3歳おめでとう


はじめての子育てで、子供が1歳を迎えるというのは、はじめてで何もわからないながらも子育てをとりあえず1年やってこれたという意味も含めて、とりわけ感慨深いものであり...
2歳になり、「赤ちゃん」を卒業して「幼児」に成長した子供が、ようやく大人の生活にあわせて、それなりの生活ができるようになると、ほんとにほっとするものだ。

そして、この春で菜月も3歳。
菜月、3歳の誕生日は、ただなんとなく、というか、とりたてて特別な気負いもなく、自然に迎える、ふだんとかわらない1日だ。
それは、菜月を家族に迎えて3年、すっかりその生活が自然のものになってきたというのもあるし、やはり、菜月が、この1年、とにもかくにも何事もなく無事に成長してきたということなのだろうと思う。


もうすぐ3歳でーす!

(2歳11ヶ月


「個々の人間の成長がピークに達すれば、後は枯れていくだけです。でも、子供を持つことで生命は確実に展開していく。成長するってほんとにすばらしいことだなぁと実感する。」
ある雑誌で、そんなことを書いている人がいた。

確かに、いったん成長し、大人になってしまうと、春が来て、夏が来て、秋がすぎ、冬がすぎ、また春がきたところで、たいした変化もなく、感慨もない。
学校を卒業して社会人になると、季節感を感じることもなく、ひたすら会社と家とを往復する毎日で、気づいてみれば、数年がたっていたりする。
春が巡ってきたところで、子供の頃のように、新学期が始まるわけでもなし、1つ学年があがるわけでもなし、背が伸びて大きくなるわけでもなし...
ただ、1年がすぎ、1つ年がふえるというだけのことだ。


ところが菜月が生まれてからは、めざましく進歩する菜月の成長ぶりとともに、季節がめぐり、2年前の夏はこうだった、去年はこうだった、そして、今年はこんなに大きくなったと、菜月とすごす1年1年は、みんな新しい。

毎日毎日は、何気ない1日の繰り返しのようでも、1年がすぎてしまえば、そこには、確実に成長の跡があり、アルバムにその跡が刻まれていく。
アルバムをめくって、振り返ってみれば、わぁ、なつかしいなぁと思える1コマ、1コマがたくさん存在する1年というのは、すばらしい。



春は花見へ...

(2歳0ヶ月)


夏は海へ...

(2歳4ヶ月)


雪が降れば、雪だるま...

(2歳10ヶ月)


いつのまにか、菜月の会話だって、すっかり1人前だ。
トイレに連れて行こうとすれば、
「おしっこは、今、つまっちゃって出ないの。」
(どこにつまっているのかは知らないが...)
と理由をつけ、あれ持ってきてと頼めば
「なっちゃんは、疲れちゃったからできないよぉ。」
さも疲れたというふうに困った顔で言う。
外出先で、
「かぁさん、トイレに行ってくるね。」
と言うと、早く電車に乗りたい菜月に、
「かぁさん、トイレはダメなの。明日にしようね。ね、ね、わかった?」
と諭される。

いやいや、それはもう、感心するのを通り越して、やれやれとあきれる域にまで達している。

そう、「やれやれ」と思うことは、数知れず。
1年を振り返れば、なつしかしいと思える日々も、毎日毎日は、感動の日々とは程遠く、「やれやれ」の繰り返しだ。


最近はパソコンの存在が気になる

「なっちゃん、今、メールしてるの」

(2歳11ヶ月


最近の出来事で、かぁしゃんがもっとも感動した出来事と言えば、菜月2歳と11ヶ月にして、ある日を境に、突然、夜中、目を覚まさず朝まで寝るようになった、ということだろうか?
というと、
「え!じゃー今まではどうだったの?」
とよく聞かれるのだけれど、なぜか、不思議と、夜中も、菜月は、必ず何度かは起きるのだ。
何度かなんてもんじゃない、起きる時は4回も5回も起きる。
お茶がほしい、アイアイ(童謡のCDのこと)かけて、てってつないで、おふとんかけて...
ふと目を覚ますたびに、「かぁさん、かぁさん」とあらゆることを要求してくる。
何度も何度も、しかも人の都合で睡眠を分断されるのは非常につらい。
しかも、毎日毎日のことであり、しかも、同じ年頃の子を持つ、まわりの誰に聞いても、うちは起きずに朝まで寝てくれるけど、と首をかしげられると、よりいっそう腹がたつ。


寝かせる時は、「耳かき」攻撃

(2歳11ヶ月


しかも、夜がそんなふうだからと言って、菜月自身は睡眠が足りてないというふうでもなく...
基本的に、菜月は、昼寝をしない。
する日もあるけど、少なくとも定期的ではない。
しかも、昼に昼寝をすることは減他にない。
するとしても夕方6時や7時。
今更寝るなという時間帯に眠くなり、必ずグズる。
だから、かぁしゃんは、そんな時は、夕飯をゆっくり味わう暇もなく、流し込むように食べ、とにかく寝る前に菜月をおふろにつけるのだ。
でも、おふろにつけると、完全復活をとげた菜月は、寝るどころか、ますますハイになり、夜の11時近くまで元気に遊ぶ。
そんなことの繰り返し。
やれやれだ。


実家で猫のミーちゃんとお昼寝

(2歳11ヶ月
「そのまま、7時くらいに寝させておけば朝まで寝てくれるんじゃない?」
と言われるけれど、けしてそんなこともない。
菜月にとっては、いくら夜の7時でも、それはれっきとした昼寝なのであり、7時に寝ても、8時か9時には必ず起きる。
「昼寝しない日もあるけど、しない時は、8時か9時には寝てくれるから助かる。」
という話もよく聞くが...
菜月、生後3年。
9時より前に眠りについたなんてことは、ほとんど、この母の記憶にはない。
少なくとも、この1年間で、記憶しているところでは、5回はないはずだ(^^ゞ
とにかく、寝がかたい。
やれやれだ。


絵本を読んで、カエルちゃんを

寝かしつける菜月

(2歳11ヶ月)


「寝ない」もさることながら、「食べない」そして「離れない」。
どこへ行っても、何をするにも、ほとんど私のもとから離れることはなく、ずぅっと手を握っている。
ご飯を食べる時も、となりに座っといてと言う。
電車やバスに乗っていても、手をつないで、と言う。
家の中でも、私がいないことに気づくと、血相かえて探し回る。
やれやれだ。

実家に帰ると、子供は、おじいちゃん、おばあちゃんにべったりだって話も聞くけど、そんなこともない。
ますます「かぁさん、かぁさん」で、トイレまでついてくる。
家以外では、テレビを見るのですら1人では見れない。
たまには実家に帰ってゆっくりしようと思うのに、帰るたびに疲れる。
やれやれだ。

いくら子供がかわいくても、1日じゅう、しかも、毎日となると、わずらわしい。
しかも、昼寝のない菜月の1日は長い。
朝8時に起きて、夜11時前に寝るまで、束縛されている気分。
私だって開放される時間がほしいし、時には、手を振り払いたくなるというものだ。
同じくらいの年頃の子たちが、元気に1人で公園を走り回り、取ったり取られたりして遊んでいる姿を見ると、なおさらそう思う。


ちょっとそばを離れると

「かぁさん、こっちおいで」と菜月

(2歳11ヶ月)


でも、何が原因でそうなのか、はたして、それが育て方に原因のあることなのか、菜月の個性なのか、わからない。
そして、どうやったら、このべったりな状態を改善できるのかもわからない。
だんだん人に慣らしていくしかない、と思うけど...
そもそも、うちは6人家族で「核家族」でもなし、近所に同じ年頃の友達だっているのだ。
人に慣れてない、なんてことはないはずなのに...
なかなかむずかしいところだ。


近所の同級生

(2歳11ヶ月)


なんで、この子はこんなに手がかかるんだろうと思う。
なんで、こんなに手がかかるんだろうと思うけれど、多かれ、少なかれ、どんな子でも、子供というのは、手のかかるものなのだとも思う。
ただ、1人1人、手のかかるところが違う、というだけなのだ。
子供がやんちゃすぎて困っている母親だっているだろう。
「うちの子は、ほんとに手がかからないわ。」
と思って子育てをしている人が、世の中にどれほどいるかと考えると、そうはいないだろうと思う。
そうは思ってみても...たいへんなことにかわりはなく(T_T)

ほとんどの場合、「子育て」というのは、何1つスムーズにはこばない。
自分の時間も余裕もない。
怒ったり、ため息ついたり、時には、情けなくて、腹立たしくて...
どこにもやり場のない気持ちに、おかしくなりそうな時もある。
それでも、奮起して、がんばって、あきらめて、許して、認めて...
1歩すすんで2歩さがり、寄り道を繰り返す毎日。
なんでこうなんだろう、とため息をつかない日なんてない。
子供は、確かにどんどん成長していくけれど、その時々で、形を変えて、たいへんさが違ってくる。
1歳になっても2歳になっても、「子育て」が劇的に楽になるなんてことはない。
そして、これから、3歳になっても、幼稚園に入っても、小学校にあがっても、たぶんそうなのだろうと思う。


ただ...

3ヶ月検診の日、夏の暑いまっさかりで、菜月を抱いて、汗だくで坂道を歩いて保健所にむかう道。
抱っこひもの中から、はっと上を見上げた菜月が、まぶしそうにしながら、ほぉっとした顔で、不思議そうに、いつまでもいつまでも木漏れ日をながめていた。
こんな何気ない風景も、この子にとっては、生まれてはじめての風景で、いろんなことがすべて新鮮なんだなぁ、と感慨深く思ったものだ。
あの時、そんなふうに思ったその気持ちを忘れずにいたいと思う。

言葉がでない頃は、何がいやなのか、眠いのか、痛いのかわからず、せめて、どこが痛いのか教えてくれるようになったらどんなにいいかと思ったものだ。
だから、菜月が
「いたい」
と言って、はじめて、のどを指差したとき、なんだか、とてもうれしかったし、ほっとした。
やっと、この子の言いたいことがわかるようになったんだと思った。
あの時、そんなふうに思ったその気持ちを忘れずにいたいと思う。

そして、先日、あまりのぐずぐずに、思い余って
「かぁさん、なっちゃんなんて大嫌い!」
と言い放った私の顔をみて、菜月が神妙な顔つきで
「なっちゃんは、かぁさん、すきよ。」
と言った。
その言葉を忘れずにいたいと思う。


もうすぐ家族が1人増える。
菜月も3歳になり、やっと2人で、おでかけを楽しめるようになったこの頃。
お乳の心配もなく、ベビーカー押して、離乳食持って、たくさんの荷物片手に、食事と昼寝の心配をしながら、その合間に行動する、といった忙しい生活から、やっと抜け出てきた1年。
やっとここまできた子育てが、もうすぐ、また「ふりだし」に戻る。
大どんでん返し!
そういった気分。
赤ちゃんを迎えるというのは、もちろんうれしい。楽しみでもある。
でも、ふり返って、あのたいへんさを思い出すと、おそろしくもある。
同時に、ため息のひとつもつきたくなる。
それが、もうすぐ赤ちゃんを迎える今の正直な私の気持ち。


2人でお花見に行きました

(2歳11ヶ月)


「やれやれ」の毎日は、まだまだ続く。
ただ...まだまだ続く「やれやれ」の毎日の中で、「喧騒の中に時々訪れる幸せ」を見失うことなく、忘れることなく、やっていこうと思う。

4月というのは、新しい芽が出、暖かく、気持ちがよく、いろんなことが新しくはじまる季節だ。
1年の中で、1番心躍る季節ではないだろうか。
そんないい季節、3年前のこの日、菜月が生まれてきたのだなぁ、と思う。


桜さく春


(2歳11ヶ月)


寝ない。
食べない。
まだおむつが完全に外れない。
人見知りが激しく、人と会っても、下をむいて「おはよう」さえ言えない。
他の子と交わって遊べない。
一時もかぁさんの手を離せない。
でも、少しずつではあるけれど、菜月は菜月なりに確実に成長し、この1年、大きな怪我も病気もすることもなく、むかえることのできた3歳の誕生日。
実は、そのことが何よりも一番大切なことなのだと思う。
そのことに感謝して...

菜月、3歳のお誕生日、おめでとう。



2000年3月29日

(生後11ヶ月)


2001年3月26日

(1歳11ヶ月)


2002年3月27日

(2歳11ヶ月)