多良間島・水納島旅行記2(1999.4.28 - 5.2)


DHC-6
4/28(水)晴れ時々曇り
 


家を出たわたしは、地下鉄東西線の始発に乗って、日本橋から都営浅草線へと乗り換え、大門で降りて浜松町のモノレール乗り場へ。7:25発の宮古行き直行便に乗るには、これでもぎりぎりの時間です。

今回の旅は、多良間島まではめいめいが自分で立てたスケジュールで動きます。ゴールデンウィーク開始の前日も休みが取れたわたしには、集合日の一日前に多良間入りし、「先乗り隊」として現地の様子を把握する任務が課せられています。先乗り隊のメンバーは、さらに一日前に多良間入りしているD介さん、わたし、わたしの後の便で来るKONISHIさん、そして宮古島から船で多良間入りするとよださんの4人。

宮古空港で乗り換える多良間便のDHC-6は、わたしにとっては初体験の飛行機。昔はじめて空港でその姿を見た時は、失礼ながら「なんだかセスナに毛が生えたような……」と思ってしまったほどかわいらしい機体ですから、ちょっとどきどき。

機内の様子 わたしの座席は右側の一番うしろ。バスの補助席のような簡素な席に腰掛け、ベルトを締めていると、整備士のおじさんが乗り込んできました。おじさんは、ジャンボ機のスチュワーデスさんがやっている、懇切丁寧な救命胴衣のつけかたに始まる緊急時の対処法説明に比べると、あまりにも簡潔明瞭なインストラクション(要は、座席の下に救命胴衣が収納されていることを説明していっただけ)をすますと、さっさと降りていきました。あ、あのー、それだけですか……?
 
 

 緊急時の対処について説明するおじさん。




一抹の不安をぬぐう間もなく、飛行機はテイクオフ。でも、飛び立ってみると、この飛行機、なかなか快適です。わりと低空を飛ぶので確かにスリルはあるけれど、下の景色がとてもよく見える。飛び立ったかと思うといきなり雲の上に出てしまうジャンボ機とは大違いです。

なぜかサン・テグジュペリの小説を思い出してしまった30分そこそこのフライトはあっという間に終わり、黄色っぽいサンゴ礁が見えてきたかと思うと、多良間の空港に着陸です。小さな空港ターミナルには、こんがりとすっかりいい色に焼き上がったD介さんが出迎えに来ていました。D介さんは役場で借りてきたという自転車に乗っていたので、わたしはひとり、空港と村落とを結んでいるマイクロバスに乗り込みました。

このマイクロバスを運転していたのは、実に味のあるおじさんでした。だいたい、バスにのりこんだらいきなり「ねーちゃんどこまで?」だもんな(笑)。わたしは「ちとせ旅館までお願いします」と言いました。他にも数人がバスに乗り込みましたが、どうやらこのおじさん、わたしを除いて全員の行き先をすでに把握しているようです。

バスの中 おじさんは、口笛吹いたり鼻歌歌ったりしながら、集落までの道のりをとーろとーろと走ります。本日のBGMは「十九の春」。自転車ならもちろん、一週間前に宮古島で行われたトライアスロン参加者なら、走ったって余裕で先に集落に到着できるでしょう。でも、こののんびりムードがまたなんともいい感じ。今朝早く羽田から宮古までの直行便に乗ってきたわたしは、これで一気に島時間にシフトしました。

 
 

バスの中。





多良間島はまずまずのお天気。ちょっと風強いです。というより、ここはいつも風強いんじゃないか、という気がします。なにしろ土地の起伏がほとんどない平らな島で、さえぎるものといったら、ところどころに植えられているフクギの防護林くらいですから。

空港から集落までの道は、島の中心部を通りますから、海は見えないし、ほんと空が広々として、まるで北海道。あたりに広がるサトウキビ畑が、ときどきトウモロコシ畑に見えてきたりして……

やがてバスは、多良間島の集落をぐるりと取り巻く防護林を通り抜け、集落に入りました。バスに乗り込んでいた島の人たちと、ひとことも聞き取れない多良間方言でやりとりしたりしながら、おじさんは次々と乗客を降ろしていき、最後にコンクリート二階建てのちょっと大きな家の前にバスをとめ、「はい、ここだよ」と言いました。看板もなにも出ていないけれど、そこがめざす宿、「ちとせ旅館」でした。

わたしの次に到着したのは、多良間海運の船に乗ってきたとよださん。とよださんはキャンパーなので、今晩のキャンプの設営場所をさがして、D介さんと3人、海岸の公園に向かいます。ちとせ旅館の横の道をちょっと歩くと、明日、水納島からの迎えの船が入港する前泊港。お、おい、なんか沖に白波が立ってるぞ。大丈夫かぁ。

多良間の海
 





 公園から見た多良間の海









今晩の寝場所を確保したとよださんとふたりで、八重山遠見台に向かいました。沖縄の島のあちこちにある、見張り台兼のろし台のひとつで、現在ではそのかたわらに、鉄筋コンクリート製の立派な展望台が建っていて、その上に登ると島全体が見渡せます。らせん階段をぐるぐるのぼったてっぺんは、やはりかなり風が強かったけど、眺めは最高でした。

その後遅れてやってきたKONISHIさんとも合流した、総勢4名の「先乗り隊」は、まず、明日の買い出しの下見に。
水納島での宿泊は、今は島を出ていらっしゃる人の留守宅を「コテージ」として使わせていただくことになります。電気・ガス・水道・炊事道具に寝具は完備していますが、滞在中の食料は、多良間島で購入して持ち込み、自分たちで料理しなければなりません。なにしろ総勢11名ですから、お買い物リストはこんなふうになりました。

米(5kg)、味噌(1袋)、塩(1袋)、醤油(1本)、油(1本)、胡椒(1本)、だしの素(1袋)、乾燥ワカメ、ポーク缶/ツナ缶(各10個)、卵(20個)、パン、マーガリン(1箱)、ジャム(1瓶)、インスタントラーメン(20食)、インスタントコーヒー(1瓶)、紅茶のティーパック(1箱)、クリープ(1瓶)、梅干(1袋)、焼き肉のタレ(2本)、海苔(1袋)、店で入手可能な生鮮食品(野菜、豚肉、豆腐など)、お茶、ジュース等をペットボトルで5〜6本、おつまみ、菓子、ゴミ袋(1パック)、サランラップ(1本)、アルミホイル(1本)、食器洗い用洗剤、ビール、泡盛

ひとりあたりの食費は、約3500円でした。

中央スーパー 多良間島の中心街には、役場、学校、郵便局、駐在所などが集まっており、そこに「Aコープ」と「中央スーパー」という島の二大ショッピングセンター(?)も向かい合って立っています。お互い、品揃えや開店時間など、微妙にずらして島民への便宜をはかっているようです。その他にも小さな店が数軒ありましたが、この2軒ですべて用が足りることも確認できました。



中央スーパー




食料問題が解決したので、その後は思い思いに集落を探検しました。
多良間島は、今までわたしが訪れた沖縄の離島の中でも、最も観光化が進んでいない島、という感じがしました。集落に立ち並ぶ家にも、伝統的な赤瓦の家はあまり見られません。宮古台風などの大型台風にやられた後、ほとんど鉄筋コンクリートの家に建て替えられた、という話です。でも、集落のあちこちに散在するウタキや、アマガーなどの井戸など、趣の深い風景がいくつも見られる、不思議な雰囲気の島です。

集落を歩いていて印象的なのは、この島の子どもたち。どこの離島でも、子どもたちは道で出会えばきちんと挨拶をしてくれるものですが、多良間島の子どもたちは、たとえばわたしがなにかの案内板を眺めたりしていて背中を向けていても、背後から「こんにちはー」と声をかけてきます。

村役場の近くに、多良間神社があります。多良間にいくつかあるウタキ(御嶽)と違って、この神社は、いわば郷土の偉人である土原豊見親(んたばるとゆみや)をまつるもので、1902年創建というごく新しいものです。ここに続く道を歩いていたら、途中で自転車に乗る練習をしている子どもと、そのお父さんに遭遇。ところが、わたしの目の前で、その子どもはあれよあれよという間に道をそれ、脇のサトウキビ畑に突っ込んでいってしまいました。

いきなり展開された「投稿ビデオ」さながらの情景に、どう対応していいものやら……
子どもがめげる様子もなくサトウキビ畑から出てきたので、とりあえず「こんにちは」と父子に挨拶し、多良間神社に参拝。帰り道でまた練習を再開していた父子に道をきいて、今度は「アマガー」を見に行きました。

アマガー周辺 アマガー
アマガー周辺 アマガー入口

アマガーは、昭和の初め頃まで立派に現役で活躍していたという、自然洞穴の中の泉です。白い石積みに囲まれたその中に、穴の入口が見えます。懐中電灯があれば中に入れないことはなかったのですが、周辺は草ぼうぼうなので、短パン姿のわたしは中に入るのは遠慮しました。だって、足がかゆくなりそうなんだもの。

もう少し規模の大きな洞窟、シューガーガー(塩川井戸)のほうは、ちょっとのぞいてみました。こちらは洞窟がふたつあって、左は牛さん用、右は人間の水浴び用と飲料用。ここも白い石積みでぐるっと囲まれており、昔から今にいたるまで、島の人たちに大切に守られてきた様子がよくわかります。

さて、明日はいよいよ水納島上陸。D介さんが「村役場で宮国さんにばったり会った」と言いました。
「明日迎えに来っから〜」と言って帰っていったよ、とのこと。
きょうのあの白波も、宮国さんにとってはなんてことないらしい。なるほど。
 

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