多良間島・水納島旅行記4(1999.4.28 - 5.2)



4/30(金)曇り時々にわか雨


水納島に朝が来ました。

みんな三々五々と起き出して、コテージNo.1の居間に集まってきました。わたしは「朝はパンとコーヒー党」なので、昨日Aコープで買ったパンを食べながらネスカフェを飲みます。ゴハン党の人は台所にある一升炊きの大型炊飯器で、ご飯が炊けるのを待ちながら、お茶などすすっています。やがてご飯が炊きあがると、ポークランチョンミートの缶を開け、薄切りにしてフライパンで焼きはじめました。いい匂いが朝の空気に漂います。

第一陣が朝ご飯を食べる間に、遅れて起きてくる人たちのためにまたご飯炊き。結局この日、朝食波状攻撃は第三波まで続きました。5キロ入りの袋の米が、どんどん減っていきます。おいおい、「飲んだ次の日はあまりご飯食べないから」なんて言ったのは誰なんだよ。そういえば昨夜も、最初は「バーベキューとビールがあれば充分」とか言っていたのに、いつのまにかご飯が出てきてたよなぁ。

結局「余ったら宮国さんに寄付かな」と思っていたお米は、帰るまでにきれいに食べ尽くされていました。やっぱり普段と違って肉体労働するし、健康的な環境だから、ご飯が進む進む。こういう時は、通常より多めに食料を用意しておいたほうがよさそうです。特にお米は、びっくりするくらい減りますよ〜。

朝食後のスケジュールは、「自由行動」。要するに、もう好きなことを勝手にやって下さい、ということ。うちはたさんやコサカさんたちは「泳ぎに行く」とか言って、みんなで昼食のおにぎりを作り始めました。ううむ、気合い入ってるぞ。

わたしはとりあえず、昨日行かなかった島の東側へ行ってみました。南北1号線をてくてく歩いて行って、牧場を通り過ぎたところで、今度は右方向への道をとります。曲がってすぐのところには、以前宮国さんの親戚が住んでいた家があります。赤瓦の典型的な沖縄風民家なのですが、もう屋根がかなり崩れてきています。こういう厳しい自然のもとでは、守る人を失った家は、その瞬間から「風化」していくのだなあ、ということが、はっきりとわかります。

廃屋
灯台のプレート
廃屋のブーゲンビリア 水納島灯台のプレート


その道をずーっと歩いていくと、その先には「水納島灯台」がありました。灯台のすぐそばにはヘリポートもあります。灯台からの帰り道、浜に降りてみました。向こうに不思議な岩のかたまりが見えます。近づいてみるとそれは「水納島パナリ」でした。満潮になると離れ小島状態になるらしい場所です。ここももちろん、島の聖地になっていますから、中には入らず眺めるだけで帰ってきました。


島の井戸 水納島パナリ
島の井戸。今では使われていない。 水納島パナリ

コテージに戻ってうだうだしているとお昼になりました。わたしはちょうど戻ってきたきつねさんの分と、ふたり分のラーメンを作りました。実は水納島での3日間で、まともに台所に立ったのはこの時だけ。今回のメンバーには料理上手な(かつ台所仕事をいとわない)男性 が多くて、実に助かります。

昼食後も、きつねさん、カヨコさん、せんべえさんたちと、うだうだとした時間をすごします。なぜかなーんにもせずに、コテージの縁側(?)に腰をおろして、風の音を聴いたり、目の前の芝生をひらひらと飛ぶシジミチョウを見ているだけで、とても気持ちがいいのです。そんなこんなのうちに、ふと気がついたことがあります。ここは「雑音のない島」だということです。

にぎやかな都会から離れた島に行けば行くほど、「自分に関係のない音」というのはどんどん減っていきます。たとえばここ水納島のコテージにいる時、耳に入ってくる音といえば、風の音、鳥の声、仲間のおしゃべりする声。それらは自分のまわりの環境が、あるべき姿でちゃんとある、ということだから(逆にそういった音がぱたりとやんだら、何か異変があったということ)、決して雑音ではありません。

時たま車のエンジン音などが聞こえてくることがありますが、それは「宮国さんちの車の音」なわけで、見知らぬ誰かの車とはわけが違います。「あ、宮国さんが港に行く」とか「帰ってきた」という情報を伝えてくれる音だから、これも雑音ではありません。そういえば、あの飛行機の爆音だって、たとえば一日一便とか、一日三便とかの離島では、今日もちゃんと島の日常のいとなみが続いていて、郵便や新聞の配達が滞りなく行われるあかしとなると、あまりうるさく感じないから不思議です。

やがて、とよださんが戻ってきて、みんなでシュノーケルしに行こうということになりました。水着に着替えて道具を持って、とよださん、きつねさん、カヨコさん、せんべえさん、そしてわたしの5人で港に歩いていきます。ちょうど干潮時にあたっていたので、防波堤が陸続きになっていました。みんなでそこまで歩いていき、防波堤に登って、反対側の海に降ります。でも風はあるし、けっこう水が冷たいしで、とにかく寒い。わたしは早々にギブアップし、防波堤のテトラポットにはりついて暖をとりました。お天気さえよければなぁ。ううん、残念。

水納港



水納島の港。「しらはま」が停泊している。






その晩、みんなで宮国さんの家に遊びに行きました。

ここで宮国さん一家について、ちょっと説明しておきましょう。現在宮国家代表になっている孝平さんは、実は5人兄弟の3番目。JTAの機内誌「コーラルウェイ」真南風号(1998)掲載の、椎名誠さんのルポによれば、長男は多良間島、次男は宮古島に住んでいらっしゃるそうです。島に残った「宮国三兄弟」のうち、孝平さんには奥さんと子どもさんがいらっしゃいますが、学校の関係で家族は宮古島に住んでいるのだそうです。
三兄弟の残りふたりは弘市(ひろいち)さんと、重信(しげのぶ)さん。そのお父さんである岩松(いわまつ)さんと、お母さんのマツさんは、ちょっと耳は遠くなったそうですが、いたって元気。
あれ? それじゃあ一家は5人のはず……確かこの旅行記の最初には、島の人口は6人と書いてあったなあ、と気がついた人がいるかもしれません。もうひとりの住人の正体については、明日のお楽しみ。

大挙しておしかけたわたしたちを、宮国さんは歓迎してくださいました。まずお決まりの行事である「来島者名簿」への記帳。といってもごく普通のノートなんですが、やはりどんな人が来ているのか興味しんしん。水納島の灯台の定期点検にくる職員さんの名前があります。「コーラルウェイ」の取材でやってきた椎名誠さんの名前もあります。その他にも、自分の知った人の名前をノートに見つけて、しげしげと眺めたり、証拠写真を撮っている人もいました。

岩松さんの話を聞いたり、みんなで記念撮影をしたりしているうちに、泡盛は出てくる、お刺身は出てくる、三線も出てくる……今夜もまたオトーリだ。

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