新潟地震の話 |
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特に新潟地震をしらない若い方たちへ |
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叔父の体験談 (続き) | |||||
万代橋が渡れるのを確認し、昭和石油のタンクの消火へ向かった。途中の道路はところどころアスファルトがめくれ上がっていた。鏡橋が車で通れなかったので、他門川の別の橋を渡った。 そのとき山の下へ向かった消防車は2〜3台だったと思う。最初に昭石のタンクの方へ行ったが、猛烈な火災だった。大きなガソリンタンクに引火しそうになったので、いったん退避して、桃山町の火災の消火へ向かった。 |
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桃山町は、昭石のタンクからもれた油が流れだし、それに火がついて火災になったのだ。桃山町も水があふれ、その上に油がういていた。火がついているのだが、昼間なので炎がよく見えない。それがどんどん流れてくるので、とても危なくて消防も一般の人も追いまくられていた。とにかく住民の避難誘導が最優先だった。 この時は消防車の運転士をしていたのだが、水はかなり深く、腰くらいまであった。道路がどこまでだかわからない。電柱の間を目印にして通った。いつ火が流れてくるかわからないので大変だった。 |
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指揮系統が混乱して、消防も右往左往していた。ある程度けりがつくまで帰れなかった。自宅のことを考える暇もなかった。 臨時で分隊の指揮をとった人がたまたま東新潟の人だったので、東の分隊と思われたらしく、西からやってきた他の隊よりも二日もよけいに現場にいた。 |
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