新津機関区
1972.10.06 小樽築港へ転属。
1973 廃車 解体

D51443のサイドビュー。ピント、光線の具合とも改心の一枚。

1972.5.7     加治     Photo by K.Watanabe.

D51443は、最もよく出会ったカマのうちのひとつだった。庫に休んでいるのを見る回数よりも、列車を牽いて走ってくるのを見る方が多かったような気がする。汽笛が低音でいかにもD51らしいものだった。一時、人身事故に関与したという話からファンの間で気味悪がられたこともあったが、その汚名もすぐに払拭された。
調子がよかったせいか、1972年9月23日の無煙化記念の3重連の一両にも選ばれ、羽越電化後は仲間の多くが廃車されるなか北海道へ渡っていった。
 

坂町に到着するD51443の牽く 582レ。

1972.2.13    坂町     Photo by K.Watanabe

スノープラウをつけるとC56のような小さなカマでもそれなりの重みが出るが、D51ではなおさらである。冬季はスノープラウの装いの上に火の粉止めも外されるので嬉しい季節でもあった。 

新津駅の跨線橋から庫に帰るD51443を撮影。

1972.4.21    新津     Photo by K.Watanabe

雪国のカマはキャブ両サイドに旋回窓が装備されたものが多い。上の写真は、数少ないキャブ両側が同時入ったアングルの一つ。暖地のワイパー装備のガラス面がきれいなカマも良いが、吹雪では役に立たないかも。 

坂町に停車中のD51443の貨物列車

1972.4.23    坂町     Photo by M.Watanabe

坂町駅のホームから。この当時は坂町は機関区、操車場と大賑わいだったが今は駅舎とホーム以外は何もない。栄枯盛衰の文字どおり。 

当時は原生林のようだった千歳線の上野幌旧線

1973.3.25    上野幌     Photo by K.Watanabe

羽越電化の半年後、蒸気機関車の撮影のために北海道に渡った。当時の千歳線は札幌への貨物の幹線でもあり、小樽築港など各地のカマが活躍していた。苗穂区の補機(C57,C58)も健在だった。ここで切りつめデフと2灯の北海道仕様に変身した443に再会を果たした。ところで、当時の千歳線苗穂ー北広島間は新線に置き換えられ、撮影地付近はベッドタウン化して跡形もない。当時は原生林の面影が色濃く残っていた。

 

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羽越本線のD51
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