出産


真夜中2時か3時といった頃だろうか、待合室のある廊下で、いつまでも話し声が聞こえていた。
「いやぁ、よかった、よかった。」
「ほんと、よかったですわ。これで、ほんと一安心しました。」
「...いや、ほんとに。よかった、よかった。」
たぶん、待合室で,、孫の誕生を待ちわびていたおじいちゃん、おばあちゃん達だろう。
無事赤ちゃんが生まれたのだ。
その後も、公衆電話を使って、誰かに出産を知らせる声や、何人かの話し声が、いつまでも夜中の廊下に響き渡っていた。
私が帝王切開をした日から、ちょうど3日後の夜のことだ。

「出産」というのは、1人の人間が、新しくこの世に生まれてくるという、実に感動的な出来事であり...
赤ちゃんというのは、こうやって、みんなに祝福されて生まれ出てくるものなのだなぁと、ベッドに横になりながら、どうやっても寝付けそうにない頭で、改めてそんなことをぼんやり思ったりするのだった。


貴裕、誕生!

(生後0ヶ月)


実際、人の出産ほど楽しみなものはない。
独身の頃、私の生活の中に、「赤ちゃん」というものが、まったく存在しなかった頃には、もちろんそんなことは気にもとまらないことだったのだけれど...
いざ、自分が結婚し、出産し、赤ちゃんというものに1度触れてみると、やはり、赤ちゃんというのはかわいい。
どんな子が生まれるんだろう?
男の子かな、女の子かな?
もう名前は考えてあるの?
と、赤ちゃんの誕生は、ほんとに楽しみなものだ。

そんな思いは、みな同じらしく、予定日が近づき、もうすぐ出産を迎える頃になると、大きなお腹をかかえて、菜月と一緒に公園に行く私の姿をみて、近所の人も
「いつ頃なの?楽しみね。」
「もう、男の子か女の子かわかっているの?」
「じゃぁ、菜月ちゃんは、おねえちゃんになるんだ。元気な子が生まれてくるといいわねぇ。」
と声をかけてくれるのだった。
そうやって声をかけてくれるのは、たいてい、もうすでに、子育てがひと段落し、子供も大きくなった年代の女の人がほとんどであり...
小さい子を見るその目は、実にいとおしげで、やはり、自分の子育てと重ねて、なつかしく思い出されるのだろうと思う。


大きなおなかで花見

(3歳0ヶ月


でも、「楽しみね」と言われれば、思いは複雑だ。
確かに楽しみは楽しみなのだけれど...
「赤ちゃんが生まれてくる」という楽しみを別にすれば(って、別にはできないのだけれど)、実際問題として、生み出す本人にとっては、「出産」そのものは、やはり、不安なものであり、実際、痛くて、つらくて、せつないものなのだ。

いや、「出産」だけではない。
「妊娠」ひとつとっても、10ヶ月、おなかに赤ちゃんを抱えているということだって、けっこうたいへんなことなのだ。
まず、つわりに苦しむ。
その後も、調子を崩しても、風邪をひいても、おなかの赤ちゃんにどんな影響があるかわからないから、薬ひとつ飲めない。
おなかが大きくなってくると、そのおなかを支える体の各所にも影響があるわけで、腰は痛いし、足はだるいし、胃は圧迫されるし、大きなお腹が邪魔で、夜も熟睡できない。
赤ちゃんに栄養をとられるおかげで、貧血にはなるし、足はつるし...
生まれてくるまでの10ヶ月は、その姿が目に見えないだけに、ほんとに順調に大きくなっているんだろうか、無事に健康で生まれてきてくれるだろうか、と、始終、心配もつきまとう。


かぁしゃん、妊娠9ヶ月

(3歳0ヶ月


また、不思議なもので、妊娠中というのは、出産にむけて、体質までがらりと変わってしまうものらしく、妊娠中には、いろんな体のトラブルを抱えたりもする。
私も、菜月を妊娠していた時には、妊娠7ヶ月くらいから1ヶ月半くらいの間、妊娠性の湿疹に悩まされ、つらい時期をすごした。
そして、今回、つらいつわりを乗り切って、以後はいたって順調と思われた臨月にはいって、またもや、全身に湿疹が出始めた。
しかも、それは日増しにひどくなる一方で、手術の1週間前くらい前からは、夜になると、湿疹のできた全身のかゆみが激しく、明け方まで一睡もできない、という日々を送った。
「痛い」のもつらいが、「かゆい」というのも相当につらいものだ。
かゆいところを冷やしてみたり、薬を処方してもらったり、シャワーをあびてみたり、どんな手を尽くしても、かゆみはひかず...
とにかく夜になると、かゆみは激しさを増し、まったく寝れない。
朝が来ると、疲れ果てて、ぼろぼろになって数時間眠り、また、かゆみで目が覚めるという日々。


一睡もできない夜、なんとかできないものかと、すがるような気持ちで、パソコンにむかったこともあった。
インターネットで「妊娠性」で検索して結果は、実に1200件のヒット。
妊娠中毒症、妊娠性湿疹、妊娠性糖尿病、妊娠性歯肉炎...
妊娠性の疾患といわれるもののいかに多いことか。
そして、私のような妊娠性の湿疹といわれるものだけでも、いろいろなタイプがあり、多くはないが、妊婦のおよそ2〜3%の人に、そういう症状があわられるらしいのだ。
それは、まるで宝くじにあたるような確率に思えるのだけれど...
なぜか、しっかり今回も、私はその2〜3%に組み込まれてしまったらしく...
そして、困ったことに、その原因は、妊娠中のホルモンの変化とも、胆汁のなにかの影響かとも言われているが、結局のところ、はっきりとはわからないらしく...
しかも、いろんなサイトで調べてみたけれど、今のところ、軟膏をつけるくらいしか対処法もないらしく...
回復には、出産を待つしかないというのだ。
絶望的な気持ちだった。
そんなもんだから、日々、手術までの日にちを換算し、耐えに耐えた1週間。
正直、手術を明日にひかえ、入院した時には、これで、このかゆみから解放されるのだと、ほっとさえした。
もうこれ以上は我慢ができないと思った。


とはいうものの、もちろん、だからといって、すすんで帝王切開を受けたいというわけではなく...(当たり前だけど)
やはり、誰だって、自分のお腹を切られるというのは、いい気持ちのするものではない。
普通分娩した人が、出産のあまりの痛さに、
「こんなに痛いんだったら、いっそのこと、お腹を切ってくれほうがよかった。」
という話はよく聞く。
普通分娩は、麻酔がないだけに、もっともっとずっとつらいのだろうと思う。
陣痛の痛みというのは、相当な痛みらしいし、それに耐える時間も長い。
(私には、経験がないのだけれど...)
それに比べれば、私の場合は、帝王切開も2度目ののことで、はじめて手術を受ける時よりは、その恐怖心も幾分は小さいわけで...
だけど、どのような形の出産であれ、多かれ少なかれ、「出産」に「痛み」はつきものであり...
痛いとわかっていることを、あえて望む人なんていない。


病院にて

(生後0ヶ月


以前、温泉に行ったとき、浴衣場で、おばちゃんたちのグループが話していた。
「子供はかわいいけど、じゃー、今、もう1度子供を産めって言われたら、冗談じゃないわよぉ。正直、もう2度とごめんだわ。」
と。
それが正直なところなのだ。

うちの母親も、はじめての出産の時には、後腹の痛さ(子宮の収縮する痛み)と、はったお乳のあまりの痛さに、2、3日は、子供の顔も見たくなかったと言った。
そして、私の友達は、はじめて出産した時、あまりのしんどさに
「赤ちゃんですよ。」
と生まれたての赤ちゃんを抱かせてくれようとした看護婦さんにむかって
「いいです。」
と断わった。
病院の看護婦さんの話によると、その看護婦さんのお母さんは、分娩台で
「女は損だ!」
と叫んだと言う。

テレビで見る出産シーンというと、決まって
「あぁ、私の赤ちゃん!」
お母さんが、いとうしそうに、今生まれたばかりの赤ちゃんを胸元で抱きしめる感動的なシーンばかりだけれど...
「愛」と「感動」の赤ちゃん誕生の瞬間は、実際は、ずっとずっと、つらく、せつなかったりするのだ。


私自身も、今回は、麻酔の効きが浅かったのか、術中に痛みがあった。
それは、おそらく最初の短い間の時間のことだったのだろうけれど...
そして、途中、痛み止めを入れてもらってからは、まったく痛みも消えたのだけれど...
「谷口さん、赤ちゃんですよ。」
と、頭もとに赤ちゃんがやってきた時には、なんだか痛みで気が遠のきそうで、正直、それどころではなかった。
看護婦さんの写してくれた、私と赤ちゃんとのはじめての対面写真には、私の横顔しか写ってないけれど...
一見、感動的に見える、写真の中の私は、、実は、痛みに苦しんでいたのだ。


実際、手術する先生の側にとってみれば、帝王切開」なんて、日常茶飯事の出来事だ。
手術は、部分麻酔なので、私の意識はしっかりあるのだけれど...
なんとなく感じとられる先生の手は、実に軽やかであり、さくっと切り、ちゃっちゃっちゃっと赤ちゃんを取り出し、縫って、はって、ぱっぱっぱっ。
まるで、ねんど細工か、工作か、という感じなのだ。
途中
「先生、婦長さんから、外来の患者さんがいっぱいだそうで、早めに降りてきてください、とのことです。」
という内線電話も入ってきたりして...
「早くって言ってもねぇ、一応、縫い合わせtからじゃないと...」
(一応って...)
などといいながら、実に軽やかに仕事を終えると、
「はい、癒着等、問題もなし。大丈夫ですよ。順調ですよ。」
先生は、ぽんぽんと私の肩をたたくと、軽快に去っていったのだった。

帝王切開というのは、そんなに心配のない手術なのだ。
わかってはいる。
とはいえ、切られる私にとっては、やはり、一生に何度もない、一大事件であることにかわりはない。
2度目だって、3度目だって、こわいものはこわい。


でっかいとーしゃんと

ちっちゃい貴裕

(生後0ヶ月)



ましてや、はじめての出産をひかえた人は、どれほど不安なことか...
入院中、もうすぐ出産という人が、陣痛が始まったのだろうか。
つらくて、つらくて、いやになりかけていたらしい。
その人が言うには、今まで、自分は、赤ちゃんというものをほとんど見たことがない、と。
1度、赤ちゃんを見せてほしいと言われたのだと言う。
そこで、
「谷口さんの赤ちゃんを見せてあげていいですか?」
と看護婦さんに頼まれ、ちょうど生後3日目の私の赤ちゃんが、その人の部屋に連れて行かれた。
つらくてもういやだと言っていたその人は、
「かわいい。」
と言い、
「私、がんばります。」
と言ったそうだ。
「谷口さんにも、『ありがとう』と伝えてください。」
と。


すやすや寝ている貴裕

(生後0ヶ月)


赤ちゃんの誕生というのは、実にすばらしい。
だけど、それは、生み出す本人にとっては、不安で、痛くて、つらくて、せつなくて...たいへんなことなのだ。
そんなことは、自分が親になるまで考えたこともなかったけれど...

夜、回診でまわってきた先生が、ちょうど、お乳を飲んでいる赤ちゃんの姿を見て言った。
「君も、おかあさんを、こんなにかゆい目にあわせてひどいなぁ。ははは、でも、かわいいねぇ。」

そうなのだ。
でも、かわいい。
まぁ、いいかと、そんなふうに思わせる罪のなさがある。
ただ、すやすやと眠る赤ちゃんに言ってやりたい。
ほら、かぁさんは、すごくがんばったんだぞ、と。
君は、不安やつらさを乗り越えて、がんばったお母さんのお腹から生まれ出てきた、大切な命なのだよと。


菜月と対面

(生後0ヶ月)