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春の陽光を浴びて、峠を駆け登ってきたD51412の牽く832レ
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1972.4.16 金塚 Photo by
K.Watanabe.
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D51421は、奥羽電化に伴い秋田から来た。同じ頃横手から新津に来たD51373が秋鉄等東北得意の2灯を元の大型1灯スタイルに戻したのに対し2灯のままで走っていた。同じ羽越でも新鉄局は前灯については保守的で酒田から新津まで古参のカマはすべて1灯である。特に新津区は最後の数ヶ月、運用による貸し借りの例外を除いて全て1灯であった。坂町、酒田は後期は新参者はそのまま2灯で走った。421は坂町唯一の2つ目。羽越電化による最後までよく使われていた。 |
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中条駅で小休止中のD51421
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1972.3.10 中条
Photo by K.Watanabe.
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その日の目的地に向かう途中でも、多くのD51を見かけることができた。この時も中条駅でのわずかな停車時間の間でもD51421を撮ることができた。米坂線の96を撮りに行く途中の車窓より。 |
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新発田に向けてD51421の牽く貨物列車2975レが新潟操車場を発車する。
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1972.4.29 新潟操車場 Photo by K.Watanabe
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新潟操車場は自宅からちょっと遠かったが、なんとか自転車でいける距離だった。構内にある東新潟機関区(DL、ELのみ)には転車台、駐機場があり常に数量のD51がたむろしていた。DD51、EF15はうんざりするほどゴロゴロしていたが、見向きもしなかった。 |
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羽越電化まで後わずか。新津に向かうD51421の牽く832レ。
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1972.9.1 新津-京ヶ瀬 Photo by K.Watanabe
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1972年も9月に入ると、EF81を先頭につけた電蒸運転が多くなってきた。列車が視界に入ってきて、先頭に蒸気機関車が見えるとほっとしたものである。
電蒸運転の列車はシャッターを押さないこともあった。今思えばもったいないことだ。 |
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この日、カマに火が入っていたのはD51421だけだった。
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1972.10.15 新津機関区 Photo by K.Watanabe
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羽越本線の電化開業の2週間後どうなっているか気になったのでに新津機関区を訪れた。さぞかし寂しくなっているだろうと思っていたが、機関区に近づくとまだ煙臭い。給水ポンプの音もかすかに聞こえる。まさかと思ったら給炭台脇にD51421がいた。ナンバープレートは外されていたが火が入っていた。もうファンは珍しくなったらしく機関区員のほうから「キャブに上るか?」の声。大喜びでキャブに上がり、豆炭を1くべさせてもらい、おまけに汽笛も吹かせてもらった。構内の入れ替えか、区のボイラ代わりか用途は不明だったが、まだカマが生きていたのには感激した。D51421が、新津機関区あるいは新潟地区で最後まで火の入っていたカマだったかも知れない。 |
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樋をつけて、砂箱から砂をだしていた。
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1972.10.15 新津機関区 Photo by K.Watanabe
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いつまで火が入っていたかは不明だが、この日は砂箱から樋をかけて砂をくみ出していたのでこのカマも終焉が近いことだけはよくわかった。帰りの電車から転車台上の421を見たのが羽越現役の最後の姿だったが、残念ながら写真はない。
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