出会いの季節


とにかく、忙しい1年だった。
それは、今にはじまったことではなく、4年前、菜月が生まれてから、誕生日に1年を振り返るたびに思ってきたことではあったけれど...
これほど、1年という歳月を短く感じた年もなかった。
5月に貴裕が生まれてから、子供が2人になった。
ほんとに、とにかく忙しい1年だった。


とにかく忙しい日々なのだ。

(菜月、3歳6ヶ月

貴裕、生後5ヶ月)


いつのまにか、今年も桜が咲いた。
どんな1年をすごしたとしても、不思議なもので、必ず、春夏秋冬、季節は流れ、春になると、毎年同じように桜が咲く。
去年のちょうど同じ頃、まだ、貴裕はおなかの中にいたわけで...
でも、そんなことは、もう遠い昔のことのように思われる今日この頃。


菜月も、4歳になります。

(菜月、3歳11ヶ月)


とーしゃんの転職で、私たちが、神奈川から広島に移り住んで、実に3年半がすぎた。
その間に、私には、4人の親しい子育て友達ができた。
たまたま、同じくらいの年の子を持つご近所さんということで、最初は、公園でぽつぽつと話をするようになり、すぐに、名前で呼び合う仲になった。
「公園に行こうか?」
と誘い、公園で一緒に子供たちを遊ばせた。
「たこやきパーティ」と称して、たこ焼きを作った。
シフォンケーキを焼いたと聞けば、焼き方を教わった。
バーゲンにも出かけた。
竹の子堀りもした。
動物園にも一緒に行った。


竹の子をほりました。



夏は、川遊びに


子育てというのは、とかく孤独になりがちだ。
1日じゅう、子供の身のまわりの世話におわれ、自分のことは、ほんとに最低限。
したいこともできず。
ただただ忙しいばかりの毎日で、社会との関係もいまいち希薄になりがち。
寒くても、雨でも、子供連れではなかなか外にも出れず。
子供が病気にでもなろうものなら、それはもっと悲惨で、昼も夜もなく、自分が病気になる以上に、ぼろぼろになり、何日も家にこもりきりで、きりきりまい。
最後には、自分のほうがダウンして、またぼろぼろに。
そんな中では、たとえ、近所同士だとしても、会って話するのさえ、そういつもいつもというわけにはいかず。

でも、このご時世、パソコンというのはありがたいものだ。
毎日メールで近況を話せる、相談できる。
私たちは、メールのやりとりをすることで、毎日会っていなくても、いつも会って話をしているように、お互いの近況を知り合っていた。


公園で...



美術館で...


何でも話せた。
子育てのことに限らず、料理のこと、パソコンのこと、趣味のこと。
愚痴も言えた。
何でも話せる友達がいるというのは、ほんとに心強かった。


いつもの公園で「さよなら会」

(菜月、3歳11ヶ月


そもそも、はたからみていると、よその子は、みんな快活に見え、見かけるお母さん達は、みんな、そつなく子育てをこなしているように見える。
そういうものだ。

ついつい...
佳代ちゃんたちは、みんな輪になって遊んでいるのに、どうして、菜月は、友達と遊べないんだろう。
千紗ちゃんは1人でトイレにも行けるのに、どうして、菜月は、いつまでたっても、お母さん、お母さんなんだろう。
喜子ちゃんは、何でも食べるっていうのに、菜月は、こんなに偏食で...
そんなふうに思ってしまうものだ。

その子なりの成長のスピードがあるし、その子の性格もある。
菜月には、菜月なりの成長の仕方があるのだと頭ではわかっていても...
「なんで?」
「どうして?」
「じゃぁいつになったら?」
という思いはつきない。
そして、そんなふうに思ってしまう自分に嫌気がさしながら、私は、どうして、そんなことで、こんなにイライラしているのだろうと思う。
どうして、もっと、みんなのように鷹揚にかまえてやれないんだろうと思う。


こんなに幼かった...



動物園で...


でも、
「菜月って、・・・なんだけど、なんでなんだろう?」
と問いかけた時、
「私も、子供がそれくらいの時ってそうだったよ。煮詰まるよね。今でもそういう時あるよ。」
「寧々の場合は、元気すぎて困るときあるよ。」
よく話をしてみると、実は、みんなも、私が持っているのと同じような悩みがあり、または、私とは違った悩みがあるのだとわかる。

そして、
「なっちゃん、前より、だいぶ民さんから離れるようになってきたんじゃない?」
「なっちゃん、今日は、たくさん食べてるね。」
菜月の小さな変化に気づき、
「お互いがんばろうね。」
ぽんと背中を押してくれる友達がいるということの、ありがたさ。


2年前のちょうどこの頃


その4人の友達の中の1人「のりこさん」が先日、だんなさんの転勤で神戸に引っ越した。
それは、あまりに突然で、思ってもみないことだった。
のりこさんちには、菜月より3つ上の寧々ちゃんと、同い年の和伽ちゃんがいた。
一緒に、幼稚園の1日体験教室にも行ったし、面接にも行った。
和伽ちゃんと菜月は、4月から、同じバスに乗って、同じ幼稚園に通うはずだった。
これから先も、ずっと一緒だと疑いもなく思っていた。


みんなでリバークルーズに


まだ、のりこさんが引っ越していったことが実感としてわかず、家の前を通る時は、ついつい、ちらっとおうちのほうをのぞいてしまう。
でも、そこには、誰もいなくなってガランとした家があるだけであり...

貴裕をおんぶして、菜月の手をひいて坂道を下る途中、
「おーい。」
声のほうを振り向けば、ふとんを干すのりこさんが
「どこ行くの?」
手をふっている。
「ちょっと銀行。」
「気をつけてね。」
手を振るついでに、調子にのって、投げキスなぞしてみたり。
つい、この間まで、そんな会話があったのが、ウソのようだ。


そして昨日。
「兵庫もよい所だけど、やっぱり、広島がよいなぁと、もう帰りたい気持ちでいっぱいなのでした。」
引っ越していったばかりののりこさんからカードをもらった。
「あぁ、ほんとに引っ越して行っちゃったんだなぁ。」
はじめて、しみじみと実感がわいた。
そして、ここへ引っ越したきたばかりの自分とダブって、少しせつなかった。
引っ越してきたばかりの頃、私は、グズる菜月を抱っこして、屋上にあがり、屋上から、よくこの広島の街並みを見下ろした。
みんなどうしてるかなぁ、帰りたいなぁと、思うことは、そんなことばかりだった。


神奈川時代の友達がなつかしく...

(菜月、生後5ヶ月)


その頃、屋上から呆然と見下ろした広島の風景は、色もない風景だった。
ただただ、裏寂れた街並みにしか見えなかった。

その同じ広島の街並みが、今は、色濃くあざやかな風景として目に映るのは、この3年の間に、ここで友達が出来、ここで菜月とたくさんの思い出ができたからだ。


屋上からは、

広島の街並みが一望できるのだ。



「住めば都」というけれど、人とのつながりが出来てきて、はじめて「都」と思えるのであり...
その土地への愛着は、そこがどういう土地かということ以上も、そこに誰がいるか、ということなのだと思う。

「人と人が出会うのに、どれだけの偶然が必要だろう」
どこかで見た言葉だ。
とても心に残っている。
人と人が出会うのに、どれだけの偶然が必要だろう。
広島に越してきていなかったら、私は、みんなと出会うこともなかったろう。
引っ越してきた時は、神奈川に帰りたい、帰りたい、と思っていたのに、3年半たった今は、ここが「都」になっている。
たくさんの偶然があって、今ここにいることをうれしく思う。


菜月も4月2日で4歳になった。
広島に帰ってきてから、4度目の春を迎えた。
4度桜が咲き、4回目の菜の花との記念撮影をした。
もう1週間もすると、幼稚園に入園する。


去年の桜は、まだ、大きなおなかでした。

(菜月、2歳11ヶ月)


今年は、貴裕も一緒に。

(菜月、3歳11ヶ月)


子育ての時の友は一生の友。
しんどい時だからこそ、友達の存在はより大きく感じられる。
のりこさんとは、同じバス停で、子供たちが乗り込む幼稚園バスを見送ることはできなかったけど、住んでる場所は遠く離れても、私たちが友達だということは、変らない。

春は、出会いの季節。
私が広島に帰ってきて、のりこさんと友達になれたように、新しい土地で、のりこさんにも、よい人たちとの出会いがありますように。

そして、菜月、4歳0ヶ月。
もうすぐはじまる社会生活への第一歩。
幼稚園生活の中で、菜月にも、よい人たちとの出会いが、たくさんありますように。


もうすぐ入園式です。

(菜月、3歳11ヶ月)