1月3日 (日) 晴れ時々曇り
今日も朝からいい天気。「こんな正月は珍しいなぁ〜」と、昇助おじさんも言うくらい、この時期の八重山地方にしては好天続きだそうです。
竹富でゆっくりできるのも今日一日なので、丸八レンタサイクルで自転車を借りて、今まであまり行ったことのない場所を中心に、島のあちこちを回ってみることにしました。
まずンブフル丘の展望台にあがってみます。なごみの塔より見晴らしはいいのですが、集落の中心地でない、つまり赤瓦屋根があまり見えないためにマイナーな存在。でもなかなか気持ちがいいので、一度くらいは上がってみてもいいところです。
ンブフル丘からの眺め
次にめざしたのはカイジ浜、別名「星砂の浜」。ここにはたくさんの観光客が来ていて、一生懸命星砂を捜しています。今日は短パンはいてきたので、海の中をじゃぶじゃぶ歩きました。冷たくてとても気持ちがいい。きれいなタカラガイをゲット。
次に回ったのはコンドイ浜。ここでも浅くなった海の中を歩いて沖の砂州へ。出発前はもしかしたら初泳ぎができるかも……と思っていたのですが、さすがにこの水温じゃ無理。
コンドイ浜の近くには、「る山」という小さなお店があります。ここのお店には手作りのサンゴ(宝石の珊瑚のほう)製品が売られていて、お値段も安い。沖中夫妻にもらった「トゥンナ」にのっていたサンゴのブレスレットがステキだったので、姪への土産にしよう、と立ち寄ったのですが、気がついたら自分の分まで買っていました。
ヌヌシャー(布晒し)浜。浜の降り口の森の中に、かなり古くなった破船があります。
安里屋クヤマの墓。沖縄で一般的に見るお墓とは違い、石を四角い台状に積んだものでした。古い時代の形式のようです。
美崎御嶽。竹富島の北側。このあたりは海岸も岩場になっていて、ほかの場所とはかなり景観が違います。
美崎御嶽の近くで見かけた看板。
電話線は海底を通って石垣島へ……
美崎御嶽から宿に戻る途中で、突然真新しい道にぶつかりました。これが噂の「竹富島環状線」のようです。アスファルトを使わず、サンゴからできた白砂とコンクリートを混ぜて固めたという道は白く輝いています。これが完成したら、自動車の乗り入れは原則としてこの道までとし、その中まで入り込んでいるアスファルトの舗装もはがしてもとのサンゴの白砂道に戻し、みんなが安心して、ゆっくりと島の雰囲気を楽しみながら歩ける道にするのだということです。
竹富島ではほかにも 数年のうちには島の電線を地下に埋設して電柱を撤去する、という計画もあるそうです。
わたしとしては、竹富島の電柱は今時珍しい木の電柱なので、あれはあれでノスタルジックな雰囲気があって好きなんですけれど、台風のことなんかを考えれば、確かに地下に埋設したほうが安全面からも好ましいでしょう。
お昼は那覇で「かりゆしおきなわ」乗船前に買ったカップラーメンを片づけることにしました。台所でお湯をもらって居間で食べていたら、おばさんが朝食の残りごはんをサービスしてくれました。赤米を混ぜて炊いたごはんは、さめてもおいしいです。
午後、新年成人祝賀会が開かれました。若い人のほとんどが島を出ている離島では、こういったイベントは、みんなが集まりやすい年末年始とか、ゴールデンウィークなどに開かれることが多いそうです。今回も竹富出身の新成人は4人ですが、出席できたのは2人だけ。それでも、島の人たちがみんな集まって祝ってくれるなんて、実にうらやましい。
地域のコミュニティがしっかりと根づいているこういった島では、子どもは、その親だけが育てるものではありません。変な言い方だけど、「みんなで寄ってたかって育ててしまう」ようなところもあるから、親が少々出来の悪い親でも、忙しくて子どもをかまってやれなくても、子どもは結構マトモに育ってしまうものらしい。
子どもの側からすれば、自分が成長していく過程で出会ったさまざまな人たち……毎日顔を合わせる隣近所の人たち、祭の時に踊りや歌を教えてくれたおじさんおばさん、手紙を配達してくれる郵便局の人、病気や怪我でなにかとお世話になった診療所のお医者さん、そして学校の先生といったような人たちが、自分が大人の仲間入りしたことを認め、「おおきくなったね、立派になったねえ」と喜んでくれる……これこそが、成人式の「原点」なんだろうなぁ。
自分の「成人の日」を思い起こしてみると、朝早くから美容院に行って振り袖の着付けをしてもらい、写真館でさんざん順番待ちして記念写真をとってもらい、街に出て高校時代の同級生たちと待ち合わせ、喫茶店に行っておしゃべりしてただけ……しかも、そんな苦労をして撮った写真なのに、待ちくたびれたせいか慣れない着物のせいか顔がひきつっていて、出来上がった写真は「永遠の門外不出写真」になってしまいました。
式には出ていません。写真撮影の時間と重なってしまったこともあるけれど、そもそも最初からあまり出る気はありませんでした。実家のある名古屋市名東区には、わたしが高校生の時に引っ越してきました。だから、名東区主催の成人式に出ても、式辞をのべるであろう区長の顔も知らなければ区議会議員もひとりも知らない。それどころか、参列者の中にも、ひとりも顔見知りはいないのです。そんなところに出ていっても、退屈するのは目に見えてる。
最近の成人式がいろいろ問題になっていますが、そういう時だけ一度も会ったことのない「エライ人たち」の面白くもない挨拶を聞かされるわけだし、自分たちがその地域の人たちに祝ってもらっているという実感もないわけだし、新成人たちにとってはそこで会う友だちとのおしゃべりだけが楽しみ、となってしまうのも、仕方ないことなのかもしれません。
はじめ短パンTシャツ、ゴム草履姿で式場を覗いていたわたしは、やってきた昇助おじさんを見て驚きました。スーツにネクタイでびしっと決めているのです。しめているネクタイがさりげなく「ミンサー織」だったりするところなど、なかなか心憎い。それも当然、島の人たちにとっては、「ハレ」の場なのです。
なんとなく自分の服装にひけ目を感じてしまったわたしは、あわてて宿に戻って、いちばんマトモに見える服に着替えました(と言っても長いズボンに履き替え、地味な配色のTシャツに着替えて、靴下はいてスニーカーをはいてきただけだけど)。美智江おばさんもよそゆきの服に着替えてきました。
式はまず、公民館長、婦人会長、青年会長、老人会長などさまざまな人の挨拶で始まるのですが、その前にひとつ、大事なしきたりがありました。
袴姿もりりしい青年会長(左端)。
中央の和服の女性が婦人会長。
みんながいっせいに席を立ち、集落の中心部にある西塘御嶽のほうに向きます。そしていっせいに頭を下げ、柏手を打ちます。さながら授業の前に「起立、礼」と先生に一礼するように、島の人たちはなにか行事があって集まると、必ずこの「西塘さまに礼!」をするということです。
西塘さんは今から500年ほど前の人。波照間島出身で石垣島で勢力を持っていた首領、オヤケ・アカハチが琉球王国に対して反旗をひるがえした「オヤケ・アカハチの乱」に巻き込まれ、首里に連れて行かれてしまったのですが、非常に優秀な人だったらしく、その後王府に仕えてめざましい功績をあげ、その功績が認められて25年後、八重山の頭職(言ってみれば知事さんみたいなものか)に任じられて故郷に戻ってきました。
島に戻ってきた西塘さんは、 カイジ浜の近くに蔵元(当時の役場みたいなもの)を建てて、ここで政務をとりました。蔵元はのちに石垣島に移されましたが、竹富島の人たちは、かつて自分の島こそが政治・文化の中心地であったということを誇りにしています。その礎を築いた西塘さんは、島の人たちにとって尊敬すべき大先輩であり、神様なのです。だから、その屋敷跡に作られたという西塘さんの墓は、今では島の守り神「西塘御嶽」となっています。
昇助おじさんの話によれば、首里城の近くの園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)には、西塘さんの作った立派な石門があります。だから竹富島の人は用事があって那覇まで行くことがあれば、必ず園比屋武御嶽にお参りしてくるのだそうです。
公民館長さんは、以前NHKの番組でお見かけした時はただただ「面白いおじさん」という感じだったのですが、こうして挨拶する姿を見ていると、当たり前のことながら、あー、やっぱりエライ人なんだなぁと思いました。考えてみれば、島をひとつの村とすれば、村長さんにあたる大役なんだから、たんに面白いおじさんでつとまるはずはないんですよね。
老人会長さんの挨拶はすごかった。100パーセント竹富島方言なのです。島では毎年一回テードゥンムニー(竹富島方言)大会が開かれるほど、島の言葉を大切にしているそうです。正しい竹富島島民たるもの、テードゥンムニーで挨拶のひとつもできなければならない、ということらしい。美智江おばさんも、「ああ、わたしもやったことあるわよ〜」と後で言っていました。ともかく、島んちゅどころかウチナンチュでもないわたしたちには、ぜんっぜんわかりません。ところどころ漢語の部分だけがわかるそのわかり具合は、韓国大統領の演説を聴いているのと変わらない。「字幕スーパーが欲しいぞー」と思いました。
ひととおりみんなの挨拶が済むと、いよいよ「芸能の部」が始まりました。威勢のいい「太鼓囃子」を皮切りに、さまざまな踊りが披露されます。青年会長と婦人会長による「鷲ぬ鳥節」(島の子どもたちによる笛の演奏付)とか、新成人の振り袖を着たお嬢さんふたりによる「かぎやで風」(島の子どもたちはお祭のときに必ず一度は踊らされているから、ちょっとおさらいすれば、誰でも踊れるんだそうな)とか……
西塘御嶽の前で記念写真を撮っていた踊り手の人たち。
前列真ん中の女性の衣装は、琉球王国のお役人(男性)の礼装。
この画像じゃよくわからないと思うけど、とっでも美人!
でした、ハイ。
実は、いちばん傑作だったのは、新成人が中学生の時に担任をしたという男の先生の飛び入りの踊り。「クバの葉のユンタ」(メロディはこちら)という唄なのですが、クバの葉のそよぐ様子や、カエルや山羊の鳴く様子、ウグイスのさえずりをリアルに演じます。よく石垣島の白保出身のミュージシャン、新良幸人がライブでやって、わたしたちを笑わせてくれるのですが、この先生の踊りはそりゃもうおかしいのなんのって……会場も大爆笑。
最後に牛のマネをして「モーおしまい!」というオチまでついていました。
楽しかった会も終わりに近づき、「クイチャー」が始まります。会場の人たちがみな立ち上がり、軽快な前奏にのって大きな輪をつくると、踊りながら回り始めました。わたしが知っている「漲水のクイチャー」よりも踊りが複雑そうです。「最初は前の人のを見てマネすればいいのよ」と美智江おばさんは言っていましたが、踊っている人たちは、子どもの頃から何度となく踊っているせいか、実に上手です。「あなたも入りなさい」と誘ってくれるものの、その一糸乱れぬ踊りの輪の中には、とても入っていけるものではありません。竹富島の人たちは、働き者で団結心が強い、というイメージがあるけれど、その踊りを見ていると妙に納得できます。そのうちに曲が「六調」にかわり、踊りももっとくだけた「モーヤー」に変わりました。これは沖縄本島でいう「カチャーシー」にあたるものです。
踊る、踊る ちんだみ(調弦)中 先生も踊る みんなも踊る……
踊りが終わった後、みんなは帰り支度を始めました。あちこちで島の人たちが、お互いに新年の挨拶を交わしています。舞台裏では地方(じかた)の人たちが「弥勒節」をゆったりと演奏していました。