新潟地震の話 |
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特に新潟地震をしらない若い方たちへ |
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母の体験談 (続き) | |||||
古町をでて下(しも)の方をみたら、きのこ雲のような黒煙があがっているのがみえた。 柾谷小路を見た限りでは、そんなに被害があるようには感じられなかった。自宅へ帰るため柾谷小路のバス停で待ってみたが、いつまでたってもバスがこなかった。 そのうちに、万代橋が落ちたとかデマもきかれた。仕方がないのでタクシーに乗ろうと寺裏通りを歩いていたら、鍛冶小路の近くで知人にあい、おぶひもを借りることができた。 |
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タクシーがつかまらず、そのまま歩いた。東中通りは水が噴き出して、所々水たまりができていた。くつがびしょびしょになった。東中通りから(新潟)大学(医学部付属)病院の正門へまわり、そこから学校町へ向かった。病院の前では、看護婦や患者が大勢とびだしていた。 天神様の前から松波町へ行くと、松波町は全く地震の気配もなかった。被害らしいものもなかったようだ。 |
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ようやく自宅の近くへくると、斉藤酒屋は缶詰を買いにきた近所の主婦で黒山のようになっていた。有明線(現国道402号線)は、30pくらいの穴があちこちにあいていた。 家に戻ると先に帰っていた父が、部屋の後かたづけをしていた。 隣に住んでいた祖母(母の母)は、昼食後の地震にあい、火の後始末をしてから浦の松林に避難したそうだ。近所の鉄道官舎や帝石アパートの住人も逃げてきたらしい。帝石アパートは倒れるかと思ったほど、大きく揺れたそうで、1階が50pくらい沈んだそうだ。 |
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