子供の発想


菜月と貴裕を連れて、公園の砂場で遊んでいた時のこと。
滑り台のほうに走っていった菜月が言った。
「かぁさん、こっち来て〜。なっちゃん、ここから、ピョーンできるんだよ。ねぇねぇ、来て来て〜。」
「今、かあさん、行けないわ。貴裕、見とかないといけないでしょ?」
と言うと、
「そう...貴裕君がおぼれちゃうから?」
不思議な答えが返ってくる(^^ゞ
貴裕はおぼれない。
なぜなら、ここは、公園の砂場だからだ。


砂場が大好き、貴裕君

(菜月、1歳10ヶ月)


菜月、5歳1ヶ月。
いつのまにか、りっぱに成長したもので、どこで覚えたの?ってことまで知っていたりもするのだけれど...
たまに、実に不思議なことを言う。
5歳児のその発想は、ちょっと大人の感覚では、思いつかないような不思議さを持っている。


こんなに大きくなりました!

(菜月、5歳1ヶ月)



屋上で、お花に水をあげていた時のこと。
じょうろで菜月もお手伝いをしていたのだけれど...
「なっちゃんがお水あげたから、お花が、お水がおいしいって言ってるよ。」
と言ったところ、
「お花が?おいしいって言ってた?」
そう言うと、いきなり、チューリップの花をむんずとつかみ、ぬれた地面に、その花を押し付けたのだ。
「だめだめ、そんなことしたら、お花が折れるでしょ。」
何をするんだ!とばかりに、そう言ったら、菜月が言うのだ。
「だって、お花が、お水が飲めないって言ってる。」
と。

つまり、菜月は、お花が上をむいていたのでは水が飲めないだろうと、水でぬれた地面にお花をくっつけて、お水を飲ませてあげようとしたらしく...(^^ゞ
「お花はね、地面の下の根っこでお水を飲むんだよ。」
と言ってみたものの、納得はできていなかったようであり...


この頃から、お花にお水をあげるのが

好きになりました。

(菜月、3歳0ヶ月)



別の日。
やはり、屋上でお花に水やりをしていた時のこと。
「なっちゃん、そのお花にも、お水あげて。」
と言うと、
「なっちゃん、そんなに、いっぱいできないよぉ。」
とのたまう。
「できる、できる。お手伝いしてよ。その花だけでいいから。いっぱい咲いてるのあるでしょ?」
と言うと、菜月は、仕方ないなぁという顔をし、なんと、いきなり、「さつき」の花を1つ1つつまみ、その中に、じょうろで水をそそぎこむのだった(^^ゞ
そ、そんなことしたらダメっちゅうに(^^ゞ
でも、それで謎は解けたのだった。
「なっちゃん、そんなにいっぱいできない。」
木いっぱいに花をつけたさつきの花。
そのさつきの花ぜんぶに、水をあげる。たしかに「そんなにいっぱいできない」というのも、もっともなわけだ(^^ゞ


さつきの花1つ1つに

水をそそぎこむ菜月

(菜月、4歳1ヶ月)



「お水」と言えば、朝、ベランダで、すごく小さいかたつむりの赤ちゃんを見つけ、うれしそうに、ビニール袋にしまいこんだ菜月。
「なっちゃん、そんなことしたら、かたつむりも暑いんじゃないかな。お水が飲みたいって言ってるから、ちゃんと最初いたところに戻してあげて。」
と言ったのだ。
すると、菜月は、納得したように、たったったーと睡蓮の鉢まで行って、帰ってくると、
「かぁさん、これで平気だよ。これでお水が飲めるでしょ。」
かたつむりを入れたビニール袋に、いっぱいの水をそそぎいれて、誇らしげに見せるのだった。
かたつむり、溺死するっちゅうに(^^ゞ


もう去年のことになるのだけれど、ひまわりの種をもらい、菜月と一緒に、屋上に種を植えたことがあった。
「お水いっぱいあげたら、すぐに芽が出るからね。」
と言ったところ、植えた次の日から、もう、菜月は、
「かぁさん、めが出たかな。行ってみようよ。」
と毎朝、毎朝、「め」が出るのを楽しみにしていたのだけれど...
数日で、芽が出、葉が出、きれいに花が咲き、菜月と同じ背丈に成長した頃になって、ある時、ぽつりと言うのだ。
「なっちゃん、いっぱいお水あげてるのに、まだ、めが出ないんだ。」
と。
いったい何のことを言ってるのかとわからなかったのだけれど...
よぉく話を聞いてみると、どうやら、菜月は、ひまわりの「芽」ではなく、ひまわりの「目」が出てくるのを期待しているのではないかと思われ...
そんなん出てきたら、恐いっちゅうに(^^ゞ

子供が考えていることは、ほんとに不思議。
そういうふうに考えてたんだと、びっくりすることばかりなのだ。


屋上にひまわりを植えました。

(菜月、4歳3ヶ月)



↑こういうのを想像していたのか?!
「貴裕君は、なんで、すぐに、なっちゃんのおもちゃ、とっちゃうの?」
と聞く。
「赤ちゃんだから、まだわからないんよ。なっちゃんも、赤ちゃん時はそうだったよ。」
と答えると、
「なっちゃんも、前、赤ちゃんだったの?」
と聞く。
「そうよ。」
と言う。
「3歳の時?」
と聞く。
「うーん、もうちょっと前かな。」
と答える。
すると、
「じゃぁ、なっちゃんが赤ちゃんの時、貴裕君は、なっちゃんだった?」
なぜか、そんなことになってしまうのだ。
いったい何を意味しているのか、かぁさんもわからず、、
「貴裕は、なっちゃんじゃないよ。」
と答えると、今度は、
「じゃー、何だった?」
と聞く。
何だったって言われても...むずかしい(^^ゞ

どうやら、菜月的発想でいくと、今、貴裕は「赤ちゃん」で、なっちゃんは「なっちゃん」なんだから、なっちゃんが「赤ちゃん」のときは、貴裕は、「なっちゃん」だったんじゃないかとそういうことらしいのだ。
実に不思議な発想だ。


こんなに小さかった貴裕も...



大きくなりました。

(菜月、4歳11ヶ月、
貴裕、1歳10ヶ月)


そして、先日。
「ねぇ、なっちゃん、貴裕君が生まれたところはどこか知ってるんだけど...なっちゃんは、どこの病院で生まれたの?」
幼稚園から帰ってくるなり、菜月が、そんなことを聞いてきた。
「なっちゃんはねぇ、世羅ばぁちゃんちの近くの病院よ。」
と答えると、
「じゃぁ、かぁさんは、どこで生まれたん?」
と聞く。
「かぁさん?かぁさんは、どこかなぁ。やっぱり世羅ばぁちゃんちの近くの病院じゃないかな?」
と答えると、
「じゃぁ、お父さんは?」
「お父さんはねぇ、記念病院よ。」
かわって、おばあちゃんが答えると、
「じゃぁねぇ、おばあちゃんは、どこで生まれたの?」
質問は終わらない。
「ん?おばあちゃんは、どこかなぁ。」
おばあちゃんが考えていると、
「じゃぁ、おじいちゃんは?」
「おじいちゃん?....どこだろう?なっちゃん、聞いてごらん。」
すると、神妙な顔で、最後に言うのだ。
「え...じゃぁ、みんな生まれたん?」
と。
「.....」

菜月、5歳1ヶ月。
子供って、実に実に不思議だと思う今日この頃。


元気ありあまってます...

(菜月、5歳0ヶ月)