沖縄ミレニアム旅行記8



1月4日(日) 晴れ

竹富島で最後の朝ごはん。昨日は遅くまで話し込んでしまって、ちょっと迷惑かけたかなー。
車を呼んでもらって、港へ出ることにしました。おじさんもおばさんも、「きのうの三線よかったよー。今度来る時にはまたいろいろ覚えておいでねー」と言ってくれました。うむむ、今度行くときまでには、できたら、「しきた盆」(昇助おじさん言うところの「竹富島の君が代」。メロディはこちらくらい覚えておきたいなぁ。

船が石垣の離島桟橋に着くと、わたしは急いで公設市場へ。もちきびはシーズンオフでもうないよ、ということなので、赤米を買い込みます。常夏の国みたいな沖縄でも、確実にシーズンはあって、パイナップルの旬はやっぱり夏だし、ゴーヤーも夏のものです。だから「基本的にはうちの畑で取れるものが中心」という「松竹荘」の食卓には、生のゴーヤーを使ったお料理(おばさんの手作り「ゴーヤーのお漬物」は別)は、ゴールデンウィーク過ぎでないと出てきません。

離島桟橋に戻って空港までタクシーに乗りました。バックミラーに映った三線ケースを目ざとく見つけた運転手さんが、
「お客さん、古典? 民謡?」
とききました。
沖縄では、三線をやっていると言うと、まず間違いなくたずねられる質問です。
「古典です」
「なに流? 野村流? 安冨祖流?」
「野村流ですけど」
「古典って難しいでしょー?」
「難しいですよね〜」
などと話しているうちに、空港に着きました。

空港に入って驚きました。人がいっぱい。こんなにたくさんここに人がいるのを見たのは初めてです。なんとか搭乗手続きをすませ、ゴールデンウィークに食べておいしかった石垣島特産ソフトクリームを食べました。前回は時間がなくて、食べ終わらないうちに搭乗前検査のゲートをくぐるはめになりましたが、今度はちゃんと食べ終わってから手荷物チェックに入りました。

那覇空港に到着したのはお昼頃。三線ケースがコインロッカーに入らないので、手荷物預かり所で大きな荷物を預けてから、バスに乗って市内へ。パレット久茂地の前でバスを下りて、国際通りを歩きます。ひさびさの都会。リハビリにはちょうどいいかもしれない。
公設市場の食堂で昼食。味噌汁を頼みました。安くて栄養もあって、わたしの好きなメニューです。昼食後、バスで首里へ。竜潭池のほとりを歩いて、首里城へ向かいます。

守礼門の前では、発掘作業をやっていた。 守礼の門

首里城は前回来たときに見ているので、中には入らず、金城町の石畳道へと歩きます。
首里城周辺は観光客が多くて車の往来も激しく、けっこうにぎやかなのに、石畳道へと降りていくととたんに静かになります。特にはじめの数メートルは右手は石積みの壁、左は木立になっていて、木漏れ日と鳥の鳴き声がなんとも心地よい。やがて道は壁に突き当たって左に曲がっています。そこの角を曲がると、いろいろな写真で見慣れた、あの下り坂の石畳道が、はるか下までのびていました。

金城町の石畳

石畳の石はでこぼこしているし、坂もわりあい急なので、雨の日はちょっと怖そう。今日は晴れているし、わたしもしっかりスニーカーで足元を固めてきましたが、それでも下までおりきるとけっこう疲れました。

坂をおりはじめてすぐ、左に折れる小径がのびていて、この先に御嶽があるという表示があったので、ちょっと入ってみます。しばらく行くと、急にうっそうとした木立になりました。立派なアカギの木が数本立っています。
首里の丘は沖縄戦の時、米軍の攻撃目標になってすっかり焼け野原となったため、大木はほとんど残っていないそうなのですが、ここは崖の下になっていて、石畳の道と同様、運良く爆撃の死角に入って生き残ったということです。

こんなところに来るのはわたしひとりかと思ったら、意外な先客がいました。野球のユニフォームを着た中学生とおぼしき男の子たちの一団。奥のほうの崖をあがる石段に腰をおろしています。きょうはいい天気で、1月だというのに日の当たるところを歩いていると汗ぱむ陽気です。みんなで涼んでいたのかもしれません。

「おばさん、ここはたたりがあるよ〜」
「鬼がいたんだよ〜」

そうか、ここが鬼になった兄に妹が鉄入りの餅を食べさせて退治したという「鬼餅(ウニムーチー)」の伝説で有名な内金城御嶽(うちかなぐしくうたき)か。
確かにここのアカギの巨木にはなんだか霊気みたいなものが漂っていて、夜には絶対近づきたくない雰囲気です。
それにしてもキミたち、「おばさん」はないだろぉ?

「おばさーん!」
「おばさんと呼ばないの。ネーネーと呼びなさい」
「ネーネー!」

長居するとますますおちょくられそうな雰囲気だったので、わたしはウーマクワラバータ(腕白小僧ども)の一団に「じゃーね」と手を振って退散し、もとの石畳道に戻りました。

真ん中あたりまで来ると、坂の右側に一軒の赤瓦民家がありました。そばの石柱に「金城村屋(かなぐしくむらやー)」と刻まれています。どうやら無料休憩所として新しく建てられたもののようです。訪れる人を招き入れるように、大きく開けはなたれていて、座敷にはちゃぶ台やポット、お茶のセットなどが置かれています。これは上がりこまない手はありません。

金城村屋

さっそく靴を脱いで上がり込み、お茶をいれて縁側にすわり、柱にもたれて一服。
そよ風と鳥の声がここちよいし、坂道の途中なので眺めもいい。坂道を降りてきたほかの観光客も、ここでひと息入れていきます。ここで昼寝したら気持ちいいだろうな〜と思いましたが、残念ながらそんなに時間は残っていません。

しばらく休憩した後、坂の下までおりていき、しばらく歩いて「泡盛館」に行きました。お店の地下にいっぱい泡盛が並べられていて、店員さんが泡盛の試飲をさせてくれます。その日試飲させてもらったのは「山原くいな」というお酒で、普通のものと、何年か素焼きの甕で寝かせた「古酒(くーす)」をそれぞれストレートで、小さな杯にいただきました。口をつけてみると、同じ銘柄のものでも驚くほど口当たりが違います。店には大小さまざまな甕に入った古酒も並んでいました。一個購入して家に置いておきたい……ところですが、お金もスペースもありません。残念。
「泡盛館」を出てそろそろ国際通りに戻ろうか……と思いましたが、このあたりはあまりバスが通らないようなので、仕方なく首里城に続くメインストリートまで戻ってバスに乗りました。
サーター屋井
注意書き
途中で見つけた「サーター屋井(ガー) ここも拝所になっているらしい。

国際通りもこれで歩きおさめ。久茂地まで歩いてタクシーに乗り、空港に向かいます。
いつものことだけど、タクシーが明治橋を渡り始めると、「ああ、もう沖縄ともお別れだなー」と、気分がブルーになります。どうやらこれも、沖縄病患者の典型的症状らしい。思い当たる人、たぶんたくさんいるはず。

空港に着いて、おみやげの買い忘れがないか点検。実は、旅行に出る前、妹に「おいしいパイナップルでも送ってあげるわ」と、気軽に約束してきてしまったのですが、石垣島に着いてみたら、おみやげ用パイナップルの姿が見あたらないので、そこではじめて「そういえばパイナップルって夏のものだったよな」と気づいたお間抜け加減。もちろん売っていないことはないのですが、竹富島でも「今時のパインなんておいしくないよー」と言われてしまいました。

とは言っても、ほかに適当なものも思いつかないので、トロピカルフルーツの詰め合わせでも送ろうと空港売店をのぞいてみます。そういえばパッションフルーツが旬だったよな、と思って値段を見て驚きました。「1個600円」とあります。実は石垣島の空港でも見かけたのですが、2個一袋で700円とあったので、「えー高い」と思って買うのをやめたのです。ここに至ってパッションフルーツに対する認識の甘さを思い知らされました。竹富島じゃあカラスの餌だったのになぁ……
ちなみに、後日銀座のわしたショップに行ってみたら1個900円でした。ひええ。

結局、妹へのおみやげはパイナップルになってしまいました。実の色がかすかなピンク色を帯びた「ピーチパイン」というのが珍しくて、試食してみたらおいしかったので「いいやこれで」と決めてしまったのです。
後で妹から「おいしかったよ〜」と聞いてほっとしましたが。

そんなこんなしているうちに、日が暮れてきました。帰宅の時刻が近づいてきます。
昨年のゴールデンウィーク、この年末年始と、ハイシーズンに沖縄に来てしまったし、これからいろいろと物いりだから、たぶんもう今年は来られないだろうなぁ。

次はいつになるかわからないけど、また来るぞ〜、沖縄。

−END−

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