名前の話


もし仮に、
「必ずこの漢字を1字使わなければならない」
とか、
「最後は必ず『子』で終わること」
とか、名づけに、そういう決まりがあれば、まだしも(って、それはそれで、たぶん、すごーく困るんだろうけど)、何もないところから、しかも、まだ顔も見ぬ子の名前を考えるというのは、なかなか難しいものだ。

もちろん、出生届けというのは、生後2週間までに、ということになっているので、赤ちゃんが生まれて、顔を見てから、あらためて考えるという手もあることにはあるのだけれど...

妊娠何週目かという頃。
早くも、
「そうか、名前を考えんといかんな。」
とーしゃんは言い、そのことに思い立ったのは実に早かったわりには、妊娠10ヶ月。
手術の日取りも決まり、さぁ来週入院しまーす、という、入院の直前になるまで、いっこうに名前の決まらなかった、我が家のような場合、それは無理な注文だろうと思われる。


まだ名前が決まってないのだー。

(3歳0ヶ月


「僕が、もし、結婚して、うちに女の子が生まれたら、ぜったいに○○って名前にしたいんですよ。」
という、子供の名前に「夢」や「こだわり」を持っている人だっているのだけれど...

とーしゃん、31歳と6ヶ月。
とーしゃんには、そういったこだわりは、微塵もない。(たぶん)
こと、「車」のことに関しては、とーしゃんのその「情熱」と「こだわり」には、私の入り込む余地などまったくない熱心さなのだけれど...

それ以外のこととなると...
「民さん、見てみて、この自転車。この間、買ったばっかりなのに、なんだか、もう、さびさびだよ。」
などと言いながらも、たいして、それを嘆いているふうでもなく、気にしているふうでもなく、
「今日は、ちょっと遅くなるかもしれんわ。ば〜い!」
元気に、さびさび自転車で通勤していく。
毎週、車の洗車をかかさないとーしゃんも、自転車がさびているのはいいらしい。


とーしゃんは車が大好き

(3歳0ヶ月


お弁当箱が壊れた時も、探しに探したのだけれど、どうも男もののお弁当箱というのが見当たらず、結局、ミッフィーちゃんのお弁当箱を買ってきたのだ。
「え、だんなさんのでしょ?ほんとにミッフィーにしたの!」
(近所の人の話)
「民さん、えぇっと、これは...ほんとに康司の?」
(お義母さんの話)
かわいらしいお弁当箱を見て、まわりは、けっこうひいていたけれど、
「じゃあーん!!ナイスなお弁当箱買ってきたんだけど、どう?」
と聞いたところ、
「うんうん、いいね。大きさもちょうどいいよ。ありがと。」
とーしゃんにとっては、そんなの、ぜんぜん問題ではないらしく、毎日、元気に、ミッフィーちゃんのお弁当箱を持って、会社に通勤している。
ちなみに、調子にのって、クマちゃんのお弁当バンドをまいて、チューリップ柄のハンカチで包んでみたけれど、別に気にならないらしい。


ミッフィーちゃんの

お弁当箱なのだ。


自分の着る服にも、こだわりがない。
適当に、タンスの手前にあるのを引っ張り出してきて、えりのないシャツを2枚重ねして、私をよく固まらせてくれる。
しかも、
「今日はこれにしよう。」
とか
「たまには、他の服にしよう。」
とかいうこともない。
洗濯物をたたんだまま、まだタンスにおさめてない服が積んであれば、その中のをゴソゴソ出してきて、2日前に着た、まったく同じ取り合わせの服を、そのまま着る。
タンスから出すにしても、奥のものを出して着ようなんてことも思わない。
だから、タンスの奥の服は、いつまでたっても、同じ位置にある。


着るものなんて、なんでもいいのだ!


そういうとーしゃんが、子供の名前を考えると、どうなるか?
まず、命名事典なる本を引っ張り出してきて、ぱらぱらぱらっとめくる。
そして、
「やっぱ、まずは、『呼び名』からでしょ。」
と、
「や、や、やっくん...も、もっくん...ふ、ふ、ふ、ふっくん...っと。う〜ん、いまいち、ピンとくるのがないなぁ。」
古いっちゅうねん。
(昔、「やっくん、ふっくん、もっくん」という3人組のメンバー「しぶがき隊」というアイドルがいたのだ。もう20年以上、前の話だけれど...)
とーしゃんにとって、まず、名前に必要なのは、「インスピレーション」らしい。


「車」の本は、熟読します。
でも、それも、すぐに目先が変わる。
「『かんぺい』だって、民さん。そんなん、つけたら、やっぱりまわりに反対されるだろうなー。」
「わ、『あきしげ』『あきつぐ』『あきつね』『あきなお』。変った名前やなぁ。」
「お、『さだくに』って、すっげー。」
変わった名前探しへ走る。

そして、突然、言う。
「よし『達也』にしよう。たつや。いいね、なかなか。」
なぜ「たつや」なのかとか、どういう根拠なのかとか、そういう理由は、とーしゃんにはない。
ただ「達也」なのだ。
だけど、もちろん、「じゃーそうしようか。」というふうには決まらない。
当たり前だけど。


そして、自信を持って、1つに絞ったわりには、それは日ごとに変わる。
ある日は、
「『聖人』(まさと)がいいなぁ。」
と言い、また、ある日は、
「健康に育ってほしいし、『健太』(けんた)なんてどう?」
と言う。
(「健康に育ってほしい」という根拠があるだけ、まだましだ)

「『まさと』もいいけど、呼び名はどうするの?『まさと君』っていうのもまどろっこしいような...『まーちゃん』『まーくん』って言うのも、なんか、あんまり男の子っぽくないような...」
「『けんた』ねぇ。かわいいけど、おじさんになった時にどうなんだろう?『けんたおじさん』っていうのも、なんだかねぇ...」
と、やはり、なかなか決まらない。

そして、とーしゃんにしてみたところで、
「いや、オレは、それでも、ぜったにこの名前にしたいんだ!」
という強い意思があるかというと、そうでもなかったりするので、ますます決まらない。


病院でご対面!

(生後0ヶ月)



そして、またまた日がたち、忘れた頃になって
「『友輝』と書いて『ともき』。いいねぇ、これイチ押しだな!」
高らかに宣言するのだった。
「あれ、イチ押しは『健太』じゃなかったっけ?」
と聞くと、
「『健太』?...う〜ん、それは今んとこ、2押しやね。」
いつのまにか、『健太』は2押しに格下げになっているのだった。

でも、『友輝』だと『ゆうき』とも読めるし、なるべく、間違われにくい名前のほうがいいしなぁ、ということで、他に『ともき』で、字画のいい漢字はないものかと、漢字を探している頃には、とーしゃんの『ともき』熱は、もうすでに、すっかり冷めてしまっており...
(はやいっちゅうねん!)
「ねぇ、でも、うちのにーちゃんとこが『圭輝』で『よしき』でしょ?んで、うちが『友輝』で『ともき』だったら、なんか兄弟みたいじゃない?それに、うちにしても、上が『なつき』で、下が『ともき』ってのも、ややこしいような...」
と言うと、
「たしかに、そうやね。」
簡単に納得するのだった。
おーい!


菜月(3歳2ヶ月)と

貴裕(生後1ヶ月)



そういう私も、「これ!」と思うものは、なかなかひらめかず、なんとなく、男の子だったら、『こうすけ』か『たかや』とつけたかったのだけれど、これが、わりと身近に同じ名前がいたりするものだから...
知人にいるのに、あえて同じ名前をつけるというのは、たとえ、漢字が違うにしても、なかなかつけにくいものであり...
じゃー、「幸せになってほしい」の願いをこめて
「『幸哉』(ゆきや)ってのはどうだろう?」
やっと思い立った矢先、テレビのニュースで出てきた、何かの事件の犯人が、同じ名前だったりすると、それはそれで、なんだか、気勢をそがれてしまうのだった。
にしても、子供の幸せを願ってつけた、この犯人の親の気持ちは、どんなだろうと思う。


こうやって、いくつか思い当たる名前はあっても、なかなか1つに絞るのは難しい。
名前自体は、とてもよい名前だと思っても、つけたくない名前というのもある。
例えば、過去にあったいやなヤツの名前というのは、どうしても、その人のイメージが伴うので、ぜったいにつけたくないものであり...
かと言って、どんなにいい子の名前でも、呼び名が同じになるような名前が、近所や身内にいれば、それはそれでつけにくいものだ。
私のいとこの家でも、一方が『優作』(ゆうさく)で、一方が『優騎』(ゆうき)で、どちらも、呼び名にすると「ゆう君」「ゆうちゃん」。
まことにややこしい。
ということで、我が家は、「ゆう」の呼び名は避けなければ、となるわけだ。



そんなこんなで、あまり奇抜すぎる名前や、流行の名前というのも抵抗があったので、『たかひろ』と決めた。
実にオーソドックスだ。
名前が決まると、後は漢字。
私としては、男の子なので、「大きくなれ」の願いをこめて、『ひろ』の字には、ぜひ『大』の漢字をあてたかったんだけれど、これまた、どんな字をあてても、『大』の字をつけると、字画が悪いみたいであり...
字画なんて気にしても仕方ないと思う一方で、いったん、調べて字画があまりよくないと、それでも「あえて」その字をつけるというのは、勇気がいるものであり...
結局、字画のよさそうな名前を、いくつもピックアップして、その中から、とーしゃんの根拠のない(?)イチ押しで『貴裕』と決まったのだった。
画数を調べて、私が候補にあげた、数多くの『たかひろ』の漢字の中から、とーしゃんは、
「俺は、これがいい。」
ほとんど何の迷いなく、この字を選んだ。
が、即決したわりには、
「う〜ん、でも、書く練習しとかんと、出生届け出す時に、漢字間違えそうやな。」
などと、情けないことを言い、
(とーしゃんは、実は漢字に弱いのだ)
書いてみると、書き順も間違っていたりする。
おーい!
結局、出生届けを出しに行く時には、ワープロで印刷した文字を持って、お手本にして書いたらしいとーしゃん。
今後が心配である。


はじめまして、貴裕です。

(生後1ヶ月




まだ首はすわりません...


ところで、字画を見る時に、ある本で、たまたま目にして『三才連球格』という技法にそって、『貴裕』の『ひろ』の漢字に『裕』をあてたんだけれど...
もちろん、私たちが姓名判断にくわしいわけではなく、そんなのは、読んでたまたま目にしたというだけのものだから...

※ちなみに、『三才連球格』というのは、唐の時代に開発された姓名判断の秘伝。
 姓を構成する文字の画数の合計が10画の場合に適用される。
 姓をAB、名をCDとすると、Dの部分にB+10の画数をとることで、5格に凶数が含まれていても、その凶意を跳ね返し、さらに吉を呼び込むというもの。
「谷口」姓の場合、「口」が3画なので、名の下の文字に13画の文字をあてることで、強い運勢を持った名前になる。(らしい)

「ねぇ、13画だと、すごくいいっていうのはわかったけど...んで、民さん。なんで、『裕』が13画になるんだろう。」
なんて聞かれても、私にもわからない。
たしかに、どう数えて13画なんだろう、と2人で頭をひねるのだ。
『寛』の字だって、本によると13画と書いてあるものもあれば、15画になっているものもある。
姓名判断には、いろんな流派があるのだ。
(ということにしておこう)


とーしゃんは漢字に弱いのだ(^^ゞ

(生後1ヶ月


ちなみに、『菜月』の時には、まったく姓名判断なと見なかったので、占ってみると、
「波乱万丈の人生でしょう。」
などと出てくるわけであり...
おまけに、とーしゃんの名前で姓名判断してみると、
「一見うまくいっているようで、最後には、すべてを失っておしまいというパターンが多い。」
などと、不吉なことが書いてあったりする。
「どうよ、どうよ。でも、今、不幸ってことはないよね?けっこう幸せな人生だよねぇ。どうよ、どうよ?まさか、不幸ってことはないでしょぉ〜?」
などと、無理やり、頭を縦にふらせ、
「だよねぇ。字画なんて、それだけで、人の人生決まるわけがないもんねぇ。」
と、その時々で、都合のいい解釈をするのだ。


菜月の「な」は「菜の花」の「な」

(2歳11ヶ月)



そんなもんだから、
「どんな願いを込めて、『貴裕』という名前にしましたか?」
なんて聞かれても困る。

菜月が生まれて、3年と2ヶ月たった今、
「どんな願いを込めて『菜月』という名前にしましたか?」
この課題さえ、いまだクリアされてないのだ。


菜月(3歳2ヶ月)と

貴裕(生後1ヶ月)




ちなみに、名前をつける時、親の意見というものは、まったく聞かなかったのだけれど...
「お義父さん、名前のことで何か言ってた?」
と聞いてみたところ、
「『う〜ん、谷口家で、4文字の名前ははじめてやな。』って言ってたよ。」
だそうだ。
そんなことには、まったく気づかなかったけれど...
人それぞれ、名前によせる感想はいろいろらしい。

貴裕、生後1ヶ月。
名づけの経緯は、彼には語れないと思う今日この頃。
「どんな願いを込めて、この名前をつけましたか?」
この課題がクリアされる日はいつ来るのだろうか?


何も知らない貴裕くん(^^ゞ

(生後1ヶ月)