2001年沖縄の旅4(2001.6.21 - 25)



6月24日(日)晴れ

朝食後、わたしはハナおばさんに宿代を払い(もちろん働いた分はしっかり値引きしてもらって)、荷物をまとめ、朝一番の船で島を出ました。
まるまる一日民俗学者にとっては憧れの地とも言うべき久高島にいながら、結局島の重要スポットの半分も見ていません。それどころか聖地中の聖地であるクボー御嶽を見てこなかったのは、大学で宗教人類学を専攻したわたしとしては遺憾のきわみ、なのですが、とにかく暑くてしんどくて、その気になれなかったんです。これは「次の機会にしろ」という神様のお告げなのだと自分に都合よく解釈をしながら(カメラもぶっ壊れたことだし)、わたしは港の待合室へと歩きました。

12年に一度の神事、「イザイホー」は、もし行われるとすれば来年がその年にあたります。でも、前回の「イザイホー」は行われていません。この神事は島の女性が新たに「カミンチュ」の資格を得るためのものなのですが、該当者がいなかったためです。次回の該当者がいるかどうかはわかりませんが、いたとしても24年のブランクの後で神事を復活させるのはかなり難しいことだろうし、それまで島の歴史の中で連綿と続けられてきた、その形をそのまま再現するのはたぶん不可能なのではないかと思います。24年間で島の環境もずいぶん変わってしまったに違いないから。

たとえば、昨日わたしが見学に行った「海ぶどう養殖場」。久高島の畑は島民の共同所有で、一定の期間が過ぎると耕地の割り当てが変わるという話を聞いたことがあります。しかし「海ぶどう養殖場」を作るということは、特定の人が特定の場所をかなり長い間使って利益を上げるということ。これは島の歴史の中では今までなかった生産形態のはずだから、島民の総意とどう折り合いをつけたのかわかりませんが、島を押し包む新しい流れのひとつであることは間違いありません。島ではそのほかにアセロラの栽培も試みられているというし、「山村留学」もまた、今までのライフサイクルに行き詰まりを感じた島の新しい挑戦だと思います。


対岸は沖縄本島。
徳仁港

待合室の前には、軽トラックにいっぱい刈った草を積んだおじぃがいました。車の助手席には孫とおぼしき子どもを乗せています。しかしこのおじぃ、いかにも海人らしく体格も立派、赤銅色の肌に白のランニング、短く刈り込んだ白いひげがまるでヘミングウェイみたいでカッコいい。ヘミングウェイおじぃが「下の港まで荷物載せてってやるよ」と言ってくれたので、わたしは感謝して、軽トラックの荷台に積まれた草の上に荷物をのっけました。
軽トラックの後を追うようにしててくてくと坂を下っていくと、おじぃは荷物を船に載せてくれていました。礼を言ってわたしも船に乗り込みます。徳仁港を出た船はあっという間に安座真港に着きました。

さて、今日は「ちゃんぷるーML」のメンバーと合流して恩納村のペンションまで行くわけですが、待ち合わせはお昼だから、午前中の時間をどう使うか……
わたしがまず考えたのは「海水浴」。こんないい天気の沖縄で、まだ一度も海に入っていないなんて、そりゃあんまり……
安座真さんさんビーチはあまり遊泳区域が広くないし、管理のゆきとどいた人工ビーチの悲しさ、9:00のオープン時間まで入るわけにはいきません。暑い中をそれまで待っているのも面倒だ、といったん那覇まで戻ってしまうことにします。港から最寄のバス停までは歩いて10分。昨日同様朝から元気良く照りつける太陽の下ではかなりの難行。しばらく待って、ようやく冷房の効いたバスに乗り込めた時は心底ほっとしました。

那覇バスターミナルで三線ケースのおさまる大型コインロッカーを見つけたのでそこに荷物を放り込み、使い捨てカメラを買って、わたしは「波の上ビーチ」に行くことにしました。タクシーに乗って、「波の上ビーチ」と告げると、波の上宮の右側にあるビーチに連れていかれてしまいました。実はわたしが行きたかったのは、左側にできた新しいビーチなのですが……面倒なのでそこでタクシーを降り、泊大橋のたもとにあるビーチをめざしました。そのかいわいは那覇随一の歓楽街「辻」であり、道を歩いていてもあたりにたちこめるアヤシイ雰囲気(といっても午前中なのでそのアヤシさも半減していたが)は十分に感じ取れます。

波の上自動車学校の前を通り、ヘリオス酒蔵直営のパブ「バッカスの胃袋」やゴーヤーバーガーで有名な「ジェフ」の入ったエスパーナビルの下を抜け、ようやく「新・波の上ビーチ」に到着。こちらはまだできたばかりで更衣所やトイレもきれいだし、利用料金はコインシャワーのみ。さっそく着替えて、また日焼け止めをしっかり塗りこんで、海に突入〜!

新・波の上ビーチ
やっぱ、夏は海だよね〜。

さて、新・波の上ビーチ初体験の感想はというと……
こういう完全管理のビーチの常として、ロープで区切られた「遊泳区域」はあまり広くありません。そこにたくさんの客がくるわけだから、当然水は濁る。色はきれいなブルーなのだが、なんだか「濁り湯系ブルーの入浴剤」を入れた水につかっているような気分。ま、でもいいか、冷たくて気持ちいいんだから。

しばらくして海から上がったわたしは、缶ジュースの自動販売機でシークヮーサージュースを買って、浜に沿って階段状に設けられた木のベンチに腰を下ろして、ビニール袋に入れておいたPHSを取り出しました。電話をかけた相手は、今日恩納村まで車に乗せていってくれるという「ちゃんぷるーML」のリョウさん。
「あ、もしもし……今、波の上ビーチで泳いでます」

那覇の市街地からすぐそこのビーチだから、携帯じゃなくてもこういう芸当ができる。わたしは待ち合わせ場所等を再確認しました。

ジュースを飲み終わって、またひと泳ぎ。とりあえず「沖縄の海につかった」と自分を納得させて海から上がり、着替えてタクシーで再び那覇バスターミナルに戻りました。バスによるアクセスがあまりよくないのが、このビーチの難点です。

バスターミナルでほかの「ちゃんぷるーML」のメンバーも乗せたリョウさんの車にピックアップしてもらい、58号線を北上。途中、国道と平行して走る「パイプライン」沿線にある沖縄大衆食堂「奈々」でお昼を食べました。ここのおばぁはわたしの知り合いの義理のお母さんにあたり、旅行前に日程を伝えたら、日曜日なのにわざわざお店を開けて待っていてくれたうえ、「お代はいいから」とソーキそばからゴーヤーチャンプルーから足テビチから、食べきれないほど御馳走してくださいました。
おばぁ、ありがとね〜(ウチナーヤマトグチ風に)。ほんとうにごちそうさまでした。

奈々

沖縄の正しい大衆食堂「奈々」
ゴーヤー棚

涼しげなゴーヤー棚

浦添を抜けたところで、わたしたちは路傍の「アイスクリン」売りのねーねーから、沖縄名物「アイスクリン」を買いました。前々から噂には聞いていたし、見かけたこともあるけど、食べるのは初めて。ミルク味のシャーベットといった感じで、さっぱりしておいしい。ことに今日みたいに暑い日、のどがかわいている時に食べると最高。

途中で「安保の見える丘」によってから、車は目的地である瀬良垣ビーチのペンションに着きました。ペンション隣の庭では、すでに先発隊によってバーベキューがはじまっていました。わたしたちもさっそく合流し、ビールで乾杯。

長い夜が始まった……

このあとの宴については、あまり筋道だった報告はできません(笑)。
オリオンビールがおいしかった、安里さんの作ったホームメードゆし豆腐がおいしかった、さんごさん夫妻の持ってきた燻製器で作ったぐるくんの燻製がおいしかった、せんべえさんの「椅子踊り」が面白かった……
陽が落ちてからの、海から吹く風が気持ちよかった、ペンションから見る海の向こうの万座ビーチホテルの夜景がきれいだった……

ともかく、本当なら「夜の明きてぃ太陽の上がるまでぃん」楽しんでいたかったところなのですが、一日じゅうめいっぱい動いて疲れたのと、夜風に吹かれてゴミが目に入り、うっかりこすったせいかなんとなく目の調子が変……
ということで、中途リタイアして寝てしまいました。


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