多良間島・水納島旅行記3(1999.4.28 - 5.2)


港の立て札
4/29(木)晴れ


  翌朝、風は前日よりおさまった様子。ホッ、よかった。


 
 

前泊港の立て札





本日到着組も、無事に集合場所のちとせ旅館にたどりつき、みんなで前泊港へ。やがて宮国さんの船、しらはま(4.9t)が到着しました。みんなの荷物を船室に積み込んだ後、宮国さん所有の車(多良間島に置いてある)を出してもらって、スーパーで買い出し。
しらはま お買い物1
前泊港に停泊した「しらはま」 ただいま買い出し中
お買い物2 Aコープ
こんなもん買いました スーパー「Aコープ」と宮国さんの車

お買い物もすませて、午後2時出港。港の防波堤を通過したとたん、船はダイナミックに揺れ始めました。今までわたしが経験した大揺れ、と言えば、波照間島〜石垣島の「あんえい号」です。十数トンある高速船あんえい号の場合、船は波から波へ飛び移っていくような感じになりますが(乗ってる人間にとっては、下からガンガン突き上げてくるような揺れになる)、4.9トンの「しらはま」の場合、小山のような波を乗り越えていくことになるので、どうなるかというと……

わたしたちは船の後部に、うしろを向いたかっこうで乗っていましたが、前方の様子をうかがっていただれかが「波が来るぞー」と言いました。そのとたん船の前部がぐぐーっともちあがり、波頭を越したとたんこんどは頭から急降下。最後に船尾に波が当たって「ドーン」と衝撃が来ます。わたしの頭をちらりとかすめたのは、TVなどでよく見る「ロデオ」の情景でした。

昨日よりは穏やかとはいえ、風はけっこうあるし、石西礁湖(せきせいしょうこ)のおかげで荒波の立たない石垣島南部の海と違って、多良間島と水納島の間は、ほとんど外海と変わらない環境なので、こんなことは珍しくないらしい。ここに来る前宮古島でダイビングしてきたうちはたさんは、「この間ダイビングに出た時は、こんなもんじゃなかったよ」などと、涼しい顔をしています。

多良間〜水納航路の所要時間は約30分。20分を過ぎた頃にはもう「まだかまだか」状態。船が少し向きを変え、うしろの甲板にすわっているわたしたちの視界にも島の一部が見えてきた時は、「やれやれ、助かった」と思いました。

水納島の島影




 

ようやく島影が見えてきた……











幸いにも船外に転落する人もなく、船酔いも運悪く船の一番揺れる場所にすわっていた若干1名(せんべえさん)のみ。さすが、みんな船には強い。でも、自信のない人は、やはり酔い止め薬をのんでおいたほうがいいようです。
さて、いよいよ上陸です。宮国さんちの軽トラックに荷物をのせ、わたしたちはそのトラックの後を追って島の中心へと入って行きました。

荷揚げ フクギのトンネル
まずは荷揚げ 防護林のトンネル

島の中心を台風などから守るための防護林を抜けると、そこには不思議な空間が広がっていました。
港から続いて防護林のトンネルを抜ける道は、そのまま島のメインストリートとなり、かつては集落がひろがっていたはずのひろびろとした空き地を突っ切っています。その両側には、ところどころに鉄筋コンクリートの家がたっており、やがて巨大なユウナの木があって、そのむこうに石垣に囲まれた宮国さんの家が見えます。
その道はやがて宮国さんの畑や牧場の横を通って、島の反対側の浜に出る道へとつながっていました。

南北1号線 宮国邸
水納島南北1号線 宮国さんの家

わたしたちが泊まることになるコテージは、2棟ありました。
コテージNo.1は、防護林を抜けてすぐのところにあります。赤瓦屋根の伝統的民家のすぐわきに立つ、1DKのコンクリートの建物。去年わたしが竹富島で泊まった「松竹荘」と同じ構造で、昔ながらの家の横に、現代的な生活に必要な台所、シャワー施設等をそなえた別棟を建ててあります。赤瓦の母屋の方をしっかり戸締まりして、脇にある別棟だけをお客さんに貸せば、手頃な少人数用コテージとなるわけです。
コテージNo.2はそこから少し離れた所にある、3DKのコンクリートの家。これは一軒まるごと貸していただく形になっています。どちらのコテージも、トイレはまた別棟になっています。
協議の結果、コテージNo.1は女性用宿舎兼宴会場、コテージNo.2は男性用宿舎ということになりました。


コテージNo.1 コテージNo.2
コテージNo.1 コテージNo.1よりNo.2を望む

ここで少し、コテージの設備について説明しておきましょう。わたしの寝泊まりしたコテージNo.1についてですが、たぶんコテージNo.2でも、そんなに変わりはないと思います。まず台所。炊飯器、ガスコンロ、各種鍋、やかん等と、まな板、包丁など基本的調理用具はそろっています。けっこう大きな冷凍冷蔵庫もあり。大きな食器棚があって、そこには各種食器もそろっています。
台所の隣にはシャワー室があり、そこには外から直接入れるので、海から帰ってそのまま直行も可。二槽式の洗濯機もありました。反対側の部屋にはクーラーがついてます。もっとも滞在中あまり暑くなかったので、一度も使っていません。寝具は、宮国さんがちゃんと人数分そろえてくださいます。

コテージNo.1で荷物をおろしたわたしたちに、宮国家代表の孝平(たかひら)さんは、島での生活の簡単なインストラクションをしてくださいました。といっても、そんなにたいそうな事ではありません。台所の蛇口は洗い物用と飲料用のふたつあること、シャワーを使う前にはボイラーのスイッチをオンにすること、島にはハブはいないのでどこに行っても大きな危険はないが、海に出る時には気をつけること、そして、ヤシガニはもし見かけたとしても鑑賞するにとどめ、食料にするのは遠慮してほしいこと(笑)、くらいでした。

食料を宴会場となるコテージNo.1におさめ、各自の荷物を宿舎に運んだあと、わたしたちは思い思いに島内散策に出かけました。
島のメインストリート南北1号線を歩いていくと、牧場の横を通り過ぎたあたりから道はだんだん細くなり、やがてアダンの林の中へ。

ジャングル(?)を進むわたしたちの周囲では、おびただしい数の蝶々が飛んでいます。いちばん目につくのは、地に水色の斑点があるリュウキュウアサギマダラという蝶。都会の片隅でひっそりと飛んでいるシジミチョウやモンシロチョウを見慣れた目には、ここの蝶たちはなにか別の生き物にも見える。沖縄では蝶のことを「あやはべる」と言うそうですが、蝶々よりもその言葉のほうがふさわしい、「自然の力」を感じさせる生き物です。

ジャングルを抜けると、島の北側の浜に出ました。リーフが発達していて、白保のように海鳴りの聞こえる浜。海流の関係か風向きの関係か、こちらの浜にはけっこういろんなゴミが流れ着いています。遠くに2〜3人の人影……といっても、この島の場合、わたしたちのメンバーじゃなきゃ宮国家の誰かに決まってます。近づいていくと、やはり宮国さん一家のうち3人が、獲ったばかりの魚(キツネブダイ)の下ごしらえをしているところでした。

牧場 宮国兄弟
牧場の牛たち 浜で作業する宮国家の人たち

浜から集落に戻ってくる途中、コサカさんが「あーっ」と声をあげました。なんだなんだと振り返ると、そこにはヤギの大群が……

水納島のヤギは、牛とは違って完全に放牧状態。群れを作って島じゅうを移動し、アダンの葉などを食べて生活しているようです。ほとんど野生に戻っちゃってますから、とってもカンが鋭く、こっちが「カメラ、カメラ」とあたふたしている間にさっさと姿を消してしまいました。従って、「島の道を埋め尽くすヤギたち」の姿は、誰もカメラにおさめることができなかった幻のショットとなったのでした。

バーベキュー そうこうするうちに夕食の時間。コテージNo.1の庭では、バーベキューの支度が始まりました。宮国さんからも、昼間見たあのキツネブダイが一匹、差し入れとして届きました。オリオンビール片手に、みんなでわいわい言いながら食べるご飯って、なんかおいしいですねぇ。夕食はそのまま、宴会場(コテージNo.1の居間)でのオトーリタイムへとなだれこみます。

オトーリというのは、宮古地方独特のお酒の飲み方です。その具体的方式については、今回のオフの参加者であるせんべえさんの旅行記を見ていただくこととして、オトーリ用にかなり水で薄めてあるとはいえ、大量の泡盛がこの晩消費されたことはまちがいありません。

宴会となれば、唄と踊りもつきもの。せんべえさんが自分の三線を持ってきてくれたので、早速ミュージック・タイム。わたしが三線を弾き始めると、やがてみんなの大歓声。わたしのうしろでせんべえさんが、パーランクーを手に、沖縄版盆踊り「エイサー」を踊り出したのです。

パーランクーとは、タンバリンくらいの大きさで、片面にだけ皮の貼ってある太鼓。これを左手に持ち、右手のバチで叩きながら踊る「エイサー」は、琉球空手の型なども取り入れられた、けっこう激しい踊りです(だから本場沖縄では、年齢制限がある)。オトーリでしこたま泡盛を飲んでいたせんべえさんは、そのためこの後地獄の体験をするはめに……(笑)

この日は雨こそなんとか降らなかったものの、雲がけっこう出ていて、そのため満天の星空は残念ながらおがめませんでした。せっかくの満月だったんですけどね。宴会は、夜のふけるまで続いたのでありました。
 

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