沖縄ミレニアム旅行記5



1月1日 (金) 曇り時々雨

朝6時、まだ暗い中、「初日の出ミニツアー」に出発。目的地は島の東岸、アイヤル浜です。昨日は港まで舗装道路が続いていたので、星の光をたよりに歩きましたが、さすがにアイヤル浜への道は懐中電灯なしでは歩けない。昨夜と同じようにホタルが幻想的に舞い飛ぶ中、みんなでおしゃべりしながら歩きます。
一緒に泊まっていた外人さんたちがキャンプで使っていたシートを持参してきていたので、みんなでそれを砂浜に広げ、そこにすわって日の出を待ちました。やがて、空がだんだん明るくなってきて、東の空が薄紅に染まってきたかと思うと、ぱーっと明るい光がさしてきました。初日の出、きれいでした。昨日の西桟橋のリベンジ達成です。

初日の出!


朝は、おばさん特製の薬草酒で乾杯。デザートにパッションフルーツと沖縄の伝統菓子「ナントゥ」が出ました。部屋じゅうにパッションフルーツのよい香りがただよいます。「ナントゥ」はもち米の粉に味噌やピイヤーシなどを混ぜ、上にピーナツを飾りつけて蒸したもの。本来は旧正月のお菓子なのだそうです。

カラス パッションフルーツは今がシーズン。昇助おじさんが島のあちこちで、食べ頃になったやつを収穫して来ます。どんなにいい色になっていても、つるに付いているやつはまだ酸っぱいので、熟して自然に落ちたやつを拾ってくるのがいいのだそうです。しかしこれには、カラスという強力なライバルがいて、争奪戦も熾烈らしい。
わたしも島を散歩中に、二度ほど道の真ん中に落ちているのを見つけましたが、真ん中に丸く穴が空いていて、中身はきれいに食べられていました。

どこの土地でもカラスというやつは態度がでかいものですが、竹富島のカラスも例外ではなく、パパイヤやパッションフルーツなどをたらふく食べているのか、じつにいい色つやをしています。観光客がビーチにうっかりバックなどを置いてその場を離れると、すかさずやってきて中身をぶちまけてしまうこともあるそうです。それに、装身具などをどこかに落とした場合、見つけたのが島の人なら確実に戻ってくる。戻って来ない場合は不運にしてカラスに先に見つけられた場合だ、なんて噂もあります。

朝食後、居間で箱根駅伝の中継をBGMに、年末に書ききれなかった分の年賀状を書きました。高那旅館のそばの郵便局に、散歩がてら年賀状を出しに行ったら、帰り道で雨に降られました。でも雲の切れ間からは日がさしている、いわゆる「太陽雨(てぃーだあみ)」でした。

お昼は「かりゆしおきなわ」で船員さんにもらったジミーのパン。美智江おばさんがコーヒーをサービスしてくれました。そのあと少し三線のけいこ。ちょっと練習不足だったので、かなり歌詞を忘れています。

あとでおじさん・おばさんに「声をもっと出さなきゃ」と言われました。
「三線も遠慮いらないから、どんどん音出して弾いたらいいさー」
おじさんいわく「鷲の鳥はもっとゆったりと唄わなきゃ」
「でも息が続かない〜」
「それはもっとちゃんと声を出さないからだよー」

都会生活の悲しさ、自宅で多少は近所に配慮しつつ弾いているものだから、知らず知らずのうちにこじんまりした演奏になってしまっているのを一発で見抜かれてしまいました。さすが。お言葉に甘えて、それからは遠慮なくがんがん弾かせてもらうことにします。

その後、デジカメの画像を整理していたら、そのまま眠くなってお昼寝。
夢うつつの状態からだんだん覚醒状態に浮上してきたわたしの耳に、心地よい三線のメロディが入ってきました。ああ、これなんだよ、沖縄の離島でのお昼寝の醍醐味は……極楽極楽。
メロディは八重山版「てぃんさぐの花」とも言うべき「デンサー節」でした。
年末に見た映画「ナビィの恋」をほうふつとさせる展開だったのですが、残念ながらわたしのほうはおじいの生演奏ではなく、昇助おじさんが見ていたテレビの音でした。 (^_^;)

起きて居間に行ってみたら、民謡歌手の紅白歌合戦をやっていました。
大工哲弘、宮良康正、ティンク・ティンク、新生ネーネーズ、ニーニーズ、前川守賢、フェーレー、饒辺愛子……もう出るわでるわ。よくて年に1〜2度、東京でのライブで接することができるくらい、あるいはCDでその歌を聴けるだけ、それどころか噂でしか聞いたことのないような沖縄民謡界の有名人が、テレビで一同に会してそのノドを競っている……NHKには申し訳ないけど、年末の「紅白」よりもこっちのほうが断然面白い。わたしは居間に腰を落ち着け、本格的な鑑賞態勢に入りました。
しばらくすると、今日の泊まり客がやってきました。関西からきた、わたしと同じような女性ひとり旅のS子さん。
美智江おばさんが、わたしとS子さんの両方にコーヒーを出してくれました。お茶請けはもちろん、手作りサーターアンダギー。

話題がおばさんの踊りのことになりました。実は美智江おばさんは知る人ぞ知る男踊りの名手で、昨年ようやく後継者をみつけて、2ヶ月もかかって踊りを伝授したとか。
「これで引退できるさ〜」
とおばさんは高らかに笑いました。

おばさんの話によれば、竹富の踊りはもともと人に見せるものというよりは神様に見せる踊りだったから、形の美しさというよりは、いかにリアリティのある動きをするかということが大切なのだそうです。

たとえば農作業のありさまをかたどって豊作を祈る「まみどーま」(メロディはこちらでは、鎌やへらを持つ構え、稲束や草を握る手のひねりなど、ちゃんと実際に草が刈れるように、稲が刈れるように動かさなくちゃいけないのだ、と身振り手振りを交えて説明してくれます。
わたしたちは実際にちゃんと作業してるから身体がそういうふうに動くけどね、とおばさんは言いました。おばさんから見ると、その動きの意味を理解せず、ただ形だけをなぞった踊りは、てんでなっちゃいない、ということのようです。

夜、おじさんの話す「A観光vs海上保安庁」とか「A観光vsH観光」の「実録・仁義なき戦い」がめちゃくちゃ面白かった。その内容は……とてもここには書けません。(^_^;)

松竹荘の夕ご飯

松竹荘の元旦ディナー。お頭つきのグルクン唐揚げ、トンボマグロのお刺身、モズクの酢の物、中身汁……
わたしはいまだかつて、松竹荘ではオカズを残したことはありません。食べ残すなんてそんなモッタイナイこと……
元旦だからお赤飯、というわけではなくて、松竹荘では毎日、赤米を混ぜて炊いたご飯なのです。
デザート(お刺身の隣の皿)は紅芋&ミルク羹。赤い実はアセロラの実です。

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