早川堀と下町  その2

このページは、たぶん西湊町通で火事があったときに写したものだということです。写真を撮った記憶はないが、西湊町通で火事があって、見にいったことは憶えているそうです。
もし、ここに写っている建物を知っている方がいたら、ご教示いただければ幸いです。

 

022 03消防士と野次馬.jpg (73418 バイト)

外套をきたお巡りさんが渋い。  

昭和30年(1955年)  新潟市西湊町通付近  Photo by Keiichirou Watanabe.

 

下の写真でわかるように、堀の水をポンプで汲み上げて消火に使ったようです。堀の水はこんな使われ方もしていたんですね。

 

022 04消防士と野次馬.jpg (88397 バイト)

船をこぐ男。この人も野次馬?  

昭和30年1955年()  新潟市西湊町通付近  Photo by Keiichirou Watanabe.

 

火事場に野次馬が集まるのは、今も昔も変わりありません。
父の記憶からすると、これらの写真に写っているのも早川堀の可能性が高いということになります。そうすると、前のページに比べるとまだ水の量がずいぶんあることかがわかります。

 

haya01.jpg (88952 バイト)

肥やし船の上にも野次馬が。  

昭和30年(1955年)  新潟市西湊町通付近  Photo by Keiichirou Watanabe.

 

やがて、バキュームカーが活躍するようになり、肥やし船はだんだんと姿を消していきました。
早川堀はゴミ捨て場と化し、生活廃水、工場廃水がほとんどそのまま流れ込み、ますます汚れて臭くなったそうです。堀の埋め立てが始まると、付近の住民からも埋め立てを求める声が上がったそうです。
早川堀も艀川も、ほぼ同じ時期に埋め立てられたそうです。

 

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