬間もそうかと言われると、残念ながら、けしてそうではなかったりする。
正直なところ、むしろ、そうではない時のほうが多い。
日々の生活の中では、
「こいつぅ!」
と思っていることのほうが圧倒的に多い(^^ゞ

以前、一緒に仕事していた人が、夜泣きの始まった赤ちゃんに対し、
「自分の子供じゃなかったら、どこかに捨てに行きたいくらいだ!」
と言っていたけれど、菜月が生まれてから、よくその言葉を思い出す。
自分の子供じゃなかったら...確かにそうかもなぁと思う。
この1年の間に、
「こいつぅ、捨てるぞぉ。」
そう思う瞬間が何度あったか...
今、菜月がここにいるのが不思議なくらいだ(^^ゞ


こんなにちっちゃかったのだ

(生後0ヶ月)




菜月も、とにかく寝ない子だった

(生後2ヶ月)



子供というのは、ほんとに手がかかる。
これでもか、というくらいに。

ほんとにもう...と思うことばかりだ。
どうして、抱っこ抱っこばかり。
どうして、食べてくれないの。
どうして、寝てくれないの。
どうして、1人じゃぁ遊べないの。
「どうして...なんで...いつもいつも。」
という思い。そして、
「つまらないことで怒ってしまった...」
という後悔の思い。
その板挟みの毎日。

子供の成長はうれしい。
その子供の成長を見守る仕事、それが「育児」だ。
と考えると、育児というのは、とても楽しいものだと思う。
けれども、その楽しさも、時としてわからなくなってしまうほどに、とてもせつないものだとも思う。


思うようにいかないと、すぐに大泣き

(1歳11ヶ月)



そして、はいつくばってゴネまくり

(1歳10ヶ月)


ただ、子供の身の回りの世話に明け暮れた最初の1年。
これが、1歳をすぎ、お乳を卒業し、夜も寝てくれるようになり、だんだん大人と同じものが食べるようになると、身の回りの世話という面に関しては、ずいぶん楽になるのだけれど...
そのわりに、ちっとも楽にはならなかったりするのだ。不思議と。
なんせ、1歳をすぎ、歩くようになり、しゃべるようになり、自我が芽生えてくると、一筋縄ではいかなくなってくるのだ、これが(^^ゞ

それぞれの性格もはっきり出てくる。
菜月はと言うと、人一倍人見知りがはげしく、すぐにまわりとうち解けるというタイプではない。
慎重で、こわがりで、泣き虫で、自分よりずっと小さな子に物をとられても、
「とられちゃったの...」
と、私のところに帰ってくるような子なのだ。
そのわりに、おうちの中では、「傍若無人」だったりするのだが...(^^;;;
とにかく、一時も私から離れることが出来ない。
いつも私の手をひき、デパートなんかにある子供の遊び場にさえ、1人ではけして入っていけないような子なのだ。


6ヶ月も小さい一成君に

バケツを取られて大泣きの菜月

(1歳7ヶ月)



いつも、かぁしゃんと一緒

(1歳7ヶ月)


四六時中、手をひかれ、拘束されているというのは、けっこうしんどいものだ。
そして、とにかく、菜月は昼寝しない子で、それも、この1年、私がしんどいと思うことの1つだった。
そして、あまり食べてくれないことも。

なんとか食べさせようと思案し、なんとか寝てくれないだろうかと色々やってみる。
たこ焼きをよく食べてくれれば、朝から菜月のためにたこ焼きを焼く。
海苔巻きにして食べてくれれば、海苔巻きを作る。
魚を食べれば、菜月用にわざわざ魚を煮る。
寝ないのは運動が足りないせいかと、午前中は公園で遊ばせ、午後からは散歩に、ととにかく外に連れ出す。
でも、食べないものは食べないし、寝ないものは寝ないのだ。
あまりの人見知りの激しさに、
「みんなと一緒に遊んでごらん。」
と、どんと背中を押してみたところで、かえって逆効果。
ますます私にべったりとなる。

努力すればするほど、その成果のなさにがっくりし、がんばればがんばるほどに、なんだか、ただただ疲れるばかり。


「いらないですぅ」

(1歳8ヶ月)



ご飯よりもテレビが気になりますぅ

(1歳10ヶ月)


どうして、抱っこ抱っこばかり。
どうして、食べてくれないの。
どうして、寝てくれないの。
どうして、1人じゃぁ遊べないの。
「どうして...なんで...いつもいつも。」
ついつい、そんな思いに心を占められてしまう。
そして、
「つまらないことで怒ってしまった...」
という自己嫌悪の念にさいなまれていく。
「こんなんじゃいけないなぁ。」
と思う。
そんな毎日。


とにかく、抱っこにおんぶで日が暮れる


(1歳3ヶ月)


「どうにかなってしまいそう...」
寧々ちゃんのお母さんが言ったけど、ほんとに、自分はいったい何なんだ、と自分でも自分がわからなくなる時がある。
「もぉ、油が散るからあっちに行ってなさい。」
と怒ったすぐ後に、それでも大泣きで私に抱っこをせがむ菜月に
「ごめん、ごめん。大丈夫だからね。こっちにおいで。」
と抱き上げる。
なのに、
「よくできたねぇ。」
と言ってるはしから、
「もういいから、早くしなさい。」
と怒っている。
ほんと、どうにかなってしまいそうだ(^^ゞ


だって、やることなすこと、

いらんことばかりなのだ


(1歳10ヶ月)


私っていったい何なんだ...
あらゆる場面で、自分を見つめ直すことをつきつけられる。
こんなにも、たたきのめされ、自分という人間の未熟さ、心の狭さ、小ささを思い知らされることは、今までにはなかったことだと思う。

そして、たどりついた結論は、どんな自分であろうとこれが自分なのだ、ということ。
そして、菜月は菜月なのだ、ということ。
ぼちぼちいくしかない、ということ。
なるようにしかならない、ということ。
育児は、やはり根気なんだろうなぁと、ということ。


みんなでがんばろー♪

(1歳5ヶ月)


だけど、そう達観したつもりでも、毎日毎日、はてしなく続く日々格闘の毎日に、やはり追いつめられることはあるのだ。
危ない一瞬というのは確かにある。
思わず、子供をぶっ飛ばしてしまいそうな衝動にかられることは、誰しもあることだと思うのだ。
もちろん、毎日のように日本のどこかで起こっている虐待のニュースを聞くと、
「なんで、そこまで...」
という怒りを覚える。
でも、同時に、今現在、子育て進行中の当事者にしか、けしてわからないだろう、子育てのせつなさも、痛いほどわかる。


この笑顔にすくわれるのだ

(1歳11ヶ月)


それでも、とりあえず笑ってすごせる今がある。
それは、とにもかくにも、元気に育っている菜月がいるのと、子育てを一緒に共有してくれる友達がいるからだ。

ちょうど今から1年前。
それは、たまたま公園で会うようになった何人かのご近所さんだった。
最初はぎこちなかった。
が、話してるうちに、メイルを送ったりするようになった。
子供の年も近かったが、私たちの年齢もまた近いことがわかった。
そして、仲よくなった5人でメイリングリストを作った。
「明日公園に行く?」
というような話から、
「小児科ってどこ行ってる?」
「1歳半検診って何をやるの?」
というような話。
育児の話にとどまらず、料理のレシピ、パソコンの使い方、自分の話、好きなこと、悩み、愚痴、...今ではなんでも話しあえる。
時には、シフォンケーキの作り方を教えてもらったり、みんなで集まってたこ焼きを焼いたり、動物園に行ったり、買い物に行ったり...
5人の母親に8人の子供連れ、で出かける。


みんなで動物園に行きました

(1歳6ヶ月)



みんなで千田公園に行きました

(1歳11ヶ月)


思えば、この1年は、菜月のおかげで、新しい人間関係を築きあげてこれた1年だったのだ。
学校も違えば、趣味も違う。
同じ地域に住み、同じくらいの年の子供がいて、子供を遊ばせている公園がたまたま同じだったという、偶然の出会いから、子供がいなかったら、けっして話をすることもなかっただろう私たちが、こうしてつながりあっているという不思議。
これも菜月が持ってきた幸せのひとつなのだと思う。

丸1日、母親1人がマンツーマンで1人の子供を見るのは、なかなかたいへんだ。
身動きもとれない。
ストレスもたまる。
でも、5人の母親が5人の子供を見るのであれば、なんとかなるものなのだという事実。
1日のたった数時間の時間だけでも、そんな時間が持てる。
それだけでも、ぜんぜん気持ちは違うものなのだ。
子育てってそういうものなのだと思う。
助け、助けられ、支えられ、共有する。
もし、私1人だったら、子育てというのは、たぶんもっとつらいものになっていたんじゃないかと、友達を得てあらためて思った1年だった。


菜月も、だいぶ人の輪に入れるように

(1歳11ヶ月)


そして、先日のこと。
さて、帰ろうかと砂場に散らかったおもちゃをかたづけて、ふと見ると、菜月が1人でどんどん公園のはしまでかけて行っている。
菜月の少し前には、一成君を連れたお母さんが階段を登っている。
もしかして、一成君のお母さんと私を間違えて追っかけて行っちゃったのか、と思ったその時、公園のはしで立ち止まった菜月が一成君のほうにむかってバイバイしたのだ。
そして、振り返り、うれしそうな顔で、またこちらにかけてきた。
それは、いっけんなんでもない光景だけれど、私にとっては、ほんとにほんとにうれしい光景だった。
「バイバイしたの。一成君に。」
うれしそうに言う菜月。
菜月は、一成君にバイバイするために、公園のはしまでかけて行ったのだ。
ブランコに行くにも、滑り台に行くにも、いつもいつも私の手をひいて、一緒じゃないといけない菜月が、私の手から離れて、1人でかけて行った。。
一時も私のそばを離れることのできなかった菜月も、いつの間にか、こんなに成長していたのだった。



2000年3月29日

(生後11ヶ月)


2001年3月26日

(1歳11ヶ月)


そういえば、最近は、ぐちゃぐちゃながらも、1人でなんとかスプーンを使えるようになってきた。
抱っこ抱っこで寝かせていたのが、いつのまにか、抱っこしなくても寝てくれるようになってきた。
少しの間なら、1人でテレビを見ることもできるようになってきた。
いつも何をするにも、ずっと見てなくちゃいけなくて、まったく手がかかる、手がかかると思っていても、知らないうちにこんなに成長している。

菜月、2歳0ヶ月。
たったこの間まで赤ちゃんだった菜月も、抱っこされた赤ちゃんを見かけると、
「あかちゃんだぁ、かわいいねぇ。」
と言うようになった今日この頃。
まだ歩くこともできなかった、1年前の今日が、もうずっと遠い昔のことのように思える。
子供の成長ってほんとに早い。

菜月、2歳のお誕生日おめでとう。


子供は笑顔が一番かわいい

(1歳11ヶ月)