まるこのひとりリゾッチャ体験記


4月15日


4月16日(日)
 7時30分起床。びっくりするくらい、ぐっすりと眠れた。カーテンを開けると外は海。しかし空は完全に曇っている。今日こそは晴れてくれると思ったのに、がっかりだ。Tシャツに短パン姿のまま、窓を開けてテラスに出てみると、すごく風が強い。一体何なんだ、この寒さは! ここはいったいどこ? 沖縄じゃないの? やしの木がなければ、まるで冬の荒れ狂う日本海を見てるようだった。「ううっ、さぶっ!」とつぶやいて、あわてて部屋の中に戻る。こんな天気で“はての浜”へのシュノーケルツアーは決行されるのだろうか。

 とりあえず、9時25分の集合に間に合うように朝食を取り、支度だけはしておくことにした。しかし、レストランでゴハンを食べながらも、部屋に戻って支度をしながらも、私は“はての浜”に行くことをずーっと迷っていた。テレビでは、この地方の気温は平年より5℃ほど低い20℃、強風と高波の注意報が出ていると言っている。そんな簡単に「平年より5℃ほど低い」なんて言わないで欲しい。はるばる飛行機に乗り継いで日本の果てにシュノーケリングをやりにやって来た私の身になって欲しい。言わせてもらうけど、こんな寒い日に海に入ったら風邪ひいちゃうよ。でも、こんな天気でも決行されれば、私が「やめます」と言ったところで、一旦払ったお金は戻ってこないだろうし。それに、今日行かなかったら、もう一生“はての浜”を見ることはないかもしれないし。いっそのこと、ツアーが中止になってくれればいいのに。そしたら諦めもつくし、お金も戻ってくるだろうし…。
 うだうだと考えていたら、9時25分になってしまった。「でも、せっかくここまで、このために来たんだから」と、覚悟を決めて私は行くことにする。

 ロビーに降りると、もうお迎えのスタッフの人が来ていた。茶髪でロン毛で、真っ黒に日焼けしててハスキーな声の、森田剛に似た少年だった。港までの送迎をする小さなワゴン車には、もうひとりのスタッフの男性と、別のホテルから来た2人組のおじさんが乗っていた。このホテルからは私だけのようだし、もしかして、これって客3人だけのツアーなのかい? それはちょっと面白過ぎやしないかい? その上、そのおじさんたちは3時までのツアーを、お昼で切り上げて先に帰るとか言っている。そしたら、私が全長7qの砂浜だけの無人島“はての浜”をひとり占めってこと? 面白い! 面白過ぎる! や〜、迷ったけど来てよかったなぁ、としみじみ。
 しかし、甘かった。“はての浜”行きの船に乗り込むために港に集結したのは、私とおじさん以外に5名。結局、客8名とスタッフ2名のツアーとなった。それでも、“はての浜”にはオンシーズンでは1日で200人くらいの人が押しかけるのだそうだ。そんなんじゃ、写真で見て憧れていた、何もない無人島のイメージもあったもんじゃないだろう。
 船に乗り込んだところで、2人組のおじさんが私に話し掛けてきた。スタッフの森田剛似の少年を指差して「あのコ、男だと思う? 女だと思う?」って。「え? 男のコですよね?」と私が答えると、ひとりのおじさんは「そら見ろ〜」と得意満面になる。もうひとりのおじさんは「ありゃ〜、女のコだとばっかり思ってたよ」と感心しきり。まゆ毛は細いし、ロン毛でピアスまでしてるけど、最近の男のコのスタイルじゃん。私は「そりゃ失礼ですよ〜」と言って笑ってやった。

 港から10分ほど船に乗り“はての浜”に到着。時刻は10時くらい。雲は厚いが、少しだけ薄日が差してきた。でも北風が強いので、やっぱり海に入るのは自殺行為に等しいだろう。楽しみにしていたシュノーケリングは断念し、ひたすら浜辺を散歩することにした。“はての浜”は本当に何もないところだ。ただ白い砂浜が続いているだけで、木も草も生えていない。ひとりで海を見ていると、本当に世界の果てに取り残されたような気持ちになってくる。そして、今、私がここに居ることを知っている人はほとんど居ない。動物占いの“狼”の私は、こんな瞬間がゾクゾクするほど好きだったりする。
 友だちを作りに来たわけでもないので、自分から他のツアー客に声をかけるなんてこともせず、かと言って声をかけられることもなく、1人でひたすらに浜辺に落ちているキレイな貝殻やサンゴのかけらを拾い集めていた。拾った巻貝をじっと見つめてしみじみと思う。なぜこんなに美しい形が自然に出来てくるのだろう。なぜ巻貝はみんな左巻きなんだろう。
 しかし、そんなこともやっていても、1時間もすれば飽きてきてしまう。やっぱりディカプリオの『ザ・ビーチ』は嘘っぱちだ。でも、他にすることもないので、まだ11時になったばかりだったが、あらかじめ配られていたお弁当をひとりでとっとと食べた。お弁当を食べ終わったところで、スタッフの森田剛似の少年が私に話しかけてきた。「食べ残したゴハンを海に投げると、魚が寄って来ますよ」と。「へ〜、じゃ、やってみようかな…」と答えたところで、私はあることに気がついた。彼には“おっぱい”があったのだ! ぶかぶかのTシャツを着ていたから、遠目ではよく分からなかったけど、確かに“おっぱい”だった。何と、少年は女性だったのだ! 失礼なのはおじさんではなく、私の方だった。本人に「森田剛に似てますね」なんてことを言っていなかったのが幸いだった。
 この驚愕の事実におじさんたちは気付いただろうか。とりあえず、自分の間違いだけは訂正しておかなければいけないという使命感に駆られた私だったが、おじさんたちはお昼ごはんも食べずに、さっさと先に帰ってしまったようだった。ま、いいか。たぶんもう2度と会うことはないだろうし、彼らが事実に気付いただろうが気付いてないだろうが、彼らにとっても、きっとこれは旅の思い出話のひとつになったさ。

 森田剛似の(少年・改め)おねーさんに言われたとおり、私はひざまで海に入り、残ったお弁当のゴハンを少しずつ海に投げた。すると、たちまちキレイな水色の魚たちが集まってきて、私のまわりは魚だらけ! おもしろーい! 海の中は外気よりずっとあたたかい。海の中に入りたい。シュノーケリングがやりたい。でも、出た時の寒さを考えるとやっぱり出来ない。つまんない。
 お弁当を食べ終わり、魚としばし戯れたあとは、またやることがなくなった。まだここに着いて2時間しか経っていないし、帰りの船が出るまで、まだ3時間もある。やりたいことは全部やりつくしたし、これから私は一体何をしたらいいのだろう。仕方ないので、ボーっと海を見ていた。しかし、午後になるとほとんど晴れ間は見えなくなり、北風が強くなって、ますます寒くなってくる。水着の上にTシャツを着て、その上にGジャンを羽織っていてもまだ寒いので、バスタオルにくるまった。これじゃ、まるで寒中我慢大会みたいだ。午後1時、私はとうとうリタイアしてしまった。海を見ることも放棄し、防寒用のテントの中に逃げ込んだ。
 せっかくここまで来たけど、天候ばかりは運だから仕方ない。7〜8月のオンシーズンに来たって、台風に遭ってしまう人だって居るんだもん。「でも、まだ今日はいい方ですよ」と森田剛似のおねーさんは言った。ここも昨日まではずっと雨が降っていたそうだ。何でも、今年は異常気象と呼べるほど、沖縄は雨が多いらしい。長い間憧れ続けてきた“はての浜”も、異常気象のおかげで満喫することは出来なかった。でも、いい。とりあえず気は済んだ。憧れてるだけで、一生見ることが出来ないよりはずっといい。
 結局、最後にはツアー客全員がテントに逃げ込むはめとなってしまったので、帰りの船は予定より早く出発した。

 港に着くと、他のホテルから来た5人は別便のワゴンでホテルまで帰った。朝、私と一緒に乗ってきたおじさんたちはもう居ないので、私はひとりきりでスタッフのおにーさんと(しつこいようだが、森田剛似の)おねーさんに送ってもらえることになった。おねーさんが私に「もし時間があったら、少し島の観光をして行きませんか?」と聞いてくれた。このワゴンで、私をホテルに送る途中、島の名所に立ち寄ってくれると言うのだ。観光タクシーで回れば3時間で1万円もかかるというのに、それをタダで見られるなんて、こんなラッキーなことはないじゃない。私は元気よく「はいっ!」と答えた。ひとり旅の思わぬ儲けものだった。
 途中で立ち寄ってくれた島の名所は3ヶ所。おねーさんは名所めぐりのツアーガイドのように、そこについて詳しく私に説明してくれた。でも所詮、小さな島にやってきた観光客のために、無理矢理“観光名所”にこじつけてしまったようなところで、別にどうってことはない。それより、私はワゴンの窓から見える島の人たちの日常生活の景色を楽しんだ。独特の建築である民家や、一面のさとうきび畑を見ている方がずっと楽しい。30分くらいの短いドライブだったが、私は思いきり満喫出来た。

 ホテルに着いたのは15時30分だった。お腹がすいていたのですぐにでもゴハンが食べたかったが、夕食は18時からである。仕方がないので、私は部屋で旅行の計画を練りなおすことにした。最終日となる4日目まで、のんびりビーチで過ごす計画を立てていたのだが、まともに海にも入れないような気温ではそれもつまらない。天気が悪ければ観光タクシーを頼んで島の観光でもしようと思ったが、それも今日のおにーさんとおねーさんのおかげで気が済んだ。最終日のあさってなんて、チェックアウトの11時にホテルを追い出されたら、予約した16時の久米島発の飛行機に乗るまで私は何をすればいいのだろうか。
 ガイドブックを見ながら、私は久米島を予定より早く脱出する決心をした。何もない静かなところに来たかったのに、すでにたまらなく退屈になってきてしまったのだ。とは言っても、明日まではここのホテルが予約してあるので、久米島を離れることは難しい。だから私は、あさって16時に予約してあった久米島発の飛行機を朝一番の飛行機に変更し、17時55分那覇発名古屋行きの飛行機の時間まで、那覇の街に出て買い物をして遊ぶことにした。『ザ・ビーチ』では“楽園”に住む誰もが、街に買い物に行くことを嫌がっていたけど、やっぱりそれは嘘っぽい。何もない退屈なところで、私はたまらなく“都会”が恋しくなってしまったのだから。

 私は早速ツアーデスクに電話をして、飛行機の変更が出来ないかを聞いてみた。すると、何とそれは一切出来ないというのだ。ツアーデスクのおねーさんに「もしどうしても変更したいのなら、ここではなく航空会社に電話して航空券を別に買って下さい」と言われた。私はJALストーリーのフリープランでこの旅行をしてるんだゾ。別にいいじゃん、同じJALで飛行機が空いてるんだったら変えてくれたって。全く融通がきかないったらない。立腹しながら電話を切った私は、考え込んでしまった。久米島から那覇までの運賃は9800円。たった30分のフライトで9800円。これを払って那覇の街で8時間を過ごすか、16時までめいっぱい久米島で過ごすか。考えて考えて考えた結果、私は9800円を払って航空券を買うことにした。ここまで来たんだもの。やりたいと思ったことは、全部やっておくべきだ。
 私はJALの予約センターに電話をして、全くの個人の申し込みとして久米島から那覇まで、8時55分発の朝一番の飛行機を予約した。幸いにも朝一番の飛行機には特割が適用され、6800円で購入出来るらしい。この際だから、少しでも安くなればすごく嬉しい。予約センターのおねーさんは丁寧に「片道でよろしかったですか?」と聞いてくれた。往復なんて買ったら、また久米島に戻って来ちゃうじゃない。

 そんなことをしているうちに18時になった。お腹が空いて仕方なかった私は、早速レストランへと駆け込んだ。そんなに晩ゴハンを心待ちにしていたのは私くらいしか居なかったのか、レストランに着くと客は私ひとりだけだった。今日のメニューは和食だったので、中ジョッキのビールを頼む。和食といっても、どこかちょっと違う。出て来たお刺身は、見たこともない魚だった。これ、昼間に“はての浜”で私のまわりに集まってきた水色の熱帯魚だったら、ちょっとヤダな。でも、もったいないので全部食べた。変わった味だった。
 ホテルのレストランらしく、ビールは1杯800円。ぼったくりである。でも、冷えててめちゃ美味しかった。普段なら2杯くらいは軽くいってしまうのだが、高いので2杯も飲めない。外は少し晴れて来ていて、海に沈んで行く夕日が見える。サンセットを見ながら1杯のビールをちびちびと飲み、1時間かけてゆっくりとゴハンを食べた。しかし、レストランを出た19時までの間、とうとう私以外の客はひとりも来なかった。そう言えば、ロビーでも廊下でもエレベーターでも宿泊客の姿は見ない。ここのホテル、私以外の客って泊まっているのか? もしかして、本日の宿泊客は私ひとり? まさかね。でも、客の数より従業員の数の方が多いということは充分に考えられる。一生かけても、こんなリゾートホテルは滅多に経験出来るものではない。ちょっと得した気がする。でも、本当は損しているのかもしれない。

 今日は少し疲れたようだ。ビールも効いてきて、部屋に帰るとすぐに睡魔が襲ってくる。あさっては那覇で遊ぶことにしたけれど、明日は1日久米島だ。ここで1日何をしようかな。とりあえず、天気と相談してからだな。そんなことを考えながら、明日の計画は何も立てないまま眠った。
 

つづく…予定でしたが、挫折しました。
ゴメンナサイ


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