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新潟地震の話

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特に新潟地震をしらない若い方たちへ

新潟市川岸町
積み木を倒したように横転してしまった県営アパート。

母の体験談  (続き)
地震のために電気、水道がストップした。当時は灯油のコンロだったので、煮炊きにはこまらなかったが、その日の夜はろうそくと懐中電灯ですごした。
水は市の給水車が回ってきた。その頃は、手押しポンプの井戸を持つ家もあったので、そこからもらい水もした。電気は三日目に復旧したが、水道が戻るにはずいぶん時間がかかった。わが家には電気ポンプの井戸があったので、電気がついた後は水には苦労しなかった。
今と違って、質素で人手に頼ることが多かったので、日常生活にはさほど不自由しなかった。

新潟市川岸町
程度の差はあるが、みな大きく傾いてしまった。

叔父の体験談  消防署に勤務し、実際に消火活動にあたった。
地震当日は、西大畑の本署の木造庁舎にいた。激しい揺れで入口の大柱が一部壊れた。表へ逃げ出すと、知事公舎の塀が今にも地面につきそうなほどに大きく揺れた。
署内はかなり混乱していたが、まず状況視察で被害状況の把握に務めた。望楼からも東の方で火災が発生しているのを確認した。

新潟市陸上競技場
液状化現象の跡。車が埋まってしまうほどのすごさだった。

自分の分隊の隊長が事務方の応援に取られてしまったので、非常召集で駆けつけた非番の人たちと混成で出動した。東新潟へ向かうことになった。
信濃川にかかる橋が大きな被害を受けたのがわかったので、車の通行可能な橋を探した。橋を探している最中に津波警報がでたので、その警戒にあたった。
ほんの数日前まで国体が行われていた陸上競技場は、救援のヘリポートとして使われた。
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