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長岡空襲
長岡市が空襲にあったのは8月1日だが、この日も快晴だった。
米沢高専からの連絡待ちで家に待機中だったが、あまり暑いので友人と栄小学校裏の浜に泳ぎに行った。
意外なことに、おびただしい人 −子供も大人も− が泳いでいた。
こんな時グラマンがやってきて機銃掃射でもやられたら、ひとたまりもないだろうに。人間案外のんきなものだ。
(...と、自分のことは棚にあげて日記に書いてある。)
その晩11時頃だったか、ラジオが長岡に敵機来襲と報じた。
屋根へ上がってみたら、西の空がかすかに明るかった。ときどきパッ、パッと閃光が見えた。
そのうちに新潟へもやってくるのではないかと心配したが、ねらわれたのは長岡だけだった。註1
註1 昭和20年8月1日午後10時30分、約50機のB29により長岡市は1時間40分にわたって焼夷弾攻撃を受け、市街地は火の海と化した。全市の8割を焼失し、1400人以上の犠牲者を出した。終戦のわずか2週間前のことだった。