白山周辺と一番堀 その2

一番堀
白山神社と古町通りの間は、かって一番堀という堀でした。古くは白山堀と呼ばれ、信濃川に直接つながっていて、白山神社境内にあった蔵に米を運ぶ船の行き交う広い堀だったそうです。
旧県庁の脇を通って一番堀につながっているのが宮浦堀です。信濃川の水は揚水機で宮浦堀にとりこまれ、一番堀を通って西堀、東堀に流れていました。
下の地図は昭和29年のものですが、白山神社周辺のようすが、今とずいぶんちがう様子がわかります。
旧県庁の右側にあるのが、蔵所堀で、現在は国道116号線になっています。移転前の鏡淵小学校は、現在の下越婦人会館のあたりに建っていました。こんな所に野球場があったのかと驚く人も多いでしょう。白山公園の蓮池は、一番堀につながっていたのですね。参道の橋は飾りではなかったのです。

昭和29年(1954年)の地図

現在の地図と比べてみて下さい。

昭和36年(1961年)12月  新潟市白山公園前    Photo by Keiichirou Watanabe.

▲白山神社の参道から古町通りへ向けて一番堀にかかっていた、白山橋の上で撮った写真です。この時は、もう一番堀は幅がせまくなっていました。新潟大火の焼け跡の瓦礫の捨て場になっていたそうです。
白山神社の境内を望むと、今に比べて、松の木が非常に多いのがわかります。

昭和30年(1955年)春  新潟市白山公園より古町方面を望む    Photo by Keiichirou Watanabe.

▲白山公園から古町の方をむいて撮った写真です。公園のすぐ脇がもう堀でした。新潟大火前の一番堀の広々とした様子がわかります。現在の車道の幅が、堀の幅のほぼ匹敵するのではないでしょうか?
左隅が古町通りで、前の第四銀行古町支店(旧鍵三銀行本店)がみえます。正面は西山旅館です。
 
 

昭和30年(1955年)春  新潟市白山公園より古町方面を望む    Photo by Keiichirou Watanabe.

▲一つ上の写真より、やや信濃川よりをとった写真です。堀の向こうにある自転車屋さんは、営業こそしておりませんが、看板は現在でもうっすらと読みとれます。

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