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グラマン来襲
 
7月に入るとB29だけでなく、グラマン、シコルスキーなどの艦載機までが日本本土の上空を好き放題に飛び回るようになった。アメリカの艦隊がすぐそばまで迫ってきたのだ。太平洋岸の工場地帯では艦砲射撃まで受けた。
8月9日に、米沢工専から山形県の鶴岡の近くの山で松根油の製造に行けとの通知がきた。
松根油とは松や杉の根を蒸し焼きにすると少量のテルペン系の油がとれる。それをガソリンに混ぜて飛行機の燃料にしようというものだった。
もうそんなことをしたって間に合う状況ではないのに全くの気休めにすぎなかったのだが。
6日に広島に原爆が落とされ9日にはソビエトが参戦し、街中が騒然としてきた中、動員先の東洋合成を引き上げ鶴岡へ行く準備をあたふたとしていた。
その矢先の10日、艦載機が大挙して新潟を襲った。
その日の朝10時頃、空襲警報が発令された。ちょうど自宅にいたが、爆音が聞こえるので外に出てみると南西の空に黒ずんだグラマン機が編隊を組んで飛んでいた。
と見る間に一斉に円を描くように展開したかと思うと、一機がこちらに向かって急降下し、頭上にきたときパンパンパンという乾いた音とともに翼の両側からオレンジ色の火の玉が飛び出した。信濃川べりにあった島本鉄工という工場を狙ったのだ。
機体はもちろん飛行眼鏡をかけたパイロットの姿も見えた。そのときは怖いというよりこれはすごいという感じだった。
ところが次の瞬間、ドカンという大音響とともに南の方角に土煙が上がった。100メートルくらいの高さのような気がしたが、黒ずんだ中にオレンジ入りの火の玉が混じっていた。
後で現場へ行ってみたらそれほどひどい被害でもなかったのだが、そのときは肝をつぶして家の前の道路に掘った”防空壕”に飛び込んだ。
しばらくは爆音が続き時々ドカンという爆発音が聞こえたが、小さくなってじっとしていた。空襲は30分くらい続いただろうか。
この日貨物船数隻がやられ、あちこちの工場でかなりの死傷者がでたらしい。