第7 消滅時効
民法第166条第1項及び第167条第1項の債権に関する規律を次のように改めるものとする。
債権は、次に掲げる場合のいずれかに該当するときは、時効によって消滅する。
(1) 債権者が権利を行使することができることを知った時から5年間行使しないとき。
(2) 権利を行使することができる時から10年間行使しないとき。
(注)この改正に伴い、商法第522条を削除するものとする。
2 債権の消滅時効における原則的な時効期間と起算点
【甲案】「権利を行使することができる時」(民法第166条第1項)という起算点を維持した上で,10年間(同法第167条第1項)という時効期間を5年間に改めるものとする。
【乙案】「権利を行使することができる時」(民法第166条第1項)という起算点から10年間(同法第167条第1項)という時効期間を維持した上で,「債権者が債権発生の原因及び債務者を知った時(債権者が権利を行使することができる時より前に債権発生の原因及び債務者を知っていたときは,権利を行使することができる時)」という起算点から[3年間/4年間/5年間]という時効期間を新たに設け,いずれかの時効期間が満了した時に消滅時効が完成するものとする。
(注)【甲案】と同様に「権利を行使することができる時」(民法第166条第1項)という起算点を維持するとともに,10年間(同法第167条第1項)という時効期間も維持した上で,事業者間の契約に基づく債権については5年間,消費者契約に基づく事業者の消費者に対する債権については3年間の時効期間を新たに設けるという考え方がある。
1 職業別の短期消滅時効は,「生産者,卸売商人又は小売商人」の売買代金債権(民法第173条第1号)を始め,契約に基づく債権のかなりの部分に適用されている。このため,職業別の短期消滅時効を廃止して時効期間の単純化・統一化を図った上で(前記1),債権の消滅時効における原則的な時効期間と起算点を単純に維持した場合には,多くの事例において時効期間が長期化することになるという懸念が示されている。そこで,時効期間をできる限り単純化・統一化しつつ,時効期間の大幅な長期化への懸念に対応するための方策が検討課題となる。
2 本文の甲案は,「権利を行使することができる時」(民法第166条第1項)という消滅時効の起算点については現状を維持した上で,10年間(同法第167条第1項)という原則的な時効期間を単純に短期化し,商事消滅時効(商法第522条)を参照して5年間にするという考え方である。これは,現行制度の変更を最小限にとどめつつ時効期間の単純化・統一化を図るものであるが,他方で,事務管理・不当利得に基づく債権や,契約に基づく債権であっても安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権のように,契約に基づく一般的な債権とは異なる考慮を要すると考えられるものについて,その時効期間が10年間から5年間に短縮されるという問題点が指摘されている。このような問題に対しては,原則的な時効期間の定め方とは別に,生命又は身体に生じた損害に係る損害賠償請求権の消滅時効について特則を設けることによって(後記5),一定の解決を図ることが考えられるが,それとは別に,「権利を行使することができる時」という起算点のみならず,10年間という原則的な時効期間についても現状を維持した上で,事業者間の契約に基づく債権については5年間,消費者契約に基づく事業者の消費者に対する債権については3年間の時効期間を新たに設けることによって解決を図るという考え方が示されており,これを(注)で取り上げている。
3 本文の乙案は,「権利を行使することができる時」から10年間という現行法の時効期間と起算点の枠組みを維持した上で,これに加えて「債権者が債権発生の原因及び債務者を知った時(債権者が権利を行使することができる時より前に債権発生の原因及び債務者を知っていたときは,権利を行使することができる時)」から[3年間/4年間/5年間]という短期の時効期間を新たに設け,いずれかの時効期間が満了した時に消滅時効が完成するとする考え方である。契約に基づく一般的な債権については,その発生時に債権者が債権発生の原因及び債務者を認識しているのが通常であるから,その時点から[3年間/4年間/5年間]という時効期間が適用されることになり,時効期間の大幅な長期化が回避されることが想定されている。もっとも,契約に基づく一般的な債権であっても,履行期の定めがあるなどの事情のために,債権者が債権発生の原因及び債務者を知った時にはまだ権利を行使することができない場合があるので,この[3年間/4年間/5年間]という短期の時効期間については,権利を行使することができる時から起算されることが括弧書きで示されている。他方,事務管理・不当利得に基づく一定の債権などには,債権者が債権発生の原因及び債務者を認識することが困難なものもあり得ることから,現状と同様に10年の時効期間が適用される場合も少なくないと考えられる。このような長短2種類の時効期間を組み合わせるという取扱いは,不法行為による損害賠償請求権の期間の制限(民法第724条)と同様のものである。安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権のように,不法行為構成を採用した場合の時効期間が短いために,債務不履行構成を採用することに意義があるとされているものについては,原則的な時効期間の定め方とは別に,生命又は身体に生じた損害に係る損害賠償請求権の消滅時効について特則を設けることによって(後記5),現在よりも時効期間が短くなるという事態の回避を図ることが考えられる。
原則的な時効期間を変更する趣旨は、中間試案概要「1」と同じである。
要綱仮案は、基本的に、中間試案の乙案の考え方を採用した(中間試案概要「3」参照)。主観的起算点に関する中間試案の表現が、「債権者が権利を行使することができることを知った時」に改められた経緯・趣旨については、部会資料69A、2頁(『「債権発生の原因」を知るという要件に対しては、債権者の認識の対象が具体的に何であるのかが必ずしも明確でないなどの指摘があった。…主観的起算点から時効が進行するのは、その時点から債権者が自己の判断で権利を行使することが現実的に可能な状態になったといえるからである。そして、債権者がそのような状態になったといえるには、「権利を行使することができる時」(民法第166条第1項、素案(2)参照)が到来したことを認識する必要があると考えられる。このことを端的に表現するため…改めている。』)、部会資料80-3、1頁等参照。
この改正に伴い、商法522条は削除される。契約上の債権においては、債権者が「権利を行使することができる時」に権利行使の可能性を認識しているのが通常であるから、商行為によって生じた債権についての特則の存在意義が乏しくなり、他方、同条については従前から適用範囲が不明確であるという問題が指摘されていることを踏まえたものである(部会資料69A、9頁)。
【コメント】
会社法上の取締役の責任や契約上の安全配慮義務に基づく損害賠償請求権については、現行法では権利を行使できる時から10年の時効期間であったが、要綱仮案においては、主観的起算点から5年の規律により、時効期間が短縮化される場面が生じうることとなる(ただし、生命・身体の侵害に関する損害賠償請求権は、主観的起算点から10年、客観的起算点から20年とされるため、むしろ現行法より長期化される場面が生じうる)。
(消滅時効の進行等)
第166条 消滅時効は、権利を行使することができる時から進行する。
2 前項の規定は、始期付権利又は停止条件付権利の目的物を占有する第三者のために、その占有の開始の時から取得時効が進行することを妨げない。ただし、権利者は、その時効を中断するため、いつでも占有者の承認を求めることができる。
(債権等の消滅時効)
第167条 債権は、十年間行使しないときは、消滅する。
2 債権又は所有権以外の財産権は、二十年間行使しないときは、消滅する。
(A=債務者,時効を援用する当事者,B=債権者)
[客観的起算点]
@ 【債権の消滅時効は,債権者が権利を行使することができる時より進行を始めるのであって,弁済期の到来を知っていたか否か,知らなかったことに過失があるか否かは関係がない。出世払い債権】大審院大正4年3月24日判決・民録21輯439頁
BがAに対して出世払いにて金銭を貸与した事例で,Aは明治33年には出世したが,Bはその事実を知らなかったようである。
債権の消滅時効は,債権者が権利を行使することができる時より進行を始めるものであり,不確定期限の債務であっても,その到来の時より債権者は弁済を請求することができるので,同時に消滅時効は当然に進行し,債権者が期限の到来を知ると否と,又は過失の有無を問う必要はない。なぜなら,債権者が時効によって消滅するのは,債権者が権利を行使することができるのにこれを行使しないことに起因し,債権者の権利行使に過失あることを要するものではなく,過失なく期限の到来を知らなくても事項の進行を妨げるものではないからである。
A 【権利を行使できる時とは,法律上権利を行使できる時をさし,事実上これを行使できるか否かとは無関係である。非債弁済による不当利得返還請求権】大審院昭和12年9月17日判決・民集16巻1435頁
Bは,AC間で締結された更改契約に基づきCがAのために担保に提供した不動産を譲り受け,大正5年までにAに対して1400円を弁済した。ところが,AC間の更改契約についてCの無権代理人が締結していたことが発覚し(昭和6年判決確定),BはAに対して,1400円の不当利得返還請求権を有することとなった。
民法167条の権利を行使することができる時とは,法律上これを行使することができる時を意味し,事実上これを行使することができるか否かは何ら関係がないものと解されるので,不当利得返還請求権の場合,他人の損失において利得した事実により権利発生と同時に進行を開始する。権利者は10年間時効の中断をすることができ,このように長期間に権利発生の事実を覚知しないごときは,権利の上に眠るものというに何らの妨げもなく,他方で,覚知したときをもって時効の起算点とする場合には特別の規定が設けられているのであるから,非債弁済による不当利得返還請求権について,権利の発生を覚知した時より起算するものとすれば,この債権に限り消滅時効の完成しない場合を生じる不合理を免れない。
B 【準禁治産者が提訴するに際して保佐人の同意を得られなかったという事実は,事実上の障害であって,法律上の障害ではなく,消滅時効の進行は妨げられない】最高裁昭和49年12月20日判決・民集28巻10号2072頁
Bは,違法な手続によって,昭和33年から36年までA病院に強制入院させられたが,36年退院後46年までの間,準禁治産宣告を受けていた。BがA病院に対して損害賠償請求した。
消滅時効の制度の趣旨が,一定期間継続した権利不行使の状態という客観的な事実に基づいて権利を消滅させ,もって法律関係の安定を図るにあることに鑑みると,権利を行使することができるとは,権利を行使し得る期限の未到来とか,条件の未成就のような権利行使についての法律上の障碍がない状態をさすものと解すべきである。準禁治産者が訴を提起するにつき保佐人の同意を得られなかったとの事実は,権利行使についての単なる事実上の障碍にすぎず,これを法律上の障碍ということはできない。準禁治産者であるBが訴えを提起するにつき保佐人の同意を得られなかったとしても,そのことによっては,損害賠償債権の消滅時効の進行は妨げられない。
C 【事務管理に基づく費用償還請求権の消滅時効の起算点は,権利発生時である】最高裁昭和43年7月9日判決・判時530号34頁
B´が所有する自動車をBが借り受けて運転中に,Aの所有車から衝突されたため,Bが昭和35年に損傷部分を修理に出し,修理費用9万円の支払いをAに対して求めた(提訴は昭和42年)。
第三者が他人のためにその不法行為上の損害賠償義務を免れさせるに足りる費用を支出したことにもとづき,第三者が,民法702条により,他人に対して取得する費用償還請求権は,事務管理を原因として新たに発生する権利であるから,その消滅時効も,その権利を行使することのできる時,すなわち,その権利の発生した時から進行を開始する。
D 【継続的金銭消費貸借契約に基づく過払金返還請求権の消滅時効の起算点は,取引終了時である】最高裁平成21年1月22日判決・民集63巻1号247頁
BはAとの間で,昭和57年から平成17年までの間継続的な金銭消費貸借取引を行った。BはAに対して,平成19年に過払い金の返還を求めた。
過払金充当合意を含む基本契約に基づく継続的な金銭消費貸借取引においては,同取引により発生した過払金返還請求権の消滅時効は,過払金返還請求権の行使について上記内容と異なる合意が存在するなど特段の事情がない限り,同取引が終了した時点から進行する。
E 【権利を行使することができる時とは,単にその権利の行使につき法律上の障害がないというだけではなく,権利の性質上その権利行使が現実に期待のできるものであることが必要である。供託金取戻し請求権】最高裁昭和45年7月15日判決・民集24巻7号771頁
BC間において,Bが借地権を有するか否かが裁判で争われていたところ,昭和38年に和解が成立し,Cは昭和27年以降のBに対する地代(毎月2000円)を放棄することとなった。BはA(供託所)に対して,毎月地代2000円を供託していた。BがAに対して還付請求をした。
弁済供託における供託物の払渡請求について,「権利を行使することができる時」とは,単にその権利の行使につき法律上の障害がないというだけではなく,さらに権利の性質上,その権利行使が現実に期待のできるものであることをも必要と解するのが相当である。なぜなら,本来,弁済供託においては供託の基礎となった事実をめぐって供託者と被供託者との間に争いがあることが多く,このような場合,その争いの続いている間に当事者のいずれかが供託物の払渡を受けるのは,相手方の主張を認めて自己の主張を撤回したものと解せられるおそれがあるので,争いの解決をみるまでは,供託物払渡請求権の行使を当事者に期待することは事実上不可能にちかく,請求権の消滅時効が供託の時から進行すると解することは,法が当事者の利益保護のために認めた弁済供託の制度の趣旨に反する結果となるからである。したがって,弁済供託における供託物の取戻請求権の消滅時効の起算点は,供託の基礎となった債務について紛争の解決などによってその不存在が確定するなど,供託者が免責の効果を受ける必要が消滅した時と解するのが相当である。
F 【同上。自賠法72条による国に対するてん補請求権】最高裁平成8年3月5日判決・民集50巻3号383頁
Bは昭和59年に交通事故に遭い,加害者とされたCを相手取って損害賠償請求訴訟を提訴したが,平成1年に棄却された。BはA(国)に対して,てん補請求権を行使した。
「権利を行使することができる時」とは,単にその権利の行使につき法律上の障害がないというだけではなく,さらに権利の性質上,その権利行使が現実に期待のできるものであることをも必要である。交通事故の加害者ではないかとみられる者との間で自賠法3条による請求権の存否についての紛争がある場合には,右の者に対する自賠法3条による請求権の不存在が確定するまでは,国に対する権利行使を期待することは被害者に難きを強いるものであるから,自賠法3条による損害賠償請求権が存在しないことが確定した時から,国に対するてん補請求権の消滅時効が進行するというべきである。
G 【同上。生命保険金請求権】最高裁平成15年12月11日判決・民集57巻11号2196頁
B´はA保険会社との間で生命保険契約を締結していたが,平成4年に行方不明となり,平成8年に遺体で発見された(死亡は平成4年)。約款では,保険金請求権は死亡の翌日から3年の消滅時効に係ることとされている。
民法166条1項に定める消滅時効の起算点は,単にその権利の行使について法律上の障害がないというだけではなく,さらに権利の性質上,その権利行使が現実に期待することができるようになった時から消滅時効が進行するというのが同項の規定の趣旨である。本件保険契約に基づく保険金請求権は,支払事由(被保険者の死亡)が発生すれば,通常,その時からの権利行使が期待できると解されるが,当時の客観的状況等に照らし,その時からの権利行使が現実に期待できないような特段の事情の存する場合についてまでも,上記支払事由発生の時をもって本件消滅時効の起算点とする趣旨ではないと解するのが相当である。そして,このような特段の事情の存する場合には,その権利行使が現実に期待することができるようになった時以降において消滅時効が進行する趣旨と解すべきである。本件では,B´の死亡が確認され,その権利行使が現実に期待できるようになった平成8年以降において消滅時効が進行するものと解される。
H 【瑕疵担保による損害賠償請求権の消滅時効の起算点は,引渡時である】 最高裁平成13年11月27日判決・民集55巻6号1311頁
買主Bは,昭和48年の売買契約により土地を購入したが,20年以上経過した平成6年に,土地の一部に道路位置指定がなされて建物の建築に支障を生じることが判明したため,売主Aに対して損害賠償請求をした。
買主が遅くとも消滅時効期間の満了までの間に瑕疵を発見して損害賠償請求権を行使することを買主に期待しても不合理ではなく,買主が瑕疵に気付かない限り買主の権利が永久に存続することとすれば,売主に過大な負担を課することとなり適当ではない。したがって,瑕疵担保による損害賠償請求権には消滅時効の適用があり,起算点は目的物の引渡時である。
判例解説(H13年27事件),「瑕疵担保による損害賠償請求権は,権利の性質上,買主が目的物の引渡しを受けるまでは現実の行使を期待することはできないとして,引渡しの時を起算点とする説を取ることができる」(760〜761頁)。
[主観的起算点]
@ 【損害及び加害者を知った時とは,被害者において加害者に対する損害賠償請求が事実上可能な状況の下において,可能な程度にこれを知った時と解すべきである】最高裁昭和48年10月5日判決・判時726号92頁
昭和17年に警察の取調中に受けた暴行に関して,昭和26年に暴行を加えた加害者の名前を,昭和36年に住所を知り,昭和37年に提訴した。
不法行為に基づく法律関係が未知の当事者間に予期しない事情に基づいて発生することがあることにかんがみ,被害者による損害賠償請求権の行使を念頭において消滅時効の起算点に関しての特則を設けたのであるから,損害及び加害者を知った時とは,被害者において加害者に対する損害賠償請求が事実上可能な状況の下において,可能な程度にこれを知った時と解すべきである。消滅時効は完成していない。
A判例の判例解説(H14年6事件)「時効が進行を開始するのに,加害者の生命,住所までは知る必要がないが,少なくとも特定の『あの人』が加害者であることを認識していることが昭和48年判例の前提になっていると解すべきであろう」(154頁)。
A 【被害者が損害を知った時とは,被害者が損害の発生を現実に認識した時をいう】最高裁平成14年1月29日判決・民集56巻1号218頁
昭和60年に通信社Aが地方の新聞社にBの名誉を毀損する内容のニュースを配信し,地方新聞社はこれを記事とした。Bは,地方新聞社に記事が掲載されていることを平成4年に知ったが,提訴はそれから3年と少し経過した平成7年であった。消滅時効の完成を認めた原判決を破棄差戻し。
被害者が損害を知った時とは,被害者が損害の発生を現実に認識した時をいう。なぜなら,不法行為の被害者が損害の発生を認識していない場合に,被害者が損害の発生を容易に認識し得ることを理由に消滅時効の進行を認めることにすれば,被害者は,自己に対する不法行為の存在する可能性のあることを知った時点において,自己の権利を消滅させないために,損害の発生の有無を調査せざるをえなくなるが,このような負担を課することは不当である。
民法724条の短期消滅時効の趣旨は,損害賠償の請求を受けるかどうか,いかなる範囲まで賠償義務を負うか等が不明である結果,極めて不安定な立場に置かれる加害者の法的地位を安定させ,加害者を保護することにあるが,それは,飽くまでも被害者が不法行為による損害の発生及び加害者を現実に認識しながら3年間も放置していた場合に加害者の法的地位の安定を図ろうとしているものにすぎず,それ以上に加害者を保護しようという趣旨ではない。
判例解説(H14年6事件)「実体法のレベルで,被害者が損害を知り得た場合,通常人が知り得た場合を基準として被害者が認識したことを擬制するとの解釈を採るのは,法の文言や被害者の利益を軽視するものであり,妥当ではない」(163頁)。
B 【被害者が損害を知った時とは,単に加害行為により損害が発生したことを知っただけではなく,その加害行為が不法行為を構成することを知った時をいう】最高裁昭和42年11月30日判決・集民89号279頁
A市の市長は,昭和32年に,無権限でA市名義の手形を振り出したところ,この手形を取得したBがA市に対して手形金の支払いを求めた。損害賠償請求を主張したのは昭和36年になってからである。
被害者側が損害を知った時とは,単に加害行為により損害が発生したことを知っただけではなく,その加害行為が不法行為を構成することを知った時との意味に解するのが相当であるところ,Bが市長の不法行為により損害を被ったことを知ったのは,手形の満期に,A市がその振出の事実を否認し,支払を拒絶した時ではなく,少なくとも,本訴において,A市側が手形の振出の無権限行為である旨主張し,市長の当事者尋問において供述をした昭和34年以降であるとした原判決の事実認定は,正当として肯認することができる。
C 【使用者責任に基づく損害賠償請求権についての加害者を知るとは,使用関係にある事実及び一般人が当該不法行為が使用者の業務執行につきなされたものであると判断するに足りる事実を認識することをいう】最高裁昭和44年11月27日判決・民集23巻11号2265頁
B社は,昭和27年,A社の支局長A´から,B社振出の手形を差し入れたら300万円融資すると言われ,手形を詐取された。Bは,昭和29年にA´を刑事告訴しているが,A社を提訴したのは昭和35年であった。
使用者の損害賠償責任(民法715条)は,使用者と被用関係にある者が,使用者の事業の執行につき第三者に損害を加えることによって生ずるのであるから,この場合,加害者を知るとは,被害者らにおいて,使用者ならびに使用者と不法行為者との間に使用関係がある事実に加えて,一般人が当該不法行為が使用者の事業の執行につきなされたものであると判断するに足りる事実をも認識することをいうものと解するのが相当である。したがって,これと同趣旨の見解に立つて,Bはおそくとも昭和29年には損害および加害者を知ったものであり,昭和32年の満了により消滅時効が完成したものである旨の原審の認定判断は首肯することができる。
D 【不法行為を構成することは容易に知り得る場合もあるとされた事例】最高裁昭和43年6月27日判決・集民91号461頁
Bが売買により取得した不動産について,第三者Cから返還を求められたため,念のため国Aを相手取って国賠請求をしていた事例のようである。
不法行為であることは,被害者が加害行為の行なわれた状況を認識することによって容易に知ることができる場合もありうるのであって,その行為の効力が別訴で争われている場合でも,別訴の裁判所の判断を常に待たなければならないものではない。登記官吏の過失により土地所有権を適法に取得しえず損害を蒙った場合も,右の理に変りはない。
E 【損害を被った事実及び違法であると判断するに足りる事実を認識したとされた事例】最高裁平成23年4月22日判決・判時2116号61頁
Bは,平成12年3月,信用組合Aに対して300万円を出資したが,Aは平成12年12月に金融整理管財人による管理が開始された。Bによる提訴は平成19年である。
Bは,平成12年12月頃Aが経営破たんしたことを知ったので,Aの勧誘に応じて出資した結果損害を被ったという事実を認識したといえる。
平成13年2月に管財人による報告がなされ,6月以降集団訴訟も提起されたというのであるから,Bが実質的な債務超過の状態にありながら,経営破綻の現実的な危険があることを説明しないまま勧誘をしたことが違法であると判断するに足りる事実についても,Bは,遅くとも同年末には認識したものとみるのが相当である。
[主観的起算点の適用例]
@ 【期限の定めのない貸金を自働債権として相殺する場合には,貸付の時においてすでに弁済期にあるものとして考えるべきである(消滅時効に関する判示ではない)】大審院昭和17年11月19日判決・民集21巻1075頁
AがBに対して,平成7年に弁済期が到来した売買代金債権67円を有し,他方で,BはAに対して,平成7年に50円,平成8年に5円を弁済期の定めなく貸し付けた(貸金α)。AがBに対して売買代金の支払いを求める裁判を提訴したところ,Aは昭和16年に,貸金αを自働債権とする相殺を主張した。
弁済期の定めのない貸金債権は債権者において何時にてもその弁済を請求することができるものにして,この意味において債権成立と同時に弁済期にあるということができる。借主をして履行遅滞の責任を負担させるには,貸主において相当の期間を定めて返還の催告をしてその期間内に弁済がないことを要するところ,この意味において返還の催告なくしては遅滞の責任が発生すべき履行来が到来しない。したがって,弁済期といっても,前者と後者とは意義が異なるのであって,彼此混同すべきではない。貸主Bが借主Aに対して有する貸金αを自働債権として相殺する場合においては,相殺の自働債権であるαはその成立の動機如何を問わず,その成立の時(期間を定めてする返還の催告前),すなわち貸付の時においてすでに前述の弁済期にあるものとして相殺適状にあるものと解する。したがって,借主Aにおいては未だ弁済の請求がなく従って遅滞の責任がないゆえをもって抗弁として相殺の効力を争うことはできない。
A 【消滅時効の起算点は,契約成立の時から相当期間経過した時(本件では,1カ月経過した時)とされた事例】東京高裁昭和51年8月30日・判タ344号10頁
BはAに対して,昭和34年6月に,売掛金570万円を有していたところ,これを貸金とする準消費貸借契約を締結した。Aはその後80万円を弁済しただけであったため,Bは昭和50年に残金の支払いを求めて提訴した。
現実に履行を請求しうるのは相当の期間経過後であるから,消滅時効の起算点は,貸借成立の時から相当の期間を経過した時と解すべきである(現実に催告をし,それに定められた期間の満了時ではないし,貸借成立の時でもない)。本件の場合,元来の債権が売掛金であることを考慮すれば,相当の期間は長くとも1カ月と解するのが相当であり,準消費貸借が成立昭和34年6から1カ月を経過した7月から消滅時効の期間が進行し,10年の時効期間を経過した昭和44年7月の経過をもって,時効により消滅した。
B 【契約解除による原状回復義務の履行不能による損害賠償請求権の消滅時効は,契約解除の時から進行する】最高裁昭和35年11月1日判決・民集14巻13号2781頁
BがAに対して,昭和23年に,エンジンを引き渡して修理を依頼したところ,Aが修理をしないので,Bは,昭和24年に契約を解除し,昭和26年にAがエンジンを紛失したため,昭和30年になって,解除による原状回復のための返還請求権が履行不能になったとしててん補賠償請求をした。
商事契約の解除による原状回復(本件では特定物の返還義務)は商事債務であり,その履行不能による損害賠償義務も同様商事債務と解すべきである。この損害賠償義務は本来の債務の物体が変更したに止まり,その債務の同一性に変りはないのであるから,商事取引関係の訊速な解決のため短期消滅時効を定めた立法の趣旨からみて,右債務の消滅時効は本来の債務の履行を請求し得る時から進行を始める。
C 【履行不能による損害賠償請求権の消滅時効は,本来の債務の履行を請求することができる時から進行する】最高裁平成10年4月24日判決・判時1661号66頁
A´は昭和39年に農地αをBに売却し仮登記をしていたところ,A(A´の相続人)は,昭和63年に仮登記抹消手続訴訟を提訴し(Bへは公示送達),これを抹消したうえでαをCに売却した。Bは,平成4年に,Aを相手取って履行不能による損害賠償請求訴訟を提訴した。
契約に基づく債務について不履行があったことによる損害賠償請求権は,本来の履行請求権の拡張ないし内容の変更であって,本来の履行請求権と法的に同一性を有すると見ることができるから,履行不能によって生ずる損害賠償請求権の消滅時効は,本来の債務の履行を請求し得る時からその進行を開始する。Aの履行義務は履行不能となったが,これによって生じた損害賠償請求権の消滅時効は,所有権移転許可申請義務の履行を請求し得る時,すなわち,契約締結時からその進行を開始する。
C-2 【説明義務違反による損害賠償請求権の消滅時効は,損失額が確定した時点から進行し,その期間は10年,とされた事案】大阪地裁平成11年3月30日判決・判タ1027号165頁
A(証券会社)は,Bに対して,平成1年に投資信託を,2年にワラントの買付けを勧めたが,説明義務違反があった。Bは投信を平成2年に,ワラントを平成5年に売付け,平成9年に提訴した。
債務不履行に基づく損害賠償請求権の消滅時効の起算点について,少なくとも損失額が確定したときには期限の定めのない債務として具体的請求権として発生し,右時点においては訴求するにつき法律上の障害がないことから,右をもって起算点と解すべきである。
本件訴求債権の法的性質は,契約内容の核心部分というものではなく,むしろ契約関係の外縁部分として認められる債務であって,その内容も非定型で,訴求するとしてもその義務の有無,内容の確定など困難な事情が生じることは否めない。通常の商行為によって生じた債権とは異なり,商法522条の趣旨(商事取引における迅速性を確保するために定められたもの)が及ぶものとは考えがたい。時効期間は民法上の原則に戻り,10年。
C-3 【専門家に相談する機会が十分あったとして,先物取引について消滅時効が完成している,とされた事例】大阪地裁平成5年3月26日判決・判タ931号266頁(大阪高裁平成8年4月26日判決の原審)
BはA(先物取引会社)との間で,昭和58年から59年まで大豆の先物取引をした後,平成1年に弁護士に相談し,不法行為による損害賠償請求訴訟を提訴した。
不法行為が成立する。
しかし,確かに,Bの主張するように商品先物取引による不法行為の成否は専門的判断を要するであろうが,Bは,本件取引期間中,苦情相談所に架電しており,取引に関する書類はBの許に送付されていて,Bにおいて専門家に相談する機会は充分あったことはもちろん,自分でなんらかの調査をする機会は充分にあったのに,Bは平成1年になって新聞記事を見てはじめてAに違法があったのではないかと考えるようになったというのである。この経過からすると,消滅時効が完成している。
C-4 【取引の専門性に鑑みれば,法律の専門家に相談した時点までは,損害が発生した事実を知っていたとはいえない,とされた事例】広島地裁平成25年1月11日判決・
BはA(先物取引会社)との間で,平成14年にガソリンの先物取引をした後,平成22年に弁護士に相談し,不法行為による損害賠償請求訴訟を提訴した。
商品先物取引の専門性に鑑みれば,取引によって生じた損害がAの従業員の違法行為によって発生したものであるかどうかを把握するためには,専門的な知識を相当程度要するものと考えられ,少なくとも,Bが法律の専門家に相談することなく自らの検討により把握することは不可能であったと評価できる。したがって,Bは,少なくとも訴訟代理人弁護士に相談した平成22年までは,Bの従業員の違法行為によって損害が発生した事実を知っていたとはいえないから,消滅時効は完成していない。
C-5 【宗教における教義を信仰する心理状態が継続している限りは,消滅時効は進行しないとされた事例】東京地裁平成12年12月25日判決・判タ1095号181頁
Bらは,Aが実施する足裏診断を受け,多額の診断費用を支払った。
本件のように組織的にされた不法行為の場合,被害者であるBらにおいて事実関係を把握するだけの情報や資料等を入手することは極めて困難であるのみならず,宗教的行為において詐欺的・脅迫的勧誘が行われた不法行為においては,当該宗教行為を教義の一環として受け入れている限り不法行為であると認識できないから,当該宗教における教義を信仰する心理状態が継続している限りは,時効は進行しない。心理状態から解放された時期は,マスコミ報道等を見て被害対策弁護団の存在を知り,同弁護団の弁護士と相談した時点であると考えられる。
C-6 【事件報告書を入手した時点で,損害および加害者を知っていた,とされた事例】札幌地裁平成25年3月29日判決・労判1083号61頁
自衛隊員B´は,平成18年に敵を殺傷等する戦闘手段の訓練中に死亡したところ,遺族Bが国Aを提訴したのは,平成22年のことであった。
Bが,損害及び加害者を知ったのは,早くとも委員会報告書(国会議員を通して入手できた資料)を入手した平成22年頃であり,消滅時効が完成していない。
C-7 【石綿救済支給請求書を作成した時点で,損害および加害者を知っていた,とされた事例】横浜地裁平成23年4月28日判決・労経速2111号3頁
A社(造船所)に昭和36年から昭和42年まで勤務し,平成8年に死亡した従業員B´の遺族Bが,平成21年にアスベストが原因であるとして,損害賠償請求訴訟を提訴した。
B´は平成8年に悪性胸膜中皮腫り患による死亡に伴う損害が確定し,Bが安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権を行使することが可能であったといえ,10年を経過している。
Bが平成7年当時医師からB´の悪性胸膜中皮腫がアスベストである旨の説明を受け,B´からA社でアスベストに曝露していた旨聞いていたこと,平成17年頃報道により,アスベストと中皮腫の関係や造船所がアスベスト職場であることを知ったこと,平成18年には,A社においてアスベストに曝露したとの認識を有していること等の事実からすれば,Bは石綿救済支給請求書を作成した平成18年3月には,Aに対する損害賠償請求が事実上可能な状況の下に,その可能な程度に知ったものであり,3年を経過している。
[商事消滅時効]
@ 【債務者または債権者の一方が商人であれば,商事消滅時効が適用される】大審院明治44年3月24日判決・民録17輯159頁
Bが雑貨販売業を営むAに対して貸付,立て替えた債権について弁済を求めたところ,Aが商事消滅時効を援用した。
当事者の一方のために商行為たる行為については商法の規定を双方に適用すべきであることは,商法3条の明定するところである。商法において商行為によって生じた債権または債務と称するものは,結局のところ同一の法律関係に対して債権者または債務者の方面より観察した文詩にすぎないのであって,債務者のために商行為である以上は,債権者のために商行為ではないときであっても,債権が商行為によって生じた債権たることを妨げないのと同じく,債権者のために商行為である以上は,債務者のために商行為でないときであっても,債務が商行為によって生じた債務たることを妨げない。
A 【商事消滅時効が適用される債権は,商行為に属する法律関係又はこれに準じる関係から発生したものでなければならない】最高裁昭和55年1月24日判決・判時955号52頁
商人であるBはAから,利息を月7%と定めて700万円を借り入れ,昭和40年4月に利息とも弁済した。昭和50年1月に,過払い金の返還を求めて提訴した。
商法522条の適用又は類推適用されるべき債権は商行為に属する法律行為から生じたもの又はこれに準ずるものでなければならないところ,利息制限法所定の制限をこえて支払われた利息,損害金についての不当利得返還請求権は,法律の規定によって発生する債権であり,しかも,商事取引関係の迅速な解決のため短期消滅時効を定めた立法趣旨からみて,商行為によって生じた債権に準ずるものと解することもできないから,消滅時効の期間は民事上の一般債権として10年となる。
A-2 【先物取引に関する損害賠償請求権の消滅時効は5年,とされた事例】名古屋地裁平成24年8月24日判決・先も取引裁判例集68号83頁
BはA(先物取引会社)との間で,平成14年に先物取引を行ったが,提訴は平成23年であった。
商法522条の適用されるべき商行為によって生じた債権は,商行為に属する法律行為から生じたもの又はこれに準ずるものであることを要するところ,Bが主張する債務不履行は,Aが委託契約に基づき受任者として負う善管注意義務の不履行をいうものと解されるから,契約上の債務の不履行をいうものであり,契約上の債務の不履行を原因とする損害賠償請求権は,契約上の債権がその態様を変じたにすぎないものであるから,商法522条本文にいう商行為によって生じた債権に当たる。確かに,商法522条の 趣旨の一つとして,商取引の迅速性の確保があることは否定し得ないが,Aが受任者として負うべき善管注意義務の内容を具体化したものであり,しかも,適合性原則違反,新規委託者保護義務違反,説明義務違反等,それら具体化された内容は,法令,取引所指示事項,自主規制規則等により明確化され,その類型化,具体化がされているところであるから,その内容が極めて非定型的であるとはいえず,これら義務違反による債務不履行につき同条を適用したとしても,その趣旨がき損されるとまではいい難い。
[時効援用の権利濫用]
@ 【訴権の行使を妨げる事情が存する場合には,消滅時効の進行を停止させることを期待できないのであるから,消滅時効を援用することは信義則に反するとされた事例】東京高裁平成7年5月31日判決・判タ896号148頁
A銀行の女子行員が頚肩腕症候群を発症したとして安全配慮義務違反による損害賠償請求が提訴された。Aにおいては,組合との間で,提訴しない限り一定の救済措置が講じられており,Bはこの救済を受けていたが,その後提訴した。
Aが明確に救済措置を取らないことを決定したのは昭和56年であり,Bはそれまで救済措置の適用を受けているものと認識していたこと,救済措置に上記規定がある以上はBは済措置の適用を受けようとする限り民事訴訟の提起による解決を控えなければならず,救済措置を適用されていると思っていた昭和56年までは同様の事情にあったというべきであり,一方で訴権の行使を妨げるような事情が存する場合には,そもそも消滅時効の進行を停止させることを期待できないのであるから,期間に時効が進行した結果消滅時効が完成した旨主張することは信義則に反し許されない。
A 【損害賠償請求をすること,時効中断措置を取ることが著しく困難な状況に置かれていた以上は,消滅時効を援用することは,信義則に反し権利濫用となるとされた事例】東京地裁平成17年9月15日判決・判タ1906号10頁
旧国鉄の職員が平成2年に清算事業団Aを解雇されたことによる損害賠償請求事件である。
被害者において適時の権利行使又は時効中断措置を講ずることが不可能若しくは著しく困難にさせる客観的事情が認められるような場合には,加害者の消滅時効の援用は信義則に反し,権利の濫用に当たるというべきである。Bらは,本件訴え提起に至るまで,国労の方針に従い,国労の労働委員会に対する救済申立てによりJRへの採用を求めていたのであり,これが認められれば,Aに対して損害賠償請求等を行う必要がなかったのであるから,このような選択は,国鉄の分割・民営化により,鉄道にかかわる職場を奪われたBらにとって,やむを得なかったということができる。このような事情に照らしてみれば,Bらは,本件訴え提起に至るまで,Aに対し,損害賠償請求等をすること又は時効中断措置を講ずることが著しく困難な状況に置かれていたとみることができる。そうだとすると,Aが本件不法行為に基づく損害賠償請求権等について消滅時効を援用することは,信義則に反し,権利の濫用に当たると解するのが相当である。