消えた29622    page

 

新潟市にある県立自然科学館に1両の蒸気機関車が保存されています。形式は9600。大正時代に製造され、国鉄在籍車数で770両を数える、貨物用の名機関車です。全国各地で息の長い活躍をしました。新潟でも、1972年の3月まで、有名な米坂線をはじめ、新津の入れ換えなどに使われていました。
自然科学館の説明には、こうかかれています。「(前略)...この二九六ニニ号は米坂線の無煙化後、47年4月北海道の深川機関区に移り49年12月には岩見沢機関区に再び移り、51年1月に廃車にされた。」

 

県立自然科学館の"29622"

2000.3.29  県立自然科学館に保存されている"29622"  Photo by Keiichiro Watanabe.  

 

1972年に米坂線が無煙化された後、坂町機関区の9600のうち、29622と69633の2両だけが生き延びて北海道へ渡って行きました。
29622は、1918年(大正7年)川崎造船所で製造され、1954年(昭和29年)から坂町機関区に配置されていました。米坂線が無煙化された後、1972年4月3日付けで、坂町から深川へ転属しています。おそらく留萌線や入れ換えに使われたのでしょう。さらに1975年12月13日付けで岩見沢第一機関区へ転属されました。幌内線の石炭列車を引く写真が当時の雑誌にのっていたので、最後まで本線業務についた幸運なカマでした。1976年に廃車になるまで、実に57年間も第一線で働き続けたのです。

 

米坂線現役時代の29622

1972.2  米坂線時代の29622 坂町付近    Photo by K.Watanabe.

ところで、県立自然科学館に保存されている機関車と私には、奇妙な因縁がありました。蒸気機関車が姿を消して間もない1976年の8月、私は初めての北海道旅行の途中で小樽築港へ立ち寄りました。名高い機関区を実際に自分の目で見たかったのと、海岸沿いに留置されている大量の蒸気機関車群を見るためでした。真夏の日差しが照りつける中、あまりの数の蒸気機関車が、荒れ果てた姿で放置されているのに呆然として、早々に立ち去ることにしました。そのとき偶然みつけたのが、ペンキで29622と書かれた機関車でした。米坂線の無煙化に間に合わなかった私ですが、29622のことは知っていました。しばし、感慨にふけったものです。

 

小樽築港に留置されていたころの"29622"

1976.8  北海道小樽築港に留置されていたころ   Photo by M.Watanabe.

 

因縁はまだ続きます。その年の秋、高校から帰宅するとき、どういう気まぐれか、いつもと違うコースをとって越後線関屋駅の前を通ったのです。私は、そこで自分の目を疑いました。1両の蒸気機関車がとまっていたのです。あわてて近づくと、テンダには29622と殴り書きがしてありました。北海道で見た29622が、新潟へ帰ってきたのです。急いでカメラを持って戻ってくると、もう半分シートをかけられていました。きっとどこかに保存されるのだろうと思いました。

 

関屋駅へ回送されてきた29622

1976.11 越後線関屋駅へ回送されてきた"29222"   Photo by M.Watanabe.

 


Page2へ続く


蒸気機関車館へ戻る