春巻き食べたら...


かぁしゃん、30歳と16ヶ月。
(ま、つまり、31歳ということなのだけれど...)
ただ今、妊娠5ヶ月。
2人目が授かるというのは、実にうれしいものだ。
「よかったねぇ。おめでとう。」
大げさなくらい喜ぶ、まわりの人の言葉とは裏腹に、どちらかと言えば、妊娠したことへの驚きや、出産して、子供がいるという、まだ経験したことのない未知の生活への戸惑いや不安の大きかった1人目のことを考えれば、これは、ほんとに、ただ単純にうれしい。


菜月も来年はおねえちゃんに

(2歳7ヶ月


「子供のいる生活」と、「子供が1人もいない夫婦だけの生活」。
どっちがよい、悪いというものでもないし、どっちが幸せで、どっちが不幸せというものでもないけれど、それが、まったく「別物」の人生だということは、確かだ。

「育児ノイローゼ」って言葉があるくらいだ。
たった1人子供が増えるというだけで、生活は一変する。
たった1人の子供のめんどうを見ることが、こんなにたいへんな作業だったなんて、誰が想像できただろう?
生活の中で、「自分のための」時間を持つことの、いかにたいへんなことか。
そこには、「私のための」なんてものは、ほとんど入る余地がないのだ。
かき込むように、ご飯を食べ...
せかされながら、掃除をし、洗濯物を干し...
やいやと怒りながら、かたづけさせ...
何事も中途半端にしかできないまま、子供からは、一緒に遊ぼうとまとわりつかれ...
さんざん苦労させて、寝かしつけ...
たまにショッピングでも、と出かければ、子供はおもちゃ売り場から離れず...
やっとだまし、だまし、買い物したその帰りには、抱っこだ、おんぶだと座り込まれ...
たまに見たいテレビさえも、見れないじゃーないか。

子供が生まれた瞬間から、「ゆっくり」ご飯を食べるとか、「のんびり」湯につかって疲れを取る、とか、そういうささやかな願いさえ、かなえがたい、贅沢なこととなるのだ。


お手伝いしてくれてると思ったら



いつのまにか、散らかし放題に

(2歳7ヶ月)


そんなことが、もし、子供が生まれる前に、正確にわかっていたとしたら、「子供のいる生活」をあえて望むことは、なかなか勇気と決断力のいることだと思う。
自分自身、それでも子供がほしいわ、と思ったかどうか自信がない(^^;;;
たぶん、思わなかったと思う。

ただ、生まれてしまえば、いやでもそういう生活に、無理やりにでも慣らされることになるわけで、1年もすると、少しは、その生活にも体が慣れてくる。
そういうものだというあきらめもついてくる。
最初の1年なんて、ほんとに、日々、生気を吸い取られていくような気さえしていた。
ただただあわただしく、たいへんな毎日だったけれど...
子供というのは、やはりかわいい。
そして、ほんとに成長が早い。
日に日に成長する子供の姿を見ると、過ぎ去った苦労は、簡単に忘れる。
それどころか、2歳になり、少し手が離れて、多少楽になってくると、なんだか、子供が生まれてから、今までにすぎてきた1日1日は、すばらしく輝いた日々だったとさえ勘違いする(^^;;;
でも、まぁ、それは、けして、全くのウソというわけでもなく、あわただしさの中で見失いがちになるけれど、子供が出来たからこそ、はじめて経験できる「幸せ」というものが確かにあるのだ、と気づく。


最近では、ちょっとした芸術家?

(2歳7ヶ月)


そして、2年もすぎると、菜月の「赤ちゃん」だった頃が、なつかしくさえ思えてくる。
もう1度、赤ちゃんをこの手に抱いてみたいなぁと思ってくる。
どうせ、今だってたいへんなのだ。
子供1人も子供2人も変わらない、という気持ちになる。
「子供のいる生活」と、「子供が1人もいない夫婦だけの生活」は、まったく違う人生かもしれないけれど、「子供が1人いる生活」と「2人いる生活」は、そう違いはしないはずだと思う。


ちょうど2年前の菜月

(生後7ヶ月



が、いざ妊娠すると、すぐに「つわり」が来るわけで...
中にはまったく、つわりというものを感じることのない人もいるけれど、入院するほどひどい人だっているくらいだ。
これは、ほんとにつらい。
めでたい気持ちも一気に吹き飛ぶ。。
私のこの2ヶ月間も、ほんとにうんざりするような日々だった。
あらゆる「匂い」に敏感になり、食べ物の匂いに吐き気がし、何も食べる気がしない。
でも空腹になると、さらに吐き気がするという毎日。
「こんなの、生きてる甲斐もない。」
とさえ思ってしまう毎日だった。
もう2度と思い出したくもなければ、2度と経験したくもない。


そういう体調の最悪な時には、ついつい、イライラもしてしまうわけで...
この2ヶ月の間に、菜月は、私の口真似から、実にたくさんの言葉を覚えた。
「もう、うるさい!」
「いいかげんにしなさい。」
「知らん。」
「疲れた。」
などなど(^^;;;
いやいや、菜月、なかなか物覚えが速いなー(^^;;;


「なっちゃんは、疲れちゃったから」

が最近の口癖

(2歳7ヶ月


ま、とにもかくにも、悲惨なつわりの2ヶ月は乗り越えた。
考えてみれば、菜月も、春が来て3歳の誕生日を迎えて、しばらくすると、「おねえちゃん」になるのだ。
それで、先日、一緒におふろに入った時に、菜月にも、赤ちゃんを紹介してやった。
「かぁさんのここ、おなかの中には、赤ちゃんが入っとるんよ。」
と。
菜月は、すごく不思議そうな顔をして、
「ここぉ?」
と私のおなかをそろそろ触っていたけれど、
「こっから、なっちゃんが出てくるのぉ?」
最初は、あまりよく理解できないようだった。
でも、
「春になったら、『こんにちはっ』ってここから赤ちゃんが出てくるから、なっちゃん、よろしくね。」
と言ったら、
「ふぅ〜ん」
なんとなく納得したような返事。


「なっちゃんのおなかには、

赤ちゃんがいるの。」

(2歳6ヶ月


が、おふろから出るや、
「かぁさん、春巻き食べたら、明日、何が出てくるって言ったっけ?」
(春になったら、赤ちゃんが出てくるって言ったのよ...)
いきなり、「食べ物」の話にすりかわったりしていた。
君はいったいどういう納得の仕方をしたのだ(^^;;;

そして、
「かぁさんは、明日、春巻き食べたら、赤ちゃんが出てくるんだよ。」
さっそく家族に説明してまわり、みんなの頭を混乱させたりするのだった(・_・?



さらに、最近では、すっかりその気になった菜月。
「なっちゃんのここにはねぇ、赤ちゃんがいるの。」
と大事そうに、自分のおなかをなでなでしていたりする。
来春、「おねえちゃん」になるものと思われた菜月は、どうやら「おねえちゃん」を通り越して「お母さん」になるつもりらしく...(^^;;;
いやいや、子供の成長は早いものだ(??)

が、さらに、それから数日。
「かぁさんのおなかには、赤ちゃんが入ってるの?なっちゃんのおなかにはねぇ、恐竜さんが入ってるの。春になったら、がおぉって出てくるんだよ。」
「.....」

そして、日を追うごとに
「なっちゃんのここにはねぇ、こいのごり(←鯉のぼりのこと)が入ってんの。春になったらねぇ、がおぉって出てくるんだよ。」
「.....」

「なっちゃんのおなかにはねぇ、恐竜さんの卵が入ってるの。ここだよ、ここ。3つなの。」
「.....」

「なっちゃんのおなかにはねぇ、マリオが入ってるんだよ。いいでしょぉ?」
「.....」
日々、おなかの中にいるものが変わっていく(^^;;;


菜月、2歳と8ヶ月。
おふろに入ると、大事そうに、自分のおなかをなでなでする今日この頃。
菜月、君は、その小さなおなかの中に、いったい、いくつの生命を宿そうとしているのだ(^^;;;


外にいるとご機嫌

(2歳7ヶ月)