育児の達人


ところで、2度目の育児というのは、「はじめての育児」に比べると、ずいぶん気持ちが楽なものだ。
何事も「はじめてのこと」というのはたいへんなものであり...
しかも、これが、相手が「生き物」で、まったなしの「赤ちゃん」のこととなると、そのたいへんさはひとしおだ。
なんせ、あまりにもわからないことが多すぎる。
まず、生まれた赤ちゃんを前に、どうやって抱くんだろう、と、そういうところからスタートするわけであり...
オムツのあて方に始まり、服は何枚着せればいいんだろう、お乳はこれでほんとに足りているんだろうか、どうして、こんなに泣くんだろう...
ほんとにあらゆることすべてがわからないことだらけ。
日々、疑問はつきない。
「はじめての育児」は、毎日が試行錯誤の日々なのだ。


ここまでくるのがたいへんなのです。

(菜月、生後8ヶ月


お義姉さんがはじめて出産した時のこと。
出産直後、分娩台で赤ちゃんを横に休んでいた時のこと。
突然、赤ちゃんがしゃっくりをし始めて、あわてて、ナースコールしたと言う。
看護婦さんに、いたって平然と言われたそうだ。
「大丈夫ですよ。赤ちゃんは、よくしゃっくりしますから。」
と。
まだ、横隔膜の発達が未熟な赤ちゃんは、確かに、ほんとによくしゃっくりをする。
というか、しゃっくりをしない日なんてないくらいに、しょっちゅう、しゃっくりばかりしている。
だけど、はじめて赤ちゃんに接した人に、赤ちゃんというのは、そういうものなのだなんてわかるはずがあろうか...
生まれたばかりで、突然しゃっくりを始めた赤ちゃんを前にすれば、誰だって、この、いかにもはかなそうな赤ちゃんの息が、このまま止まってしまうんじゃないか、とか、何かあったんじゃないかと思うものだ。


いとこの拓ちゃんも、

もう4歳になりました。



万事が、そんな驚きの連続であり...
そんな調子なものだから、いざ、湿疹が出た、吐いた、熱が出た、便秘している、ということになっても、それが、赤ちゃんにはよくあることで、もう少し見守っていていいものなのか、すぐに病院に連れていくべきものなのか、じゃぁ、どこに連れていけばいいのか、自分だけでは判断がつかなかったりする。

そして、この少子化のご時世だ。
学校友達、会社の友達...確かに友達はいる。
でも、まわりの友達は、誰も結婚しておらず、子供もいなかったりする。
私自身もそうだったのだけれど、身近なところに、赤ちゃんのことを相談できるような友達がいない場合だって多い。
確かに、育児雑誌や、インターネットなど、世の中に情報は氾濫しているけれど...
赤ちゃんの世話だけでめいっぱいの日々の中では、今すぐ、どうにかしたいという時に、そのたくさんの情報の中から、自分の知りたいことだけを選択することも、本などで調べたりといった「時間」や「ゆとり」すらなかったりするのだ。

「あの時はああすればよかったんだ。」
とか、
「今度はこうしよう。」
ということは、過ぎ去ってしまって、初めてわかる場合が多く、失敗も数知れず。


子育てはとにかく忙しいのです

(菜月、生後4ヶ月)




(菜月、生後5ヶ月)


例えば、いざ出産して、家に帰って、お乳が出にくいとか、痛いとか、お乳のトラブルをかかえる人は、けっこう多いと思うけれど...
そんなの、いったい、どこに相談していいものかわからない。

菜月が、ちょうど、生後2ヶ月の時に、私も乳腺炎をわずらったのだけれど、その時は、それが乳腺炎なのだということさえ、私にはわからなかった。
ただ、ある日、突然、42度の高熱が出て、悪寒がして体の震えがとまらなくなって、内科を受診した。
菜月は、とにかく寝てくれない子で、慢性的な寝不足で、私の疲れもピークを迎えていたし、
「風邪かもしれませんね。」
と抗生物質を渡され、赤ちゃんに影響があるといけないので、お乳はしばらくやめるようにと指導された。
ところが、熱はさがる気配がなく、だんだんお乳が痛くなってきて、今度は外科にまわされたのだ。
そこで、はじめて、乳腺炎かもしれないと言われ、
「生後2ヶ月の赤ちゃんに、ミルクなんかやってどうするんだ!お乳に出る薬なんて、微量なものなんだから、とにかくお乳をあげなさい。」
と怒られ、今度は、反対に、どんどんお乳をあげるようにと言われたのだった。
さいわい、3日ほどで熱も下がり、その症状も落ち着いたけれど、実は、それで乳腺炎が完治したわけではなかったらしく、その後、たまたま保健婦さんの家庭訪問で、お乳のマッサージを受け、ようやくお乳のはりが取れて楽になったのだった。
中には、私と同じような症状で、病院でお乳を止められ、結果的に、その後、お乳が出なくなった人や、ますます悪化して、お乳が化膿し、膿んだ部分を切開しなければならなくなる人だっているらしい。
あの時、私がかかるべきだったのは、外科や内科ではなかったのだ。
相談すべきだったのは、保健婦さんや、助産院や、そういったお乳のトラブルにくわしい施設だったのだ。
でも、それは、過ぎ去ってからわかったことであり、その時、私は「保健婦」さんという職業さえ、何をする人なのか知らなかったのだった。


こうやって、いろんな経験をしていくうちに、誰しも育児に慣れていく。
赤ちゃんも活発に動くようになり、お外に連れ出すようになると、公園や近所で、同じ歳くらいの子を持つお母さんたちと、話をするようにもなる。
それは、今まさに育児をしている人の言葉なだけに、参考になることは実に多い。
そういうこともあるんだとか、私の場合はこうだったという話で、人それぞれの育児に見習うところも多い。

どうやってお乳を卒業したとか、どのメーカーのおむつがいいとか、どこの病院がいいとか、
「最近すごく人見知りするんだけど、どうだった?」
「どうやってオムツ卒業した?」
というようなことまで、いろんな意見を参考にできる。


みんなで試行錯誤なのだ。

(菜月、生後5ヶ月)

1人目の経験があるからこそ、2度目の育児には、心の余裕も出てくる。
1度経験したという事実は大きい。
2人、3人と子供が増えれば、そのたいへんさが増すことは間違いないけれど、それでも、1番たいへんなのは、やっぱり1番最初の子供の育児だろうと思う。


でも、じゃぁ、2人目になると、何でもこいの「育児の達人」になるかというと、話は別だ。
子供は1人1人みんな性格も違うわけで、「前の時は、こんなことはなかったのになぁ。」ということは多い。
うちのように、上が女の子で、次が男の子だったりすると、これまた、あらたな発見も多い。
なんせ、体の構造自体が違うのだ。
はじめてオムツを替えた時には、
「な、な、なんだ、これは...」
思わず固まった後、じっくり眺めてしまったりした。
頭ではわかってはいたけれど...赤ちゃんのお○ん○んって、思ったよりも、ずっと立派だったりするのだ。
しかも、そんなの持ち合わせてない女の私にとっては、それは、実に不思議な感触であり...
なんだか、ぽろっと落ちてしまいそうで...
どのくらい力をいれて、ふいていいのか...
いきなり、おむつ替えでつまづいてしまったりする。


ぼくちんは、男の子なのだ。

(貴裕、生後1ヶ月)



とまぁ、そんなことは別にしても、人間、2年も3年も過ぎてしまうと、はっきりいって、前の育児のことなんて忘れてしまう( ̄▽ ̄)
(きっぱり)

今回、はじめて赤ちゃんを抱きあげた時も、
「え、こ、こんなにちっちゃかったっけ...」
まずは、そんなことに驚き、看護婦さんに、
「飲ませたら、げっぷもさせてあげてね。」
と言われて、はじめて、そういえば、赤ちゃんというのは、お乳を飲ませた後、げっぷをさせるものだったなぁと、はじめて気づくのだ。
そして、気づきはするものの、さてさて、げっぷというのはどうやってやるんだったか、すっかり忘れており、
「げっぷって、どうやってやるんでしたっけ?」
と看護婦さんに聞き返して、
「あ、お母さん、はじめてのご出産ですか?」
と聞かれて赤面するのだった。

そして、授乳しながら、私がお乳をやっているのを見たとなりの人に
「やっぱり、2人目だと、赤ちゃんの抱き方が上手ですね。」
と言われたけれど、実は、その授乳の抱き方も、看護婦さんに今回はじめて教えてもらったばかりの抱き方だったりして...
習得して、まだ3日目だったりするのだ。


その名も「ラグビー抱き」!

(貴裕、生後0ヶ月)


生後2ヶ月以降、菜月は、母乳だけで育ったこともあり、哺乳ビンを持つのも実にひさしぶりであり、
「これって、どっちが上とかあるんだったっけ?」
などと、しばらく考え、おそるおそる、哺乳ビンを口に含ませていると、
「おかあさん、ほら、空気が入らないように、もっと上むけないと。」
と指導される。

もちろん、ミルクの作り方なんて、頭のかたすみにも残ってないわけで...
「谷口さん、今日、森永さんが来られて、調乳指導があるんだけど、どうします?」
と聞かれれば、間髪いれず、
「受けます。」
と返事をし、ミルク作りの実演で、
「ミルクをとく時は、熱湯ではなく、必ず、湯冷ましを使ってくださいね。」
と言われれば、そうだったのか、と思い、
「これが人肌の温度です。覚えておいてくださいね。」
と言われ、なるほど、なるほど、と思う。


ミルクを飲んだのは2ヶ月まででした

(菜月、生後2ヶ月)




果汁はほ乳瓶で

(菜月、生後3ヶ月)



そして、沐浴指導では、看護婦さんの手際のよい赤ちゃんのおふろのつけ方に、あらためて感動する。
なんせ、この「沐浴」というやつは、赤ちゃんの世話の中でも、ことさら「難関」なのだ。
だって、生まれたての赤ちゃんは、まだ座れない。
どころか、首さえすわってないのだ。
その首のすわらない赤ちゃんの頭を片手でささえながら、もう一方の手だけで、赤ちゃんの頭をシャンプーし、顔を拭き、体を洗い、さらにひっくり返して、背中を洗う、なんてことが、1人きりでできようか...

というわけで、菜月の時も、病院で沐浴指導を受けた覚えはあるのだけれど...
結局、赤ちゃんがベビーバスでの沐浴が必要と言われる1ヶ月間は、家では、誰かに菜月をささえてもらって、私が菜月の体を洗う、という2人体制でおふろにつけていた。
自慢ではないけれど、1度も、1人で沐浴なんてさせたことがないのだ( ̄▽ ̄)
だから、2度目の今回だって、まったくの初心者だ。
(そして、もしかしたら、3度目をむかえることがあったとしても、やはり...)


というわけで、今回も、

沐浴はお義母さんの出番!


(貴裕、生後0ヶ月



それでも、なぜか、根拠のない「心の余裕」だけは、しっかりついてしまっているわけで...
時に質問しながら、ひとつのことも聞き漏らさず、真剣に沐浴の仕方を覚えて帰ろうとする、はじめてのお母さん達に比べると、ずいぶん気持ちも違う。
たぶん、なんとかなるわ、と思っている。
そんなもんだから、
「私なんて、『どうやってやるんだろう』って思いながら、いつも2人でおふろにつけてたから、結局は、最後まで、1人で沐浴させる仕方がわからないまま、終わっちゃって...」
なんて、何気なく口にした言葉で、まわりを固まらせるのだ。
そして、
「でも...無事、育ったんですよね、赤ちゃん?」
などと聞かれるのだ。
そう、それが、いたって元気に育って、菜月も3歳を迎えた。
そんなもんでも、ちゃんと育ったのだ、不思議と。
「そうですよね。ようは、育てばいいんですものね。」
私の言葉も、はじめての育児に不安を抱くお母さんたちに、少しリラックスを与える効果はあったかもしれない。
(ということにしておこう)


菜月もお手伝いしてます。

(貴裕、生後1ヶ月


そして、ある日。
病院での授乳中。
「私、今回、2人目の出産なんですけど...赤ちゃんって、日光浴って、何ヶ月からするんでしたっけ?」
と聞かれたのだけれど
「私も、今回、2人目の出産なんですけど...何ヶ月からでしたっけ?紫外線とかがあるから...どうでしたっけ?」
あまり要を得ない。
「ちなみに、麦茶とかって何ヶ月くらいから飲めるんでしたっけ?」
「何ヶ月でしたっけ?」
「首ってどれくらいで座るんでしたっけ?」
「どうでしたっけ?寝返りは4ヶ月くらいでしたっけ?」
「...どうでしたっけ?」
いっこうに要を得ない会話が繰り返されるのだった。


紫外線には気をつけましょう!

(菜月、生後5ヶ月)

2度めの育児を迎えても、「育児の達人」には、ほど遠いと思われる今日この頃。
でも、実は、みんな、そうらしい、ということも判明してきた今日この頃。
度胸だけはつくけれど、2度目を迎えても、3度目を迎えても、「育児」というのは、そのつど、試行錯誤の連続なのかもしれないと思う今日この頃なのである。