早川堀と下町 その1

西堀と東堀を流れる水は、11番町と12番町の間の五菜堀に合流した後、本間堀を経て早川堀と艀川から信濃川へそそいでいました。
西堀から住吉町までの広小路を四番堀が流れていました。
内他門川は、四番堀が上大川前通10番町で左折した形で、住吉町から早川町にかけて流れていました。だいたい本間町と上大川前通10〜12番町の間です。今の第四銀行住吉町支店の前が堀だったわけです。
早川町1丁目と2丁目の間で堀は早川堀と、艀川に分岐していました。早川堀は赤坂町と西湊町通の間を通り、稲荷町と税関(現在の郷土資料館)の脇をぬけて信濃川へ流れていました。
早川堀は埋め立てられて道路になっていますが、並行するいくつかの通りと比べて明らかに広いので、そこに掘のあった跡を容易に想像することができます。郷土資料館の脇の堀は、早川堀のごく一部を復元したもです。
艀川は、早川堀と分岐した後、今の済生会病院、入舟小学校の前を通り、コミュニティセンターの先から右に折れて信濃川に通じていました。こちらも、付近の通りに比べて広い通りになっているので、すぐにわかります。
早川堀や艀川は、他の堀と同様に重要な運送手段でもありました。大根などの野菜を積んだ船が通るのをよく見かけたそうです。特に艀川は、信濃川口近くの工場で使う原料や燃料(北陸ガス:石炭、北越製紙:藁、低級パルプ)を運ぶのにも使われていました。

 

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昭和29年(1954年)の新潟市内地図より

 

私の父が子供のころは、早川堀もかなりの水量があり、水深もだいぶあったということです。小学校に上がる前には、船に乗って揺らして遊んでいるうち、大きく傾いたひょうしに水におちてしまい、危うくおぼれるところだったそうです。
てっきり、早川堀も堀端に柳と桜があって、静かに水が流れるといったイメージをもっていたのですが、下水道もない頃なので生活廃水が直接流れ込み、末期にはゴミが投げ捨てられるといった案配で、悪臭と蚊や蠅の発生源になっていたそうです。
下の写真は、赤坂町二丁目付近から上の方(古町方向)に向かって撮したものです。ご覧のように、水位が下がりヘドロがたまっているようすがわかります。

 

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早川堀を上手に向かって望む

   昭和32年 (1957年)     新潟市赤坂町2丁目付近    Photo by Keiichirou Watanabe.

 

それでも堀は、自動車の普及していないときの運送手段であり、子供たちの遊び場でもあり、何より土地の人たちには先祖代々みなれた風景だったと思います。
西堀のような華やかさはなかったにしろ、写真でわかるように、早川堀はかなり大きな堀でした。

 

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これがなければ暮らしていけませんでした。

昭和32年  (1957年)   新潟市赤坂町2丁目付近  Photo by Keiichirou Watanabe.

 

さて、上の写真の船はなんだかおわかりですか? 最初、この写真のネガを見たときに、あわてものの私は「堀に屋形船が浮かんでいる写真」と思ってしまいました。
実は、これは肥やし船、現在のバキュームカーに相当するものです。昔は、ほとんどすべての家の便所が汲み取り式でした。したがって、定期的に屎尿を運び出さなければ、便壺から屎尿が溢れ出てしまいます。各家庭の便所から屎尿をあつめ、肥やし船で近郊の農家へ運搬、販売する専門の業者が居たそうです。
化学肥料が普及していなかった頃は、屎尿は重要な肥料でした。化学肥料が普及した後も、結構遅くまで屎尿は肥料に使われていたようです。たとえば、私が小学校低学年の頃(1960年代後半)まで、新潟市有明台にあったかぼちゃ畑の隅には本物の肥溜めがあったのを憶えています。汚いと言うなかれ。屎尿は畑の地力をおとさない有効な有機肥料になるのです。ただし、臭さは強烈です。
肥やし船は、中央縦にまっすぐのびている板が足場になっていて、そこから縁の方に屋根のようになっているのは蓋だそうです。船の中は、いくつかに仕切られていて、蓋を開けて屎尿をそそいだと言うことです。
上の写真で、中央やや上に左から梯子のようなものがのびていますが、これは堀の岸から船に屎尿を注ぐための樋です。父の話では、各家庭からくみ取った屎尿を肥桶にいれ、天秤棒の両脇にぶらさげて堀まで持っていったそうです。
さて、早川堀は子供の遊び場でもあったわけですが、元気のよい子供たちは、船に飛び乗ったりしてあそびます。調子にのりすぎて肥やし船の蓋を踏み抜いてしまうこともあったようです。父も経験者の一人だったようです。
余談ですが、当然西堀にも肥やし船がありました。日曜日に、信濃川から水を汲み上げて掘にながす白山のポンプが止まります。ポンプを止めると西堀の水位がさがります。魚釣りには絶好のチャンスなので、男の子が競って釣りをします。すこしでもよいポイントをとろうと肥やし船に飛び乗った子の中には...。
母は、悲惨なめにあった子供たちを、時々見たようです。

 

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