新津機関区
1972.10.11 五稜郭へ転属。
1973.5.25 滝川へ転属。

新津に到着した3554レ D51611+D5175。春闘さなかのためかなり汚れている。

1972.422     新津駅     Photo by K.Watanabe.

D51611は古くから新津にいたカマだ。庫でも線路上でも良くお目にかかった。
この当時は春闘でカマに落書きがひどく、現在では信じられないようなありさまだった。カマは落書きで済んだが、客車はビラがびっしりと貼られたものもあり、後の掃除はどうしたのか心配な位だった。

ハサ掛けの向こうを行くD51611の牽く貨物列車。羽越最期の秋。

1972.9.23     坂町     Photo by K.Watanabe

越後平野の秋は稲のはさがけで彩られる。現在は火力乾燥がほとんどで、はさがけもはさ木も見られなくなった。米は自然乾燥がおいしいとは言われているが。 

極端な勾配区間がなかったせいか、重連はあまりみることがなかった。次位機がD51611。

1972.4.21     新津駅     Photo by K.Watanabe

羽越での重連は勾配や貨物量による本来の重連はあまりなかったと思う。ただし、回送を兼ねた重連は結構あり、日曜のみ重連などという有り難い列車もあった。回送といえども有火だし、それなりに力行するので迫力は十分だった。この重連は先頭車の番号が分からないが、ランボードに白線が無いのでおそらく酒田のカマであろう。 

風雪に耐え抜いてきたD51611のプレート

1972.10.2     新津機関区     Photo by K.Watanabe

D51611には、日立の大型の銘板が残っていた。また右下の表記は、昭和45年11月に土崎工場で全般検査をすませたことを示している。幸運にも全検の時期が遅かったことが、羽越電化後もこの機関車を生きのびさせることになった。
昭和45年3月時点でD51611は新津の配置であるから、新津のD51の検査がすべて長野で行われたわけでもないようだ。積空のプレートは盗られたようだ。

 

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羽越本線のD51
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