八重山旅行記1(1998.6.4 - 6.7)
今年、「沖縄ファンクラブ」はファンクラブ企画・オリジナルツアー第二弾として、「竹富島・石垣島(白保) 民宿ふれあいの旅」を催行しました。
わたしは実行委員(要はボランティアの雑用係)として、今回の旅に参加しました。
メンバーは会長・副会長、会員とその知り合い、一般参加を含めて総勢36人プラス沖縄ツーリストの添乗員ふたりという、なんと40名近い大世帯でした。最初はその半分も集まれば御の字、と思ってたんだけど……
6/4(木)曇り時々雨
東京→那覇→石垣。(直行便組、東京以外からの参加もあり)到着後、「八重山荘」にチェックイン。
わたしはもうひとりの実行委員、大津さんとともに
「八重山毎日新聞」
に表敬訪問。社屋はまだ新しく、素敵な建物でした。
夕方、「八重山荘」の食堂でツアーメンバーの顔合わせを兼ねた夕食会。
ふだん「八重山荘」では夕食を出さないので、仕出し屋さんから届けられたお弁当でしたが、これがまたすごいボリューム。これに比べると、東京のお行儀のいい幕の内弁当なんて、まるでスナック。早くも八重山パワーの一端をかいまみることとなりました。わたしは波照間島の民宿「たましろ」でもっとすごい夕食を経験してますから、それほど驚きませんでしたが、あまりのボリュームに圧倒され、半分も食べられなかった人も……
天気はだんだん悪くなり、まるで台風のように雨と風が激しくなりました。そんな中、民謡歌手安里勇さんが「八重山荘」にやってきました。安里さんは今回竹富島のウェルカムパーティと白保のパーティーに参加、そして3日目のオプショナルツアーには船を出して下さると聞いていましたが、結局なんやかやと4日間にわたって付き合ってくださることになりました。夜遊び組は安里さんの車に乗り、嵐の中を二次会へ……
わたしはちょっと別行動。石垣島在住の知人、Mさんに「八重山村」という居酒屋でごちそうしてもらいました。Mさん、八重泉もおいしかったし、ぐるくんおにぎりもおいしかったです。本当にごちそうさまでした。
他の人たちの夜遊びコースは、居酒屋「一仙」→民謡酒場「思いやり」だったようです。
わたしは10時過ぎに「八重山荘」に戻ってきたけど、夜遊び組はなんとまだひとりも戻ってない。外はまだ大嵐です。
みんな初日から、とばすとばす。わたしの同室のふたりなんか、午前4時に戻ってきました。
6/5(金)曇り時々雨
朝、食堂に行ったら、窓の外のパパイヤの木から実がふたつ消えていました。
もちろん、朝のおかずには、「千切りパパイヤのおひたし」が参加していました。
9時の船で竹富島に渡り、まず「大浜荘」でひと休み。全員は入りきらないので、半分のメンバーが近くの民宿「松竹荘」に移動。わたしも松竹組で、最初は、「えーまた歩くの、めんどくさー」と思ったのですが、これが思わぬ幸運だったことを後で知る……
「松竹荘」は港から竹富の集落に入ってすぐに右折した所にあります。
港からは一番近いかもしれない(といっても他の民宿と大差ないけれど)でも島の中心からは少しはずれているから、水牛車も来ませんし、観光客もあまり足をのばさない、静かな一画です。
建物は典型的沖縄の民家。一番座、二番座、三番座とそれぞれの裏座を持つ、6部屋の間取りで、トイレは外。シャワー室と台所とおじさん・おばさんの住む区画は別棟です。
映画「パイナップルツアーズ」を見たことのある人なら、島の人にそそのかされたヤマトの兄ちゃんが、夜這いをかけた相手の家と間取りがそっくり、と言えばわかるかなあ。
お庭は手入れがゆきとどいているし、おばさんの料理の腕は島でもトップクラス、おじさんは竹富のサンゴに一家言あるし、食事はおじさん、おばさんの住む区画にある居間で、みんなで食べます。
なんだか親戚の家に遊びに来た、という雰囲気が味わえて楽しい。
おじさんの名前は松竹昇助(ホントだよ)、おばさんは美智江さん。
その後竹富島出身の沖縄ツーリスト支店長、浅井さんの案内で歩いて島を観光。お昼はあの「やらぼ」のエビそば!
もちろん、おいしかったですぅー。
ちなみに、その日の夕食のメニューは、
もずく
タコとゴーヤーの酢の物
カツオのお刺身(ツマは未熟パパイヤの千切り)
グルクン唐揚げ&車エビ&かき揚げ&ふかした紅芋
ニンジン&パパイヤの煮物
オオタニワタリの若芽のおひたし
赤米を混ぜて炊いた赤飯
でした。美智江おばさん、ごちそうさまでした。
夕食後、公民館にてウェルカムパーティー。
竹富島の民俗資料館、喜宝院の上勢頭館長が竹富のウンチクを語り、
公民館長が地方(じかた)で三線を弾き、
町会議員さんが太鼓を叩き、
車エビ養殖会社の社長さんが竹富流カチャーシー「モーヤー」の踊り方を指導し、
校長先生(女性)が先頭に立って踊り……
いやあ、すごかったです。
中でも絶品だったのは、地元のご婦人ふたり組によるさまざまな踊り。
なんとその片方が、わたしたちの宿「松竹荘」のおばさん。
その所作の決まり具合は、「よっ、松竹屋!」と声をかけたくなるような見事なものでした。
(四つ竹を手にして「安里屋節」を踊る美智江おばさん)
竹富の夜はまだまだ続く……
さて、ウェルカムパーティーの二次会です。
公民館の後かたづけをした後、スタッフと竹富の人たちとで「ブガリノーシ」(要は「おつかれさまでした〜」という、あれ)をした後、その夜も三線を弾いて唄ってくれた安里のおじさん(安里勇さんのことです。うわ〜もうおじさん扱い……^_^;)が、
「さあー、三次会行きましょうね〜」と言い出しました。
「すぐそこだから」と言われて行った先は、竹富島のナイトスポット「ちろりん村」。竹富島を知ってる方なら、公民館と「ちろりん村」との距離が「ちょっとそこまで」なんてものではないのが、わかりますよね。(^_^;)
なにしろその日も大雨で、道のあちこちに水たまりができてるのに、明かりなんかほとんどないから、メンバーの中には水たまりにはまる人が続出。
暗い中、「どぼっ」という音と、「うわー」という悲鳴が……
でも安里のおじさんは、
「夜道は懐中電灯なんかつけないほうがいいさー。
かすかに光ってるところが水たまりだから、そこ除けていけばいいんだから」
と、すたすたと歩いていきます。うーんさすが島んちゅ。
もちろんそんな野生のカンなど持ち合わせていないわたしは、しっかりはまりました。
そうそう、その夜道で、「飛ばないホタル」を見ました。
道の両脇の草むらに、時々ポッとかすかな緑っぽい光が見える。
「もしやハブの目?」と最初はびびりましたよ、マジで。
安里のおじさんが、一行のうちひとりが持っていたペンライトでその光の持ち主を照らしてくれました。ゲンジボタルとは似ても似つかない、まるで「ゲジゲジみたいな」虫がいました。「えーっ、イメージ壊れるぅ」という声も。
このあたりの解説は、専門家におまかせします。
ということなんで,虫屋,でてきました。
唯さんの見たものは,オオシママドボタルでしょう。まるで「ゲジゲジみたいな」虫というのは,幼虫です。秋になると成虫になります。ちょうど今の時期は幼虫が島のそこら中で光っています。梅雨の間は,かたつむりがぞろぞろ出てくるので,そいつを食べるため,幼虫の活動も活発になるわけです。だいたい9月位まで幼虫で過ごします。雨上がりの夜中には,道端で幼虫の光る姿をみることができます。
(八重山諸島=石垣,西表,黒島,竹富島に分布)
卵も幼虫も蛹も成虫も,みんな光ります。
ここで疑問に思う方もいらっしゃるでしょう。
ホタルの幼虫は,川にいるんじゃないの? と。実を云うと,日本のゲンジボタル,ヘイケボタルのように,幼虫期を水中で過ごすものは,世界的に見渡してもレアーな種です。ホタル類の幼虫は,基本的には陸上で過ごします。
南方系のホタルというグループが,北方(すなわち日本)で生活していくために,水中生活を選んだのだとしたら。。。(北方では,陸上生活を行う貝類が少ないから,水中を選択したのかもしれません)
久米島には,水中生活を行うクメジマボタルというのが,ごく少数います。(最近発見されました)
琉球列島と日本列島のファウナ(生物相)とをつなぐ生物群として,ホタルも挙げられるのです。
以上、解説は青木一宰氏でした。
でも、島に行くときは、ペンライトは必需品ですね、ほんと。
(今回はうっかり荷物に入れ忘れた……)
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